初めての自分探しに

30年近く創価学会員として活動してきた事、疑問に思う事、これからの事を語りたい。

社長がナイーブ、否、内部

2005-09-19 15:27:09 | Weblog
書きすぎちゃってどうにもとまらなittoです・・・ヒロシです。(自爆)
 失礼いたしました。先に婦人部のこと(てか自分の母中心)をカキコしましたが、昨日書いた社長も学会員について書きたいと思います。
 まずは広告代理店について。
 ぼくは就職活動するときは、基本的にハローワークで探します。もともと、マスコミ志望だったのでそういう職場で働きたいと常々思ってました。もう4年前の夏でしたか、福祉関係の会社で広告業もしている会社の求人票があって、福祉にも興味があったので面接を受けてみることにしました。
 そこは、古い細長いビルの3階(2階はKS党の事務所だった!)にあって、そこは支社ということでした。面接では、「やる気があれば、後日こちらに電話してください」とのことでした。あっけにとられたぼくは、帰り道悩んでいました。ここで働くべきか否か・・・チャンスをくれるのだから、そこに賭けてもいいだろうということで、家に帰ってから即電話してお世話になる旨を伝えました。
 初日に、初めて業務内容を伝えられました。福祉関係のことは一切なくローカル紙のお付き合い広告(勝手に企画作って協賛金を集めること)の電話営業でした。少しだまされた感はありましたがやるからにはやろうということで、一心不乱で仕事に取り組みました。職場は5人程度でしたがそのうち、上司と先輩が学会員と2人いたことです。僕も含めると3人で、カミングアウトすればもう一人の先輩の立場というか、居心地もなんとなく悪くさせてしまうようで申し訳なかったので最初はみんなにも伏せてました。上司は仕事できる人でしたが、一日中パソコンいじくってばっかでした。先輩2人は検討つけて電話してましたが、ぼくにはそういう知識もないんで、電話するだけしまくってました。1日平均100件、売り上げ上がんないときは、200件くらいかけてました。ほとんど門前払いが多かったのですが、入社して2週間くらいしてはじめて契約できたときは本当に嬉しかったです。
 月日がたつにつれ、会社の中も段々分かってきました。上司と先輩2人の中が悪かったということです。ぼくは。先輩2人についていきました。よく飲みに行ったり、パチンコで遊んだりして交流を深めていましたが、ぼくの仕事に対する姿勢を上司が評価しているのか、東京にあった子会社を廃止して、この支社に来ることになり上司とぼくがその子会社に移り、先輩2人が支社に残ることになりました。
 対立はさらに深くなり、支社の売り上げも下がってきて、とうとう支社を廃して、先輩2人は子会社に移籍してこの事務所に残るか、または本社へ移るかの選択をせまられました。2人は上司について仕事することはできないと移籍を拒否し、本社に移ることを決断しました。ぼくのことをよく面倒みてくれたのは、上司ではなく、先輩たちだったので、去る事なったときはさびしい思いがしました。
 ぼくは一大決心して、社長に自分も本社に移ることを訴え出るとともに、自分も学会員であること打ち明けることを決意しました。(すでに社長も学会員であることも知っていましたが)
 でもなんとかあのH君(上司のこと)を支えてやってくれと説得され、苦渋でしたが子会社に残ることに決めました。
 それからは、まるで生き地獄のようでした。学会バリの数字の報告何から何までの細かい数字を報告し、売り上げなければドヤされる(営業だから当たり前か)。
 上司が内部の人だから余計に仕事場にまで学会でやってきていることを持って来て、公私混同の状態でした。それからあとに聞かされたのは、子会社に移ってきたもう一人の上司が、自らの保身のために創価学会に入会したこと(本社では、疎外されていたので、リストラされないように社長の折伏で)でした。はっきりいってこの状態はおかしい、そう思いました。そう考えればそう考えるほど、唱題を上げて、自分も本社移動になるように祈って来ました。その3ヵ月後にそれが実現しました。また、一緒にやれると思ったのですが、内部じゃない先輩が僕が移ってすぐ退職することになったのです。もうこんな古臭い仕事では会社は持たないと見限っての決断でした。ぼくは移ったばかりなので、後を追うことはしませんでした。
雰囲気は前と違ってとてもよかったです。まあ個人的な対立みたいなものはあったのですが、比べ物にならないくらいでした。ぼくの売り上げも徐々に上がっていきました。
 やめた先輩の予測したとおり、会社の経営が苦しくなり、とうとう給料の遅配まで来てしまいました。でもぼくは許せなかった部分がありました。給料日間近になると社長がフッと会社からいなくなってしまうのです。給料日だと思って、口座の残高照会を見てみると、
「あ、入ってない、おかしいな」
よくよく本社の上司に聞いてみたら、給料の支給が遅れるとのことでした。これが3回くらい続きました。ぼくは給料の遅配なんてどうでもよかったんです。会社が危ないなら、なら自分が今まで以上にがんばって、売り上げを上げていこうと決意(学会用語?)するんですが。どうしても許せなかったのが、遅れるということを社長の口から言わなかった。言ってほしかった。学会でも幹部をされているんだからなおさらでした(当時はほんとそう思いました。今考えれば、学会員だって人間なんだから仕方ないのかも(^^;)。とても勇気が必要なことだとは思いますが、逃げてほしくなかった。そうして頂ければ、ぼくは今も、この会社に勤めていたかも知れません。もう、それでそうなったら未来もないだろう、ぼくはそう思ってやめる決心をしました。
 歓送会もやって頂いて、みんないい人だと思います。子会社にいる上司2人を除いては。
 ぼくもたまにそのローカル紙をみて、この会社の広告をみるとまだやってんだなあ、みんな元気してるかなあと上を見上げます。でもやっぱ広告の数減ったなあ。ぼくは最後の仕事は半分くらい5段紙面を埋めるほど集めましたから。
もう一つは別記事で・・・

1 コメント

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Unknown (みく)
2005-09-20 02:08:34
ittoさんどうもです♪

リンクの件ですが、こちらからも是非、

宜しくお願いいたしますm(__)m



お仕事されてきた経過をあらためて

読ませていただきました。



内部の方がお仕事にも絡むと、

場合によっては何かとやりづらい面も

出てくるでしょうね。

信心している人だからと言って、

必ず良識ある人かといえば、やはり

いろんな方が存在するのは当然ですよね。

私はかつて、信心している方だから

安心という見方を強く持っていた事がありました。

でも、組織を通じてもいろんな方が居ると

あらためて思いましたので、そういう見方は

一切しないことにしました。



どんなに強情な信心をされてる方でも

人間誰しも「凡夫」ですもんね。。。



ittoさんはそんな中でも、ご自身の努力が

あったからこそ、今に至っていると思います。

ご自身の信念もあったからこそ、

祈りも通じるという結果ですよね。