ころがせ複勝!

日々のぼんくらな生活の中でのあれやこれや…

本を読む (沈黙の王 by 宮城谷昌光)

2007-10-04 23:32:49 | 読書

文字を創造した高宗武丁の話ほか4篇。

この話は史実なのだろうか、言い伝えなのだろうか?
文字(甲骨文字)を創造した王は言語に障害があったという設定(又は史実)。
または、父の喪を守り3年間沈黙していたため言葉がなかったといわれている。
学生のmajorが中国文学だったので、中国史は採ったはずだー。
当時、殷(商)の時代が実在したというのが証明され、それ以前に夏時代があるんだけんども…。
という内容のテキストだったような気がする(記憶曖昧)。
B.C.1600年ころ~B.C.1046年の殷の時代に、王がいて、街があり、戦争していたのか、民族同士の小競り合いだったのか。
どっちにしても途方もない話だ、想像もつかない。
当時の人は何を食べていたんだろう?しかも高宗武丁は殷の第22代の王だっていうんだから、BC1300年位の話か?
そこまで21代続いてきたプロセスそのものがすごいし、それが解るところがすごいもんだ。
うちはどの位遡ることができるんだろう?

言葉がないために「文字を作れ」と命令する王。
「白」は雪の白もあれば、肌の白もある。それをわからせる図柄を考案せよ。
しかし考案したところで、informしなければ誰も知らないままだし…。
文字流通(?)の過程を考えると、非常に「果てしねー」感じで、もうお引取りさせていただきます。

宮城谷昌光氏の小説の中で、たまに「殺」という文字の本来の意味は、もう1つこんな意味が含まれている…。なんて話が出てくることがある。
「殺」がどうだったかというのは(だいたいそんな話があったかどうかさえ??)
忘れているが、現在、何でこんな漢字を使うんだ?と思う汎用句について説明がなされている時があり、激しく納得していたりする、電車の中でひとりでアヤシクうなずいていたりだ。

途方もないことを3500年も昔から中国の人は考えていた、武丁があったおかげで、我はこうやって文字を書いているのかと。
そんな感想。んんんんん~…


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