初めての自分探しに

30年近く創価学会員として活動してきた事、疑問に思う事、これからの事を語りたい。

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皆、疲れているよ・・・・

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お久しぶりにittoです。

パソコン持ってないとつらいですね~(T_T)更新がなかなか出来なくて、申し訳なく思っております。

その間は創価学会に対するアンチ的、疑問的なプログをいろいろ見てきましたが、皆さんすごいです。よく勉強していらっしゃるし、論の鋭さといったら、天下一品です。正直言えば、某○ゃん○○より、よっぽど良い!
ちょっと紹介しておきます。
みくさんの「一進一退」は画面左のブックマークからどうぞ。(みくさん、省略すいません)
kousanという方の「はったり特急」これは、ほんと切れ味鋭くて、学会をスパッと切っております。特に聖○新聞の破邪○正や名○の言に対する見方を180度変えてくれるといってよい程です。壮年の方ですので、よく、御書を勉強していらっしゃる。ほんとタメになります。
http://orange.ap.teacup.com/kouzou/

プログの紹介は随時紹介させていただきます。

さて、(^^;
最近ぼくは、気持ちが軽いというか、なぜか元気です。まあ、いろいろなプログをみさせてもらって、元気をもらっているというか、MC状態が解かれているというか・・・宗教を保つ者として御書も読んだり、より真剣に勤行・唱題に取組めたり(ぼくは日蓮の教えは否定しません。創価学会の今のあり方は否定しますが。)して、気持ちが軽いです。以前は出ないことに後ろめたさを感じていた会合はブッチしまくりですが、その後ろめたい気分がなくなったんです。ぼくは、地区リーダーですので、ほんとは色々と出なくちゃいけないとバリ活の人に言われると思います。必ず言うでしょう(笑)

でも・・・ぼくの所属するラインの人たちはもっと元気かっていうと、そうでもないんです。むしろ元気ありません。
昨日、唱題会あったのですが用事があったので行きませんでした(ホントに)。
その1時間半前に、別の地区リーダーさんから
「今日唱題会あるんですけど、これますか・・・」
語気がだんだん弱くなってるんですよ。ぼくは、用事あっていけないことの旨を元気よく(笑)つたえて、
「○○さん、元気ないですね~、どうしたんですか?」とたずねると
「まあいろいろあってね、協議会とかで壮年の人とぶつかっちゃたりして・・・」
「そうですか。時には休むことも必要なんじゃないですか?気を張っちゃうと最初よくても、だんだん疲れちゃいますよ。」
「そうだよね・・・」
ぼくは、いろいろと冗談とか交えながら明るくしようとしたんですが、笑っても苦笑い状態でして。
最後は、部活動者会の参加を伝えて、電話は終わりました。

もちろん、この方だけでなく、幹部だって疲れている人はいっぱい居ます。
会合続きで、その後も連絡の取り合いとかで、睡眠を削ってでも頑張っているひとも多く居ます。そんなんで、よく事故を起こさないなあと思います。(男子部限定で言えば)
でも、最近は学会員の方で事故や病気でなくなられている方が増えてきています。
やはり、活動の行き過ぎ、疲れが溜まったり、ストレス多少ならずとも感じたり・・・
ぼくは、このことは何かの警鐘に思えてなりません。取り返しのつかないことになったら、どう責任を学会はとってくれるのでしょうか?「信心が足りないからだ」と済まされる問題ではないと思います。
池田名誉会長は体の負担が嵩張らないように会合の時間等を短縮していく「会合革命」と言われてますが、末端の状況をホントにご存知なのでしょうか?名誉会長も人間なので、すべて把握できるまでとはいかないと思いますが。

これも、すべて、数・数・数・・・を追っかけてしまっている学会の数の論理がこんな状況をうみだしているのは間違いありません。

余談ですが、うちの広い地域のトップは自営業で仕事をしなくったって成り立つというので、一日思う存分学会活動ができるとのこと。だから、深夜遅くま激を飛ばしまくっている・・・・と伺っています。
一生懸命信心してきたから、こういう境涯になれたのだとおっしゃいそうですが、だったら、下の人たちは皆仕事を抱えているんだから、今まで苦労してきたことを考えれば寸暇を惜しみ過ぎると、どういう結果を生むかおのずと考えられるとは思うんですがね~
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あなたは創価学会のために死ねるか?

