ことぶきと一緒

貧乏劇団座長がデブ猫ことぶきを膝の上にのせて描く徒然日記

25日~28日

2011-03-29 12:53:55 | Weblog
☆25日
月に1回の某養成所のレッスン。
スタジオは赤坂にあるのだが、赤坂サカスが驚くほど暗かった。
まぁ、今までが明るすぎたのかもしれんが。
昨年12月の赤坂サカスは華やかなイルミネーションだったけど、今年の12月はとてもじゃないけど無理だろうな。


☆26日
昼夜、舞台稽古。
冨家さんの重要なシーンなどをやる。
2人であーだこーだ芝居について議論してると「アメミット」を思い出す。
再演したいんだけどなぁ。

稽古後、居酒屋へ。
今回の我が座組の居酒屋のテーマは「絶対に食べ物を残すな」ということ。
大勢で飲みに行くと、ついつい料理を頼みすぎてしまうことがある。
実は前回、食べ切れず不覚にも少し残してしまったのだ。
猛省し、今日は完食。
これからも絶対に残さないと誓う。

・・・でもこれ、当たり前だよなぁ。

振り込まれてたギャラをちょこっと募金。


☆27日
歌とダンスの稽古。
あいかわらず僕は見てるだけ。
みんなが楽しそうに歌ったり踊ったりしてるのを見てるが好きだ。
僕は劇作家であり演出家であるけど、なにより演劇ファンだ。
芝居や歌やダンスをずっと観ていたい。

家賃を振込に行ったついでに、ちょこっと募金。


☆28日
福島の友人から連絡が届く。
原発から50キロ地点にいるので、とても心配してるのだけど、元気にやっているようだ。
あいかわらず原発は厳しい状況が続いている。
報道見てると「万策尽きてんじゃねーか、これ?」とか思ったりもしちゃう。

でも福島の人たちが頑張ってるのに、ビビってる場合じゃねぇと震いたたせる。
原発に憎しみの感情を送り込むより、愛情を注いだ方がおとなしくなってくれるんじゃないかとか真剣に思ってる。
悪いのは原発とか放射性物質ではなく、人間だもんな。
今までさんざん人間のために働いて、おかしくなったら罵倒されてじゃ、原発も可哀想だ。
責められるべきは人間。
ってことは黙視してた自分でもあるってことか。

いずれにしても、これからの日本は放射線との長いおつきあいが始まるんだろうな。


いろんなことをグルグル考える日々が続くが、コトブキはあいかわらず日々を楽しんでおるようです。

写真は寝てたのを無理矢理起こされたコトブキ。

21日~24日

2011-03-25 23:53:30 | Weblog
☆21日
プロダクションのレッスン再開。
みんなとレッスンできるのも嬉しいけど、働けることの幸せというのも感じる。
いつも以上にテンション上げて、6時間(2クラス)レッスンに打ち込む。
震災ですっかりバレンタインデーのお返しをするのを忘れていた。
チョコくれたレッスン生たちごめんなさい。


☆22日
舞台監督が稽古場に来てくれる。
いろいろ打ち合わせ中に、監督に電話が。
他の現場の話らしい。
「え、そこもないの?まいったな、セット作れねーじゃん・・・」みたいな会話。
電話を切ったあと、どうかした?って聞くと、どうやら東京にあまり材木がないらしい。
東京の材木がどんどん復興のために東北に運ばれているとのこと。
まぁ、当然だ。
しばらくはセットに金のかからない脚本を書こうかと考える。

稽古はまずまず順調に進んだ。
終わったあとに、何人かとご飯(写真)。
いつも満員の中華料理屋がガラガラだった。
飲食店、厳しいのかな。


☆23日
荘子の言葉に「不測に立ちて無有に遊ぶ」ってのがある。
簡単に言うと、先のことなんか考えず、今ある状況に身を任せて遊び(生き)なさいって感じ(だと解釈してます)。

なかなかこれを実行するのは難しいと思われる。

しかし、いろんな不安が頭の中を支配する今こそ「無有に遊ぶ」気持ちに挑みたい。

なんてことを考えてたら、稽古に遅刻しそうになった。

例の水の報道があって、稽古後には見事にお店から水が消え去っていた。

そんな1日。


☆24日
中断していた執筆を再開。
こんなことが起こって、いったいこれから何を書きゃいいんだ俺は的に悩んでいたけど、とりあえず依頼されてる脚本なので、個人的なことは置いておいて「仕事」として始めよう。
2ページ書いたよ。

昼はダンスの稽古。
基本的にダンスは振付けの先生が指導するので、僕は仕事がない。
でも先生と構成の打ち合わせがあるので、今日も六本木へ。
しかし、ダンスは観てて楽しいな。



