初めての自分探しに

30年近く創価学会員として活動してきた事、疑問に思う事、これからの事を語りたい。

今日も元気で~♪

2005-09-19 13:56:20 | Weblog
オッス、オラittoです!(パクリばっか)
しばらく間を空けるっていったもののまたすぐ書き込んでしまいます(^^;
ぼくの住んでいる所は、今日もまた暑いです。だんだん涼しくなっていくって天気予報は言っていたのになぁ・・・だから、今日は温泉にいって汗を流してきました~。やっぱ気持ちいいですよ、大きい風呂の中でのんびりできるのは、心身ともに落ち着くし、リフレッシュできるし。

そのさわやかな気持ちでまた、何点か書き込みたいと思います。
まず、創価学会の婦人部について。(ぼくの母のことが大部分?)
学会活動について、まず避けて通れないので婦人部。
 ぼくの母も婦人部で地区幹部やってます。最近は高血圧や、心臓が弱いということで会合や活動に出たり出なかったりになってきてますが、やるときはバリバリやってます。性格は母の兄弟は男ばかりだったので、男勝りというか、気が強いです。小さい頃は悪いことをするとよく引っ叩かれたものです。ときには、ぼくは鼻血を出すこともありました。一見、家庭内暴力に近いかも知れませんが、自分でもよくグレなかったなあと思います。(信心のおかげ?いや単に気が弱かっただけ)でも、人を叩くことでの相手の痛さ、辛さはぼくの身体の中にしみ込んでいるんです。だから、よく人からは君は優しいね、いい人だねとよく言われるんですよ。これは、決して学会の訓練ではなく家庭環境から得たものだと思っています。
 母が折伏した人は、ぼくの知っているだけで(多分これで全部)3人。でもみんな、離れていったり、亡くなったりしています。みんな、学会活動して幸せになったとかがないんです。幹部に入ってもらったりしていますが、一体どんなやり方をしてきたんだろうとは思います。
 母が現時点(これからもやっていくであろうと思いますので)で、最後に折伏した人は母子家庭の30代の女性。この人も気が強いので、キレると男言葉になります。最後は小学校の娘さんが、「私もやってみたい」のが決め手となって入会を決意されたそうです。
 入会当初は、まじめに勤行唱題や座談会などの会合に参加されていたのですが、ことある度に婦人部幹部と意見の衝突をしていました。
 あるとき、聞いた話ですがその女性がキレて、支部の婦人部幹部に
「もう我慢ならない。御本尊さまを返します!」
といった言葉に幹部の人は
「返したきゃ返せばいいじゃない。後はどうなっても知りません!」
ぼくは唖然としました。慈悲のかけらもない、この冷たい言葉をなぜ平気でいえるのか?
その方はまたしばらく出てこなくなりましたが、母や他の地区の婦人部の方がたびたび訪れて励まして少しずつ出てくるようになりました。けどその遺恨は残ったままなのか、今度は婦人部ですが、まったくの未活動家で学会アンチの方としだいに仲良くなってきて、また出てこなくなりました。次第にその方を親友と呼ぶ間柄になってきました。
 もう歯止めが利かなくなったのか2ヶ月前にその婦人部のかたと一緒にご本尊様を返すことになりました。入会する前から、ウチに遊びに来られて楽しんでいたのに、もうそういう関係でなくなってしまいました。
 返された後、うちの母は
「ああいう人じゃなく、もっといい人を、素直に仏法を求めている人を折伏しなっくっちゃ」
 とてもさびしい気持ちでした。ご本尊を返すということをさせてしまった反省や後悔の念がないのか、この仏法は万人の幸せを願うものじゃなかったのか、仮に駄目でも、その人に幸福になってもらいたいという気持ちはかけらもないのか、色々な思いがぼくの中で交錯しました。
 ここに、万人の幸福を願うことを大義名分にしながらも、結局は数字にとらわれてしまっているただ大きくするだけの組織の歪みがかいま見れる部分でありました。
 今では、すれ違っても挨拶もしてくれません。冷たい目線がぼくに突き刺すだけ。前は笑顔で挨拶してくれたのに。
 母は性懲りもなく、総選挙の時、k党の支援を頼みに行きました。当然のごとくその方は選挙には行きませんでした。当たり前ちゃあ、当たり前か(^^;
 ああ、さわやかな気持ちでと冒頭に書いたものの、気持ちがダークに・・・
いやいや、気を取り直さないと!