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 こんにちは ittoです。
 ぼくはパソコンを持っていないので、なかなか記事を書けないのが憂鬱(_ _ ;ネットカフェなど利用して書くしかありません。あ~PCほすぃ~
 しょっぱな、すんごい(?)タイトルで始めちゃいました。ほんとは学会疑問だけでなく、いろいろなこと(プライベートや時事問題など)書いてもいいかなとは思うのですが。もう少し疑問に思うことを書けたらと思います。

 これは、もし戦争中みたいな思想統制が行われたとき、もし学会がその弾圧対象となり、かのキリシタン見極めを行った「踏み絵」のような行われる場合、学会員はどう対処するのでしょうか?信仰(もしくは組織)を捨てるか否か?

 これは、かつて何年か前に学生時代のアルバイト仲間と飲んだ時の話です。相手の人はとある大学院で哲学を専攻していた男性の方です。教授の卵ですね(^^;
ぼくは上のような質問を受けました。自分が学会を捨てると言わなければ、家族が、愛する人が、友人が殺されるという場面になったらどうするんだ?と聞かれました。ぼくは、平気で「捨てません。やめません。」と答えました。彼は、呆れつつも「すごいねえ。その志は買ってもいいが、いざその場面に遭遇したら自分がどうなるかわからないぞ。」と。
 あの時のぼくはまだ青かった(笑)当然、そういうことはまずありえんだろうとは思ってましたし。結構バリ入ってましたから。
 今の心境ではどうか? まあ捨てる(今の学会の組織では)と言うでしょうね。同志を裏切るのか(この言葉は共産主義ぽくていやです)と猛烈批判うけるでしょうが、目の前に愛する人たちを失うと思ったらどうでしょうか?それはとても見るに耐えない、忍びない状況です。人間なら、真っ先にそれを守りたいという思いに駆られるでしょう。
 ぼくは、愛すべき人たちのためなら死ねるとは思います。(台詞クサすぎですが)でも、愛すべき人よりも組織を守れというなら学会のためには死ねません。

 重過ぎな内容ですが、みなさんはどうお思いでしょうか?
言っておきますが、ぼくは死ぬのは当然怖いです。まだ死にたくないです。
ぼくはしにましぇ~ん!(和まそうとしてるが、ちょっとヤケ)
 
