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豊後・日出の賢人~帆足万里~

2008-09-30 23:33:50 | 正喜塾長
文政5年(1822)杵築より竹田荘へと向かう田能村竹田は
「岡阜(岡や山)は高低、洲渚は曲折す。・・終日山光水色の間を往復し、
神情甚だ舒ぶ」と絶賛している。

天文15年(1546)には、喜望峰を発見したバスコ・ダ・ガマの子
ヅァルテ・ダ・ガマが入港し、府内へと向かった。。

日出藩の殿様木下候は、北の政所の親戚。。故に、何度となく訪れている。

しかし、現在樹齢500年を誇る松屋寺の蘇鉄を見る以外、

今は訪れる人も少なく、侘しささえ漂う町である。

ここに、豊後三賢人のひとり帆足万里は生まれた。。

安芸の三浦梅園や日田の広瀬淡窓との交流で、学問に打ち込める土台はあった。。

日出藩の家老となり藩政の立て直しや藩校[致道館]への尽力。。

自然科学、蘭学、、すべての学問への探求心たるや、凄いものがある。。

彼のもとには、豊前豊後は勿論、九州各地、遠くは越後から数百人が集った。。


帆足万里が開いていた私塾跡へ向かったが、山道は木や竹に覆われ行く手を阻まれた。。

葉が落ちた頃に、また来るつもりだ。。。

画像は、帆足万里先生の墓。。。なぜ、このように保護されているのか。。

↓こちらをお読みください。

このような、地元の偉人の話を子供たちが知らない。。親が知らない。。
このような偉人がいた事実を、子供たちに意識させることは大事なことだと思うのだが。。
以前、元教育長に話を聞いていただいたことがあります。
「この町の教育を改善するには、この町をこよなく愛する先生を集めることが大切ではないでしょうか」

いかがでしょうか??


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