「神は乗り越えられる人にだけ、その試練を与える」みたいな言葉があって、今回もわりにテレビでそれを言ってる人がいて、そして僕もそんなふうに思っていたけれど、今、この現実を見て、いや乗り越えられない試練だってあるんじゃないかと思ったりもした。
決して軽々しく言えるような言葉じゃなかったんだな、こういうのって。

いろいろ考える日々が続くけど、今はただ「無有に遊ぶ」気持ちを目指して・・・。

あともっと「潔い男」でありたいと強く思う今日この頃。


17日~20日

2011-03-21 12:29:30 | Weblog
☆17日
ダンスの稽古日。
地震の影響で、2人欠席。
それ以外は、元気に参加。
時間的事情から、残念だけど休んだ2人はダンスメンバーから外れる。
振付けの先生のもと、みんな踊りまくる。

夕方、大規模停電の恐れあり、ということで稽古は途中でストップ。解散。
スタジオの上にある事務所から情報が僕に入り、僕がスタジオに降りて

「すいません、稽古の途中ですが、今報道で・・・。」

と言った瞬間、みんなの顔にものすごい緊張感が走った。
みんな明るく振る舞ってるが、恐怖心と戦っているんだなと思った。

みんなを見届けたあと、ダッシュで電車に。
激混みでしたが、なんとか帰れた。


☆18日
やっと芝居の稽古。
歌やらダンスやらばかりやってたので、やっと僕の出番である。
冨家さんも参加。
冨家のアニキ、燃えてます(笑)。

熱いアニキに引っ張られ、稽古にも熱が。

稽古ができる喜びを感じる1日。


☆19日
今日も稽古。
あいかわらず休みが多いので、代役代役ばかりで稽古。
本来、出番のないダンサーの子が志願して、代役のために稽古に駆けつけてくれた。
主演の滝川綾も代役を買って出てくれた。
代役の綾が「三十路に突入」というセリフの「突入」が毎回「トチュニュー」になってしまうのが稽古場の笑いを誘った。

役者の何人かが台本の表紙や裏に「頑張れ、東北!」みたいなのをマジックで書いてた。
役者の中には、余震が怖くてここ数日、ほとんど寝れてないという子もいた。
でも頑張るって言ってました。
今回もいいメンバーに恵まれたと実感。

もう絆はしっかり深まっています。


☆20日
歌とダンスの稽古日。

休んでいたハラトモこと原田も復帰。
彼女は歌の指導助手なので、先生が来られない時は、責任者である。
体調がよくない中、しっかりまとめて充実した稽古ができる。

茜の元気な歌声が稽古場に響き渡る。
「サンジャポ」出演を終えて駆けつけた綾も、後半は歌に参加。

ダンスも5時間踊りっぱなし。

ちなみに僕は7時間見てただけ(笑)。

残念なことに、来月予定されていた、僕が脚本を提供した劇団が公演を中止することを発表した。
仕方ない。

知り合いの中では、上演を強行してる団体もあるのだが、けっこうバッシングされたりもするらしい。
「芝居どころじゃないだろ」とか「電気のムダだ」とか。

演劇人にとっても、いま芝居をやることが正しいことなのかどうか、正直答えが見いだせない。
それぞれの決断ということになるのだろう。

とにかく、少しずつ平穏が戻りつつあるが、あの時の気持ちは忘れぬよう、今できることをしっかりやっていくことだけ考えよう。

11日~16日

2011-03-16 22:22:42 | Weblog
☆11日
そのとき、阿佐ヶ谷で劇団員の中迫達也の舞台を観ていた。
当然、途中で芝居は中断して、客は避難。
公演は中止に。
出演者、スタッフ、観客にケガはなかった。

電車が止まっていたので、歩いて幡ケ谷の稽古場に向かおうと決める。
30分くらい歩いて、運良くバスと遭遇したのでバスで幡ケ谷へ。
夜はワークショップだったのだが、電車が動いてないので中止のメールを送る。
しかし、メールがすぐに届かず、自転車とバイクの子が稽古場に来る。
しばらく話をして解散。

だが町田が自宅の僕は帰れず。
馬場にいた妻が歩いて幡ケ谷まで来る。
コトブキが心配なので、タクシーを拾って帰ろうと甲州街道に出るが当然大渋滞。
2人で気合い入れて、歩けるところまで歩こうと決める。
途中、深夜にもかかわらず、手作りのおにぎりを歩いている人に配っている女性2人がいた。
僕らよりもっとお腹のすいてる方にと遠慮する。