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社長がナイーブ、否、内部

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書きすぎちゃってどうにもとまらなittoです・・・ヒロシです。(自爆)
 失礼いたしました。先に婦人部のこと(てか自分の母中心)をカキコしましたが、昨日書いた社長も学会員について書きたいと思います。
 まずは広告代理店について。
 ぼくは就職活動するときは、基本的にハローワークで探します。もともと、マスコミ志望だったのでそういう職場で働きたいと常々思ってました。もう4年前の夏でしたか、福祉関係の会社で広告業もしている会社の求人票があって、福祉にも興味があったので面接を受けてみることにしました。
 そこは、古い細長いビルの3階(2階はKS党の事務所だった!)にあって、そこは支社ということでした。面接では、「やる気があれば、後日こちらに電話してください」とのことでした。あっけにとられたぼくは、帰り道悩んでいました。ここで働くべきか否か・・・チャンスをくれるのだから、そこに賭けてもいいだろうということで、家に帰ってから即電話してお世話になる旨を伝えました。
 初日に、初めて業務内容を伝えられました。福祉関係のことは一切なくローカル紙のお付き合い広告(勝手に企画作って協賛金を集めること)の電話営業でした。少しだまされた感はありましたがやるからにはやろうということで、一心不乱で仕事に取り組みました。職場は5人程度でしたがそのうち、上司と先輩が学会員と2人いたことです。僕も含めると3人で、カミングアウトすればもう一人の先輩の立場というか、居心地もなんとなく悪くさせてしまうようで申し訳なかったので最初はみんなにも伏せてました。上司は仕事できる人でしたが、一日中パソコンいじくってばっかでした。先輩2人は検討つけて電話してましたが、ぼくにはそういう知識もないんで、電話するだけしまくってました。1日平均100件、売り上げ上がんないときは、200件くらいかけてました。ほとんど門前払いが多かったのですが、入社して2週間くらいしてはじめて契約できたときは本当に嬉しかったです。
 月日がたつにつれ、会社の中も段々分かってきました。上司と先輩2人の中が悪かったということです。ぼくは。先輩2人についていきました。よく飲みに行ったり、パチンコで遊んだりして交流を深めていましたが、ぼくの仕事に対する姿勢を上司が評価しているのか、東京にあった子会社を廃止して、この支社に来ることになり上司とぼくがその子会社に移り、先輩2人が支社に残ることになりました。
 対立はさらに深くなり、支社の売り上げも下がってきて、とうとう支社を廃して、先輩2人は子会社に移籍してこの事務所に残るか、または本社へ移るかの選択をせまられました。2人は上司について仕事することはできないと移籍を拒否し、本社に移ることを決断しました。ぼくのことをよく面倒みてくれたのは、上司ではなく、先輩たちだったので、去る事なったときはさびしい思いがしました。
 ぼくは一大決心して、社長に自分も本社に移ることを訴え出るとともに、自分も学会員であること打ち明けることを決意しました。(すでに社長も学会員であることも知っていましたが)
 でもなんとかあのH君(上司のこと)を支えてやってくれと説得され、苦渋でしたが子会社に残ることに決めました。
 それからは、まるで生き地獄のようでした。学会バリの数字の報告何から何までの細かい数字を報告し、売り上げなければドヤされる(営業だから当たり前か)。
 上司が内部の人だから余計に仕事場にまで学会でやってきていることを持って来て、公私混同の状態でした。それからあとに聞かされたのは、子会社に移ってきたもう一人の上司が、自らの保身のために創価学会に入会したこと(本社では、疎外されていたので、リストラされないように社長の折伏で)でした。はっきりいってこの状態はおかしい、そう思いました。そう考えればそう考えるほど、唱題を上げて、自分も本社移動になるように祈って来ました。その3ヵ月後にそれが実現しました。また、一緒にやれると思ったのですが、内部じゃない先輩が僕が移ってすぐ退職することになったのです。もうこんな古臭い仕事では会社は持たないと見限っての決断でした。ぼくは移ったばかりなので、後を追うことはしませんでした。
雰囲気は前と違ってとてもよかったです。まあ個人的な対立みたいなものはあったのですが、比べ物にならないくらいでした。ぼくの売り上げも徐々に上がっていきました。
 やめた先輩の予測したとおり、会社の経営が苦しくなり、とうとう給料の遅配まで来てしまいました。でもぼくは許せなかった部分がありました。給料日間近になると社長がフッと会社からいなくなってしまうのです。給料日だと思って、口座の残高照会を見てみると、
「あ、入ってない、おかしいな」
よくよく本社の上司に聞いてみたら、給料の支給が遅れるとのことでした。これが3回くらい続きました。ぼくは給料の遅配なんてどうでもよかったんです。会社が危ないなら、なら自分が今まで以上にがんばって、売り上げを上げていこうと決意(学会用語?)するんですが。どうしても許せなかったのが、遅れるということを社長の口から言わなかった。言ってほしかった。学会でも幹部をされているんだからなおさらでした(当時はほんとそう思いました。今考えれば、学会員だって人間なんだから仕方ないのかも(^^;)。とても勇気が必要なことだとは思いますが、逃げてほしくなかった。そうして頂ければ、ぼくは今も、この会社に勤めていたかも知れません。もう、それでそうなったら未来もないだろう、ぼくはそう思ってやめる決心をしました。
 歓送会もやって頂いて、みんないい人だと思います。子会社にいる上司2人を除いては。
 ぼくもたまにそのローカル紙をみて、この会社の広告をみるとまだやってんだなあ、みんな元気してるかなあと上を見上げます。でもやっぱ広告の数減ったなあ。ぼくは最後の仕事は半分くらい5段紙面を埋めるほど集めましたから。
もう一つは別記事で・・・
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今日も元気で~♪

