文教ゼミ The Bunkyo!!~光り輝く一人ひとりのために~

小1から大学受験までのトータルエデュケーション

『感謝されること』と『学習力』~4回目~

2008-01-25 19:12:10 | 正喜塾長
【安心すれば、夢中になれる、集中できる】

子どもたちが一番嬉しくなるときは、家族、特に親からの感謝を受けたときです。
そのときに不安や心配といったことがなくなり、とてもリラックスすることができます。
リラックスすると集中する力が高まり、夢中になることができます。
ですからこれを使いましょう、というわけなのです。

子どものころ誉められたり、ありがとう、助かったよ、嬉しいよと感謝されていると、
集中力が高まり、夢中になることができます。
周りに敵がいないので安心して物事に集中できます。
つまりそういう環境で育つことで『夢中になる力』が育つのです。
幼児期にいろいろなことをさせて自由にのびのびとさせなさいといいます。
これは夢中になって「何かをする喜びを味わう」ことが大切だからです。

【15分でやる気を高めることができる】

「うちの子は、全然勉強しないんです。」「怒らないと机に向かわないんです。」etc
だからといって、いつもいつも強制ばかりしていては、お母さんも疲れます。
いや、それ以上に子どもの心は「怒られるから・・・」が、大前提になります。
しかし、いつまで恐怖のモティベーションで従わせることができるでしょう。
その歯止めがなくなったとき、それでも机に向かうお子様になっているか。。
受験目前の中3生なら仕方ない部分もありますが、
もしそうでなければ、しなくちゃいけないことだからこそ、
強制ではなく練習をさせてあげてください。
どういうことかというと、「15分だけ・・」から始めてほしいのです。
まず、「15分ならやれる力」を持たせてあげてください。
お母さんはお子さんに「勉強しなさい」とは言うのではなくて
「15分間学習」、「15分だけ手伝い」から始めてほしいのです。
15分だけの「手伝い」でも、お母さんは素直に「ありがとう」と言えるでしょう。
今まで5分たりとも机に向かったことのない子どもが
15分だけでも机に向かうことができれば、それはすごい進歩ではないでしょうか。

「でも、15分ぐらい・・・」と、聞こえてきそうですね。
「15分だけのお手伝い」「15分だけの学習」を始めて、
感謝の言葉や認めてくれる言葉をどんどん浴びせられてくると、
次第に顔つきがよくなってきます。そして、素直な子になっていきます。
いつの間にか15分が、30分や1時間になっていきます。。

中学まで恐怖のモティベーションによって、親御さんに服従していたお子さんの中には、
中学後半、あるいは高校ではじける場合を多々見てきました。
変な話ですが、中学まではわが子の成績に躍起になっていた保護者の方も、
高校に入るとなぜ放置になるんでしょうか????
もういい加減、一人立ちしろ!ということなのでしょうか。。
それでしたら、中学時代から予行練習させておかないと。。と思いますが。

私立高校特待生選抜入試の結果が出ました。
全額免除1名、半額免除3名
おめでとう!
公立高校入試まで突っ走って行きましょう!!


画像は、大分港5号地から見える九重の噴煙です。
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『感謝されること』と『学習力』~3回目~

2008-01-18 17:50:30 | 正喜塾長
~「ありがとう」「嬉しいよ」「助かったよ」で育む~

「感謝して育てる」ということ。
これが「誉める」にもまさる、もう1つの心を開く方法なのです。
なぜなら、感謝する、されるという関係には上下関係がないからです。
ですから、とくに小学生には家の手伝いをしなさいとよく言います。
「お手伝いをすると頭が良くなるよ」というのです。
いやなこと、つまらないこと、面倒なこと、でもしなくちゃならないことは世の中にたくさんある。
しぶしぶやるのではなく。「何かお母さん手伝うことない? ただし5分だよ」といってごらんなさいと。
家族のためだったら何でもいいから5分間手伝ってごらんと。
脱ぎ捨てた着物をたたんで洗濯かごに入れるのでもいいし、
散らかした新聞をまとめて所定のところに置くことでもいいのです。
家族のために役立つことをしてみてください。
そして、お母さんには
「よく気がついたね、すごいじゃない。ありがとう、助かったわ」と
言ってあげてくださいと言います。
ありがとう助かったよ。嬉しいよといわれるとどうなるでしょうか。子どもは嬉しくなるのですね。
人から感謝されると嬉しくなります。気持ちが落ち着いてきます。
すなわち役に立つ自分を発見することは喜びなのです。大きな喜びなのです。
「役立つ自己発見」、これがひいては学力をつくる大きな原動力になるのです。