2時間くらいかけて、なんとか成城あたりまで歩き、ようやくタクシーを拾う。
渋滞で時間はかかったが、なんとか帰宅。
本棚とかが倒れていたが、割れモノは大丈夫だった。
コトブキがなかなか押し入れから出てこず。
相当怯えていた。声すら出さない。
抱きしめて寝る。

☆12日
あまり記憶がない。
稽古が中止になった。
テレビの映像に呆然としていた。
コトブキはいつもの元気を取り戻した。
めちゃめちゃ食べてた。

☆13日
稽古実行。
六本木のスタジオへ。
余震で一旦電車は止まったものの無事に到着。
今日は歌の練習。
5月の公演は大勢でゴスペルを歌うシーンがある。
ゴスペルの先生指導のもと、役者たちが歌の練習。

僕は用がないので稽古を見学したり、プロデューサーと今後のことを話し合う。
まずは何と言っても、今回の団体名について。
「客席を感動で震わせたい」という気持ちをこめて名付けたのだが・・・
チラシは作ってしまったのでしょうがない、でも今後は名前を前面に押し出すことは辞めようと決定。
宣伝も当分は控える。
役者にもその旨を伝える。
もし来年以降も続けるなら、名前の変更も検討。

稽古場にゴスペルの歌声が響き渡る。
不覚にも泣きそうになる。

☆14日
計画停電の影響もあり、プロダクションのレッスンは中止に。
終日、自宅にて公演の準備作業など。
こういう時は、できることをやるしかない。
とは言っても報道が気になり、あまり集中できない。
ブログを書こうかどうしようか迷うが、整理がつかず書くのを辞める。
友人たちの公演中止のメールが続く。
こんな時に芝居なんてと言われるかもしれないけど、芝居に人生賭けてる連中が芝居できないことがどれだけ辛いことか。
仲の良い友人と電話で話をして「大道芸でもなんでも芝居やり続けようぜ」と話す。

☆15日
夜はワークショップ。
先月から、若手劇団のメンバーを指導している。
状況が状況だけに何人参加するだろうかと思ってたが、全員来た。
20代前半の連中の目はキラキラしていた。
こいつらが、また舞台に立つ日が来ることを信じて、いつものように稽古。
なんと彼らは、こんな時にもかかわらず、僕に手作りのオニギリや、パンを持ってきてくれた。
ワークショップでは、幾らかの講師料を毎回手渡しでいただいているのだが、全額を寄付することにする。
僕にはオニギリやパンが最高に嬉しい報酬だった。

解散後、静岡で大きな地震。
急いでメール送るがみんな大丈夫だった。

☆16日
プロダクションのレッスン中止。
終日自宅。
原発の状況は悪化してるし、東北は今日からまた寒そうで、本当に辛い。
でも自分のできることはしなくちゃと奮い立たせる。
・・・が、やはり疲れていたのか、なんとなくダラダラしてしまった。
舞台の出演者の何人かから、実家に避難するので稽古に出られないとメールくる。
実家のご両親からしたら、気が気じゃないだろうから、しょうがない。
残ってる連中で、頑張るしかない。

明日は稽古の予定。
これはもう「本番稽古」ではないと僕は思っている。
だって本番ができるかどうかなんて、わからないんだから。
じゃあなぜ稽古するのか。
稽古できる喜びを感じるためだ。
愛する芝居を稽古できること、それだけを感じるためだけに稽古する。

夜。
こうやって久しぶりに日記を書いている。



離れてる友人に元気な顔を見せたいので、コトブキとのツーショット写真載せます。

まさかのギックリ

2011-03-10 00:28:56 | Weblog
先日、稽古場の大掃除中に、腰がグキッとなってしまいました。
久しぶりのギックリ腰。
そんなにひどくはなかったんですけど、でも態勢によっては痛みが走る状態に。

なので今日のダンスレッスンは、悔しいけれど見学。

そしたら、なんとダンスの先生、甘城美典もギックリ腰になっていた!
ダンスの練習で疲労が溜まってやっちゃったらしい。

しかし彼女は責任感が強い。
痛みを我慢して今日も熱心に指導してくれた。
そんな彼女に胸が熱くなった青田は、痛い腰をかばいながらダンスに途中参加。
そしたら、力が抜けて意外に踊れた(笑)。
まぁ、下半身は全然使えてない状態だったから、ダンスとは言えないけど。

しかし、腰が痛いってのはツラいですね。
よく言われることだけど、要(かなめ)って文字が「腰」の漢字の中に入ってる意味がよくわかります。

とりあえず当分は無理はしないようにしたいと思います。

明日からは5月公演の稽古がスタートします!