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オッス、オラittoです!(パクリばっか)
しばらく間を空けるっていったもののまたすぐ書き込んでしまいます(^^;
ぼくの住んでいる所は、今日もまた暑いです。だんだん涼しくなっていくって天気予報は言っていたのになぁ・・・だから、今日は温泉にいって汗を流してきました~。やっぱ気持ちいいですよ、大きい風呂の中でのんびりできるのは、心身ともに落ち着くし、リフレッシュできるし。

そのさわやかな気持ちでまた、何点か書き込みたいと思います。
まず、創価学会の婦人部について。(ぼくの母のことが大部分?)
学会活動について、まず避けて通れないので婦人部。
 ぼくの母も婦人部で地区幹部やってます。最近は高血圧や、心臓が弱いということで会合や活動に出たり出なかったりになってきてますが、やるときはバリバリやってます。性格は母の兄弟は男ばかりだったので、男勝りというか、気が強いです。小さい頃は悪いことをするとよく引っ叩かれたものです。ときには、ぼくは鼻血を出すこともありました。一見、家庭内暴力に近いかも知れませんが、自分でもよくグレなかったなあと思います。(信心のおかげ?いや単に気が弱かっただけ)でも、人を叩くことでの相手の痛さ、辛さはぼくの身体の中にしみ込んでいるんです。だから、よく人からは君は優しいね、いい人だねとよく言われるんですよ。これは、決して学会の訓練ではなく家庭環境から得たものだと思っています。
 母が折伏した人は、ぼくの知っているだけで(多分これで全部)3人。でもみんな、離れていったり、亡くなったりしています。みんな、学会活動して幸せになったとかがないんです。幹部に入ってもらったりしていますが、一体どんなやり方をしてきたんだろうとは思います。
 母が現時点(これからもやっていくであろうと思いますので)で、最後に折伏した人は母子家庭の30代の女性。この人も気が強いので、キレると男言葉になります。最後は小学校の娘さんが、「私もやってみたい」のが決め手となって入会を決意されたそうです。
 入会当初は、まじめに勤行唱題や座談会などの会合に参加されていたのですが、ことある度に婦人部幹部と意見の衝突をしていました。
 あるとき、聞いた話ですがその女性がキレて、支部の婦人部幹部に
「もう我慢ならない。御本尊さまを返します!」
といった言葉に幹部の人は
「返したきゃ返せばいいじゃない。後はどうなっても知りません!」
ぼくは唖然としました。慈悲のかけらもない、この冷たい言葉をなぜ平気でいえるのか?
その方はまたしばらく出てこなくなりましたが、母や他の地区の婦人部の方がたびたび訪れて励まして少しずつ出てくるようになりました。けどその遺恨は残ったままなのか、今度は婦人部ですが、まったくの未活動家で学会アンチの方としだいに仲良くなってきて、また出てこなくなりました。次第にその方を親友と呼ぶ間柄になってきました。
 もう歯止めが利かなくなったのか2ヶ月前にその婦人部のかたと一緒にご本尊様を返すことになりました。入会する前から、ウチに遊びに来られて楽しんでいたのに、もうそういう関係でなくなってしまいました。
 返された後、うちの母は
「ああいう人じゃなく、もっといい人を、素直に仏法を求めている人を折伏しなっくっちゃ」
 とてもさびしい気持ちでした。ご本尊を返すということをさせてしまった反省や後悔の念がないのか、この仏法は万人の幸せを願うものじゃなかったのか、仮に駄目でも、その人に幸福になってもらいたいという気持ちはかけらもないのか、色々な思いがぼくの中で交錯しました。
 ここに、万人の幸福を願うことを大義名分にしながらも、結局は数字にとらわれてしまっているただ大きくするだけの組織の歪みがかいま見れる部分でありました。
 今では、すれ違っても挨拶もしてくれません。冷たい目線がぼくに突き刺すだけ。前は笑顔で挨拶してくれたのに。
 母は性懲りもなく、総選挙の時、k党の支援を頼みに行きました。当然のごとくその方は選挙には行きませんでした。当たり前ちゃあ、当たり前か(^^;
 ああ、さわやかな気持ちでと冒頭に書いたものの、気持ちがダークに・・・
いやいや、気を取り直さないと!
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懐妊・・いな解任