脱線:この「役に立つ自分」の発見は、こんな事件も起こしました。
彼は、普通科に通う高校2年生。。しかし、成績は“下”。。。
学校へ行っても授業はわからない。。テストの点数は悪い。。
先生からも、親からも、毎日のように『ガミガミ』言われていた。。
そんな彼が『イキイキ』とし始めた。。
バイトを始めたのである。。それでなぜ「イキイキ」となったのか。。
「お前、よくやってくれるなぁ」
「その仕事、お前に任せても大丈夫やな」
どうです。こんなことを、バイト先で毎日のように言われている彼の顔を想像してください。
想像する顔は「笑顔」でしょう。。それも、満面の。。
認めてもらうことの「喜び」は、すべての人に共通なのです。
「よ~し、もっともっとがんばって、もっともっと認めてもらうぞ~!」
と、彼は思ったのです。こんな「やりがい」を、彼は初めて感じたのです。
そこまでは、よかった。。。
その後、「俺、高校やめる。」と言い始めたから大変になったわけです。
そんな彼もしっかり卒業し、その会社へ就職。
挙句には、その会社のテレビCMにまで出てきていました。
テレビを通して見る彼の笑顔はすばらしい。
「がんばってますよ~」と聞こえてきます。

「認めてあげる」ことの大切さ、面談の際にもお伝えします。
そして、その大切さは親御さんも重々ご承知のことと思います。
しかし、、、、
「でもね、、、、、」これが、親御さんの次の言葉です。。
わが子の『出来ていない』部分が多すぎるらしいのです。。
前回にも書きましたが、あくまで順序を間違えないように伝えていきましょう。


別府湾から別府を見たときに、扇型に裾野が広がる『扇山』
高校時代のマラソン大会は、高校からあの山の頂上往復でした。

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『感謝されること』と『学習力』~2回目~

2008-01-16 15:01:17 | 正喜塾長
【誉めることには落とし穴もある?】

昔から人を教育するには「誉める」と「叱る」しかないといいます。
「七つ誉めて三つ叱れ」云々。
そういう教育の仕方が基本だといいますが、そうでしょうか。
なぜかというと、「誉める」「叱る」「誉められる」「叱られる」ということにおいて、
その根底には【上下の関係】があります。
この【上下の関係】が、通用する時期は限られています。

子どもは成長していきます。
同時に、一人の人間として『認めてほしい』欲求も育ちます。
それが、小学校高学年から見られる「反抗期」なのです。
つまりは、反抗期=自己の発見なのです。
ですから、この頃から「褒める」ことの威力が少なくなっていきます。
裏を見る力も身につき、お母さんに誉められても、素直に喜べなくなるのです。
「誉めて何かやらせようとしているな」とか、「おだてには乗らないぞ」といったようにです。

中学生くらいになると、この成長する力が、またいたずらをします。
「へそ曲がり」になるのです。思っていることと言っていることが逆転します。
例えば、親から「部屋が汚いから片付けなさい」といわれます。
これの従うのは上下関係を認めたことになるので、「うるさい!わかってる」といいます。
「片付けなくちゃいけないのはわかっている。でもうるさい」
このときの「うるさい」というのは上下関係がうるさいのですね。
しかし、親には「うるさい」といったことしか伝わらないのでトラブルになります。

このように【上下の関係】は破綻してしまいます。
しかしながら、「親」にとって目の前の人間は「わが子」。
わが子の成長を願わない親はいないと思います。
ひとりの人間としての成長を願いながら接してはいるものの、
子どもの側が感じる「上から目線」に対して反抗心が育ってしまうのです。
では、どう接していくようにすればいいか。。。
ひと言で言うなら、「子どもに感謝しましょう。感謝の言葉を与えましょう。」
次回へ。

うっすらと雪化粧の由布岳~その麓が湯布院です~

反抗期があって当たり前?!・・・・・とは、思わないでください。
反抗期もなく笑みの絶えないご家庭もありますよ。
わが子は、何に反抗しているのでしょうか。。

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『感謝されること』と『学習力』

2008-01-12 18:44:53 | 正喜塾長
昨日の内容に加えて。。。

人間というのは、たくさんの力をもって生まれてきます。
そして、大体同じような成長の過程を踏んでいきます。
それがなぜ10年、15年も経つと、大きな差になってしまうのでしょうか。

ここで砂時計を想像してみてください。
砂時計の砂の落ちる速度というのは真中のくびれの太さによります。
太ければ太いほど、ドンドン砂は落ちていきます。
細ければ細いほど、少しずつしか砂は落ちず、下にたまるのも少しだけということになります。
この砂を人間の「人間の能力」にたとえると、
くびれの太い人ほどいろいろなことを吸収して、自分の能力をたくさん蓄積することができます。
一方、くびれの細い人は少しずつしか砂が落ちないので、なかなか砂はたまっていきません。
くびれの細い人はなかなか力を発揮できないということになるのです。
このくびれの開き方に違いがあって、それが成長とともに大きな差になっていくのだと思います。
では、どうしたら開いて、どうしたら閉じるのでしょうか。