2 コメント

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Unknown (みく)
2005-09-19 15:48:13
ittoさんこんにちは!

早速リンクさせていただきました。

ありがとうございます♪



ittoさんは婦人部の事も当然ながらいろいろと

ご存知のようですね(^^ゞ

私の場合、ほとんど婦人部の事しか判らなく、

他、3者の内情は時々耳にするくらいです。

姑は本部幹部ですが、ittoさんのお母さん

同様、バリではありますが、体調を崩して

今はほとんど会合にはでていません。

ただ、以前に比べると少し温厚になってきてる

かな?とも思えたりしてます。



このように思えるのも「追われない」時間を

過ごしているからでしょうか?



各者それぞれ活動の仕方はあれど、

結局は「数」に捉われるのは否めない部分

でもあると思います。

その部分が相手に対してどう表面化するか

強引に思われるとか、そういうのがこの

「数」に表れてるのではないかと思うんです。



活動している時って、みんな必死・夢中だと

思うんです。それが自分や相手の幸福のために

やっているものなのか、組織に対する

「貢献」のような形になっているのか?

微妙にも思うこともあります。



人間関係がその時少しでもこじれると、

もうその人に対しては信用度も薄まり、

距離も置くようになってきますよね。

私もそんな経験がありますので、気持ちは

判らないでもないです。

そこで割り切って活動できるか、引きずるものとしていつまでも残り、未活や退会を選ぶか、

いくら激励に入っても、最終的には自身で

決める事にはなると思いますが、やはり

そのような状況が多く見られる現状なのは

確かです。だから活動も然りかもしれませんが

人間関係を見つめなおせる時間をもたらせる様な指導がもっともっと必要なのではないか?と思う訳です。



気持ちの余裕も無いくらい活動をガンガン

促し、結果「数」を取っても、身にはならず。

実はなれど中身無し。

こんなやりきれない話もないですね。

Unknown (itto)
2005-09-19 16:51:48
みくさん、ありがとうございます。

みくさんのお姑さんも体調崩されているんですか。学会となると別物になっちゃうとは思うんですが、大切な家族ですから、大事にしてあげてください。



いつも、会合の指導のなかでは、「数字じゃないんだけど」っていう言葉が出てくるんですけど。報告とかあがるもので具体的に数で表すしかないのが現状ですよね。

学会でいう勝利の目安を表すのが数字。みんな期限が迫るとまだ足りないと目くじら立てて、その数字を伸ばそうとするんですよね。確かに達成したときの喜びはあるとは思うんですが、重要なのは、プロセスや内容ですよね。折伏だったら、その人が活動家になるかどうかなど・・・その犠牲なるのは、その対象となった人達、内部しかり、外部しかり、友人、知人しかり。

結局は一人一人がどう幸せになっていくかが重要なんですよね。今の学会にはどうしてもそれがあいまいというか、見られない。

ぼくが今一番思っているのは、なりたいのは、本当の意味での困っている人にとって、太陽になること。

ただ単に強引に入会させて、無理やり御本尊を拝ませることではない。本当にその人のことを心配して、心から応援してあげることではないかと思うんです。

信仰している人間と自覚しているならば。まずそこから出発しないと本当の人間関係は生まれてこない。

築くのには時間は掛かっても、破壊は一瞬ですから、

壊れた人間関係はほぼ不可能に言っていいくらい直せません。

バリ活の多くの人は、結構友人を失っている人が多いのが現状です。そうなってしまうとどうしても、居心地いいほうにいってしまう。組織はみんな同志だから

。学会の味方を増やす戦い=学会員を増やすですから、報道されているような社会で大きな友好の輪を広げているなんて、実際より少ないと思うんです。

ぼくが、大学の友人に社会人になってから学会宣言して言われたことは

「間違っても選挙のときオレに公明党の応援してくれっていう電話はするなよ」

ぼくはその友人との約束は今でも守っています。

相手も仕事忙しいけど、たまに電話連絡取り合ってます。選挙期間中は連絡取れませんが(笑)

でも仲良かったし、いろいろ相談乗ってくれたから。

おかげで選挙のFだって、ほとんどが適当だったりするんです。近くで、普段から会っていて、自分のことホントに理解してくれているような人でないと頼めませんから。

ほんと、近所にしろ、友人にしろ、人間関係は大切にしていきたいものですね。助けたり、助けあったり。