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呼ばれて(呼んどらん)とび出てジャジャジャジャーん! ittoです。
 ぼくは、書くと止まらないんです。(これもMCか?)イッチャうんです。
 なぜ、学会を、創価学会の組織を疑うようになったか?
 それは先に行われた衆議院選挙の事。
 とある日、幹部Cさんと話していたとき、
 7月に男子部が新体制になったことに及びました。その頃は、全国男子部長だったT氏(大多数のかたがたはご存知と思いますがあえて名前伏せます)が、牙城会全国委員長だったS氏に変わったこと(これではバレバレですがあえて!)。これは、郵政法案否決が濃厚だったので予測される総選挙ではおそらくT氏は立候補するだろうと予想していたが、立たなかった。なぜなんだろうと思ってました。
 「Tさん今回たたなかったですね。衆議院じゃなく、参議ででるんですかね?」とぼくは言いました。するとCさんは、
 「じつは本部職員の人(女子部)4股かけたのばれちゃって解任になったらしいよ。」
エッ、と思いました。ちょっとショック入ってました。
 「コンビニで週刊SやFに載ってたけどね、いかにもホントらしいよ。普通ならデマだ!って学会が裁判起こしていいんだけどそれも無いかんね。」
 呆然としました。新聞にはそんな事一言も言ってなかったのに。新出発は新出発だが、ことの真相はそこにあったのかと。
 ぼくのなかで学会は真実を伝えている、とは言い切れなかったが大体はそうだろうと思いました。しかし、いい事だけを言っておいて、都合の悪い事は隠す、ダンマリを決める、そのことはかつての日本の大企業と変わらないではないか!
 かつて小説・人間革命のなかで、戸田第二代会長が晩年「幹部の中で組織利用しているものがいる。組織はこの戸田の命よりも大事なのだ。この清涼なる組織を汚してなるものか!(要点)」と叫ばれて、当時組織利用で問題を起こした幹部46人(だと思います)を解任し、それを聖教新聞で公表したと明記していました。
 自分たちが正義というならば、自分たちが犯した過ちを素直に公表し、ぼくたち末端の者たちにも謝罪すべきではないかと、それも正義だと思っていた。悲しみと憤りが混じった思いがしました。
 この瞬間からです。創価学会が正義の団体、組織だと見る事ができなくなったのは。今までも理不尽な場面を見てはきましたが。
 確かに日蓮の仏法を広めたのは、創価学会。2世だけど自分も唱題して、いくつかの難問を打開することができた(単にそう思っているだけで、ほんとは自分自身の力かも?)のも事実。
 でも、組織に問題がある。宗門と袂を分けてから、飛躍的に伸びてきた組織。池田名誉会長が受ける世界中(日本以外の)の賞賛と勲章、名誉称号。すべてが、自分の中にあった価値観がバラバラと崩れ落ちました。
 これからは、<今の所>は日蓮の残した文証(いわゆる御書と呼ばれるもの)を勉強して、また色々な書籍、ネットプログを見て読んで、学会のことをしばらくは客観的に見ていこう、いままで名誉会長と自分ではなく(いままでもそんなに意識はしてないけど、どこかにありました(^^;)、御本尊と自分のつながりをしっかりしようと思ったときでもありました。これからはこの信仰自体も・・・
 もし、自分が間違っていれば、仏罰とよばれるものが自分に下るとおもいます。
自分が合っていたなら・・・ご想像がつくと思いますが。
宗教は大事だと思います。こういう組織では、友人知人にはすばらしさなんてとてもじゃないけど語れません。
 また詳しいこと他に思う事等は後日ということで。しばらく間が空くかもしれませんが、(自分パソコンもってないんで)必ず書こうと思います。
 それでは・・・しばしの間アディオス!
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男子部に異動(会社か?)