Ⅰ「命令」「脅迫」「強制」で心が閉じる

閉じる原因には3つあります。
誰しも心当たりがあると思いますが、
①「命令形で言われること」・・・「~しなさい」
②言葉は悪いですが「脅迫されている場合」。
  「しっかり勉強しないとみんなに追いついていかれないよ」
  「高校(大学)なんか行けやしないんだから」等々の言い方です。
  こういわれるとギュッと閉じてしまいます。
③「何かを強制される」

簡単な例を挙げますと
①「早く起きなさい!」と、まず声掛け
②「起きないと、遅刻するわよ!」と脅迫がはいり、
③起きてこなければ、強制的に布団をはがす!
その後、本人とお母さんで笑みがこぼれるようなら大丈夫ですが、
ほとんどの場合、朝から口喧嘩の始まり!にはならないですか?
これでは、むしゃくしゃした心の状態のまま授業を受けることになります。
その内容の理解、吸収はいかがなものでしょうか。。

しかし、1度閉じてしまっても心配は要らないのです。また開けばいいんです。
先生から誉められる、親から誉められる、このとき子どもは嬉しくなります。
その結果、子どもにやる気が出てくるのです。
例えば描いた絵を誉められるとします。
するとどの子も同じことを言うのです。「じゃあ先生、もう1枚書くからね」と。
これがその子の持っている本来の力です。これが開いたということになるのです。

つづく。。。参考:「頭のよくなる読み薬」武田利幸氏著
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あたたかい雨~春の様相~

2008-01-11 19:38:10 | 正喜塾長
雨模様。。。しかし、あたたかい。。
まるで春の雨。。。来週、冬にUターン。。。
受験生諸君、体調管理も受験勉強の一つ。。
気をつけましょう。


~「母親の立場」から教育を考える~ 
「子供の成長と学びを見守る母の会」より
「子どもの育ちを妨げる大人の行動」

(1)先取りする
まず頭に浮かぶのは先取り教育でしょう。
「よその子に比べ、うちの子は進んでいる」というと、
親にとれば、それは安心でしょう。
学童期に入ったときに、人より先に先に進んでいるわけですから、
勉強に困らないだろう、
きっとこのまま苦労せずいい学校に行ってくれるだろうというのは、
親の単なるエゴでしかありません。

(2)せきたてる
子どもはひとりひとり別のペースを持って生きています。
「○○ちゃんより、うちの子はペースが遅い」と感じると、
ついつい子どもをせきたててしまいます。
せっかくその子がいちばん安定したペースで物事に取り組んでいても、
せきたてられたら、その子の頭の中は大混乱です。

(3)中断
大人の時間に合わせようとすると、
子どもの行っている行為を中断させねばならないことがありますが、
これもいけません。
大人がきちんと子どもに与える時間を決め、
その時間中は決して中断させないという心構えを持つべきです。

(4)肩代わり
大人が子どもの尻拭いをするといってもいいでしょう。
子どもが何か粗相をしたとき、
大人が子どもの責任を取ってしまうということです。
これを繰り返していると、
子どもは起きた事態を自分の問題として捉えなくなるでしょう。

(5)放任
「うちは子どもの自主性に任せています」
という保護者の方が昨今急激に増えています。
非常に聞こえはいいのですが、裏を返せば、
「どう育てていいのか分からないから、もうお手上げです。」
と言っているのと同じなのです。
親が子育てに関して責任放棄したといってもいいでしょう。
子どもはそれを敏感に感じ取ります。

今思い出しても痛ましい神戸児童殺傷事件の犯人の少年は、
神経質で消極的だったそうです。
そこでお母さんは積極性を身につけさせるために、
甘やかさず叱り付け気味に育てました。
彼が小学校3年生のとき、
あまりに異常な泣き方をしたので、医師に診てもらうと、
「ノイローゼになりかけているから、しつけを控えなさい」
と言われました。
癲癇(てんかん)発作が起こるほど激しい泣きわめき方。
生まれてきたこの世界を信じられるかどうかの瀬戸際に立たされた少年は、
脳内神経がショートするほどの感情を爆発を見せたのです。

「ボクがこわれてしまう」
「ボクのことを認めてくれないというの?」
「ボクはむちゃくちゃになってしまう」
このとき親は全力でこの少年と立ち向かわなければならなかったはずなのです。
「私はあなたのことが愛しいの」
「あなたのことが好きなの」
「あなたのことを認めている」
抱きしめ、そして全力で少年の心に立ち入らねばならなかったのです。
ところが、それを自分ではせず、医師」に任せてしまった。
わが子を放任してしまったのです。
この時、少年はどう感じたでしょう。
「ボクはこの世に祝福されずに生まれてきた」
「もう、だれも信頼できない」

もとより正しい教育論というものは存在しません。
どのようにわが子を育て、そして自立した人間に成長させるかは
すべて親が子にどのように接するかに関わってくるでしょう。
子どもにとって、親が全ての手本なのです。
ですから、お子さんと過ごすことが、
人生の中でいちばん長いであろう幼少期(6歳まで)の間に、
子どもへの環境の配慮は何より重要なのです。

子育てのご参考になれば幸いです。
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後期・後期授業が始まりました。

2008-01-10 20:42:37 | 正喜塾長
素直に3学期といえない『2学期制』のもどかしさ。。

昨日1月9日の課題診断テストの結果が、少しずつ判明してきています。

「先生、今回がんばったんで」
「見て見て!」
と持ってくる子どもたちは、【認めてほしい】のです。
このときに、どう反応してあげるか。。。ここが大切だと思います。
「ほ~♪よく、がんばったね~。」
「ここもできちょんやん!惜しかったね~」
子どもたちとともに【喜び】【悔しがり】ワイワイ。。。

もし、持ってきたとき
イイ点数には何も言わず、悪い点数のことを「何かえ、この点数は。。」
できた問題には何も言わず、「・・も、・・もできんかったん?」
これを繰り返していけば、テスト結果を見せなくなる可能性は・・・%
励ますつもりが「励まし」にならない典型です。

できなかった部分を放置することではなく、
あくまで順序を間違えないようにしてほしいのです。

褒めた(認めた)あとで、
「ここは、どうなん?もうできる?」と聞けば、その先へ進んで行けます。

ご参考になれば。。。

【挑戦する人間に 限界はない】
水泳の国際大会が開催されるときに、いつも話題になっていた選手のひとりにオーストラリアのイアン・ソープがいます。
彼は7歳までプールの水に顔をつけることさえいやがっていたと言うことを知っていますか。
その彼が、15歳で世界選手権優勝を果たしました。

また、男子100㍍走の世界では「人間は10秒より早く走ることは不可能だ」と、長く信じられてきました。
しかしどうでしょう。
現在、世界選手権やオリンピックにおいて、9秒台の記録をどれだけ目にしますか。
「絶対に10秒をきる!」
ある選手が、自分自身を信じて努力し10秒を切ったとき、
世界中の陸上選手たちは「10秒を切ることはできる」ことを知りました。
ただその意識の違いが、すべてを変えていったのです。

石川洋先生もこのようにいっています。
「限界線を引くのは他人ではない」と。

また新たな年が始まります。
思い返してください。1年がどれほど早かったかを。
そして、自分の行動はどうであったか、目標を達成できたかどうか、
自己採点をしてみて下さい。
昨年も今年も同じ365日。同じような生活をしていくべきか。

いつもいっていますが、
「変えようと思えば変えなさい。誰もじゃまはしない。ただ一人自分をのぞいては」

すばらしい目標を持ったとき、
自分で「これはうまくいくぞ!私にはできる!」と考えるか、
「これはとても実行できそうもない。私には無理だ」と言い聞かせるか。
すべては、そこなのです。

人は習慣の生きものです。
「お前はダメだ、ダメだ、ダメだ」「お前には無理、無理、無理」と言い聞かされてきた人は、
問題に出会ったときに、まず「どうせやってもできないだろう」と自分自身に言い聞かせます。
これでは、成し遂げられることであったとしても、失敗する可能性が高くなります。
そして、失敗し、「やっぱり私にはできなかった」と考えます。
これは、子育てにもあてはまります。何事にも消極的な考え方をもってしまいます。
できるなら、こういったサイクルには、はいりたくはないですよね。

今年をすばらしい年にするかどうか、それは君たち自身にかかっています。
君たちが自分に何を言い聞かせるかによって決まるのです。
今年こそ自らの力で、さらなる目標・夢を目指して、最高の年にしていきましょう。
「君ならできます」

何事にもチャレンジしていく子どもたちであってほしい。。
私の仕事にとって「教える」ことよりも「気づかせる」ことが大切。。
今年もがんばっていきます!生徒諸君、保護者の方々もがんばりましょう!

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明けまして、おめでとうございます。

2008-01-03 18:39:29 | 正喜塾長
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すばらしい朝日です。
冷え込んだ朝ほど、太陽の温もりがわかります。

さて、2007年12月30日塾生有志と大掃除!

きれいにしていただきました。
感謝です。

そして今日、気持ちよく新年度の授業がスタートできました。

中3生諸君、明日は進路決定において大事な校内模試!がんばれ!

2008年どういう年にするか。。。
来週、塾生とともに計画を立てます。
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