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 おはこんばんちは(笑)、ittoです。
 では続きでやんすね。大学卒業して、男子部に移行してしばらく1年半くらいかな、活動という活動はしませんでした。就職活動は失敗に終わり、しばらくフリーターしてました。特殊団体の事務と、デリバリーを掛け持ちして。その頃は、自分のしたいことを思いっきりしてました、大学生活の反動からか。一人旅したり、風俗行ったりして、金遣い荒かったとです(^^;。でも、いつまでもフリーターのままじゃだめだと思い考えていた頃に。男子部の部長さんが家にきたんですね。しかも待ち伏せです(いまでも待ち伏せアレルギーです)。大学校に入んないかと誘われました。まあそのときは、今のままじゃいけないと思ってたし、何かに頼りたいと思っても、頼るものもなし。じゃやってみようとなって、きめたのは牙城会の方でした。一方のSは外にいるんで、夏暑いし冬寒いし、「牙城会10年やれば家が建つ」っていうフツーアリエンダロー的な言葉にだまされて。
 大学校入る前にフリーターじゃ恥ずかしいから、就職しようと思って、決まったのはサービス業のD社でした(業種細かいとバレるんで)バイト先には強く慰留されましたが、結構MC状態入ってたのか振り切っちゃったんですね。
 結構イケイケの状態だったんですが、中途だからしかたないんですが、いきなり現場に飛び込んで実際にやりながら学んでいけってことでした。11時間ずっと立ちっぱなしで、慣れない仕事でストレスも溜まっていきました。特に気にいらなかったのが、職場の人が上司にオベッカ使いながら接しているんです。ぼく的にはとても気に入らなかった、上の人に取り入ってもらおうというのが。そうした心境を察知したのか、上司もぼくに冷たく当たってました。いまでも、その目は覚えています、その冷め切った目が。そんな状況だからこそ、一生懸命題目もあげました。足が痛くて一睡もできなかったことも。でも状況は悪くなる一方。入社して2ヶ月たったある日、ぼくはまたヘマをして上司に呼び出され、
「このまんまじゃ、この先考えないといけないな」
ぼくはもう駄目だと悟りました。次の日から会社に行きませんでした。その次の日に退職届と保険証送って。一番最低なやめ方をしてしまったと思いました。でも、それしか方法がなかったと思っていたと考えます。
そして、プー太郎になり、親の勧めもあり車の免許も取得しました。当然活動にも参加しなくなりました。
 またバイトをはじめ、と同時に就職活動もしました。その2ヶ月たったあと、とある広告代理店に就職が決まりました。
 ハローワークで探したので、最初は福祉関係だと思ったんですが、ところがどっこい、ローカル紙のお付き合い広告の営業でした。いまどきそんな古臭い仕事が残ってるのかとお思いでしょうが、いまだ残っているんです。しかも社長をはじめ何人かが、学会員の人がいたとも知らず。
 ここでもいろいろあって、2年近くいて(詳細は後日)やめて、次に就職したのは、食品製造業の営業。ハローワークで探したのにここも社長はじめ何人かの人が学会員。ここもいろいろあって(詳細は後日)1年でやめて。
 で、いま工員やってます。社長は学会員・・・じゃありません。みんな宗教に関係ない普通の人ばかり。もう一年過ぎたかな。とても居心地いいです。ぼくは基本的にイジラレキャラなんで、それでイジラレテみんな盛り上がってますが。
 学会員の人の経営する会社で働くと普通の人より思いが自分のなかで交錯してしまうんです。信心してるのになんでそんな事すんだろう・・・そうした思いが、自分の中で重しとなり、余計深みにハマっちゃうんですね。最初はいいんだけど、段々月日が立つとそうなります。自分は2社しか経験してませんが、今、それで苦しんでいる人も経験した人も絶対いると思います。ぼくは現在もそういう人も見てます。
 経験から、学会員は社長、会社を経営すべきではないと思います。活動と仕事をきっちりと分けるなら別ですが、でもそれは絶対混同してしまうと思います。社長自身が身分の上下なくして一人の人間として、社員に新聞啓蒙や折伏したとしても、社員は権力で自分の信じる宗教を強要しようしてるとしか思えませんから。
 それで、社員の出入りが激しくなるのも当然だと思います。出入りの激しい会社は世間では認めてもらえませんからね。本当に経営するなら、家族全員がバリ活で家族親族のみで経営するのがベストでしょう。
 ぼくは、そういう会社には絶対行きたくないですが。
 さて、ぼくが学会を疑うようになったのはなぜか・・(人によっては遅すぎとか、信心足りんすぎとかいうと思いますが)次の記事で(またすぐ書きます)
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まずはご挨拶

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 はじめまして。ittoといいます。
 ぼくは、いわゆる学会2世で、生まれて2ヶ月で入信しました。だから、会員歴29年半、年齢も29歳。今は男子部で地区リーダーしてます。いわゆる2、3の住宅街を1つの地区として見て、その男子部の長みたいなものですね。
 小さい頃から、親の言われるがままに学会の会合には参加してました。(といっても熱心なのは母親だけ。父は、入信だけで未活動)小学生の高学年の頃は、圏(ゾーンといいます。ある程度広い地域で平均3~5の本部で構成される学会の地域単位)で作った合唱団に入り、未来部の中央(いわゆる信濃町、学会本部っす)の会合に代表で参加したり、中学生、高校生になっても、やはり言われるがままに会合に参加。その頃は何の疑いもなくやってました。確かに苛めや受験を信心で乗り越えたということが自分にあったからと思います。かといって、自分の時間を取られていやだなと思いながら、怒られんのいやだし、しぶしぶ行っていたのが正直なとこですかね(ToT)
 大学に入学して(夜学でした)、それからまた活動がハードになりました。なぜか?大学生、専門学校生は学生部に所属になります。学生部は2つの組織に所属することになるんです。地元の組織と学校内の組織、地元では地元で、学校内では学校内で2足のわらじを履くことになるんですね。学生部では、結構中央の会合が多くて、大きな会館には結構行ってました。そこには、全国学生部長や青年部長、時として会長や理事長など最高幹部と呼ばれる人もも参加したりします。会合の前座ではみんな気が狂ったように叫んでました。ぼくはあんまりなじめなかったです。まぁ一般人から見たら狂気の沙汰としか思えませんが(^^;。
 大変だったのが学園祭の時、学校内組織の活動家がみんな、メンバーの家に集まって祭りの展示はどのようにしようか、祭まで折伏の結果を出そうとか討論するんです、徹夜で。みんな次の日は仕事あんのに。ぼくはおかげで仕事場で居眠りばっかで職場の人に叱られてばっかでした。でも職場の雰囲気が寛大だったのか、上司がそれでもいいひとだったのか幸いしてクビにならなかった。活動のせいでこんなになってしまうのでは、「社会に実証を」ていう学会の指導なんて体現できやしませんよ。大変だったのが大学3年の時。ぼくは学園祭の実行委員もやっていて、組織でも中心メンバーとしてやらなくてはいけなくなりますた(ToT)何足のわらじ履いてんだろう・・・実行委員の準備は忙しいし、夜は夜で準備ができてないと先輩につめられるし(つめた先輩はいま未活動家っす)バイトもしなくちゃいけなし、学生の本分である勉強もしなくちゃならんし、もうクビが回らなくなる状態でした。でも人間って不思議なもので極限状態になると覚醒っていうか、ナチュラルハイていうんですか、別の人間に変わったように、頭の回転がよくなるんですね。そのときは忙しくてロクに拝んでません。いろいろとうまくこなせるようになるんです。そのときはMCだったのかなとも、今は解釈してます。そうして遊んだのか遊べなかったのかよくわからない学生生活も終わり、いよいよ男子部へ。
続きは次の記事で。(といってもすぐ書きますけど(^^;)

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