一番に報告しなくてはならないことでしたが、このことでなかなか前に進めませんでした。
5月25日まめが突然亡くなりました。
何から説明すれば良いのか今も混乱します。
長くて読みにくい文章になってしまうかもしれません。
打ってる途中で思い出しては泣いてしまうので、読み返すのも苦痛でくどい内容になってしまうかもしれません。
お許しください。
朝は他の子に威嚇するほど元気にご飯を食べました。
そう、いつものようになんの変わりもなく。
その日はとっても楽しみにしていたオフ会でした。
何を着せようか、みんなに可愛がって貰えるように笑いがとれるように、インパクトがあるように喜びで旦那と衣装を考えました。
そして以前も着たことのある衣装を私が選んで着せました。
その時少しきつがっていたのですが、前も着たことがあったしその後大丈夫そうだったのでそのまま着せて出発しました。
地下駐車場に着いてカートに乗せて地上に出た途端、旦那がまめの異変に気付いた。
服とリードを外した途端少し苦しそうな様子のまめがぐったりとなった。
前にも食べ物を詰まらせたことがあったので、その時はノドに指を突っ込み吐かせたから同じように処置をした。
それでも意識が戻らないので人工呼吸と心臓マッサージを施した。
でもそこは素人、今思えば空気が漏れていてしっかり体の中に入ってはいなかった。
通りすがりの方達が動物病院を探して連絡を取ってくれていた。
もう信号無視でよく事故らなかったと思うぐらい急いで駆けつけた。
多分20分くらいは経ってしまったと思う。
それから更に20分くらい先生はずっと心臓マッサージを休まずしてくれました。
私達を診察室に呼んでくれて目の前でひたすら処置をしてくれました。
そのあいだにも書類に記入しなくてはならないのに手が震えて書けない。
さっき自分が処置していた時は旦那に車を持って来るように、子供には誰か呼んで来るように、カートを畳んでいた旦那にそのままでいいから車に乗せて出発するように、病院までのナビを自分がセットしたりとまめを処置しながら私が指示を出していた。
私の性格からしてしょうのないことかもしれないけど、指示を出さないと解らない旦那にイラついていた。
でも先生にまめを託して初めて、震えて泣いている自分に気付いた。
本当は涙もろいクセにそんな姿を旦那に見せることは滅多にないので、そんな私の替わりに書類を書いてくれた旦那。
こんなことで旦那のありがたみを感じるとはなんて皮肉なんだろう。
亡くなったのを確認してから綺麗にしますのでと言われ10分くらい待たされた。
そして渡されたのは箱に入れられたまめでした。
正直ビックリしたのが、うちには以前里親として迎えたボストンテリアがいたのですが、我が家に来る前からかかっていたフィラリアで1年も経たずに死んでしまった子がいるんです。
その子を病院から引き取った時は箱もなにもない丸々そのままを引き取って来たのです。
それが普通だと思ったのでその時は何も思いませんでしたが、この病院はこんな丁寧に扱ってくれるなんて何故かなおさら悲しみがこみ上げてきました。
飛び込みだったのに最優先で処置をしてくれて、役に立たずすみませんでしたと謝まってきた先生。
その対応に感謝でした。
その後心配してくれていたオフ会の幹事コテままさんに挨拶に行きました。
本当に一瞬の出来事で混乱しながらもコテままさんに病院を聞くため連絡をしていました。
でも説明されても土地勘がないので、結局通りすがりの方が教えてくれた病院に行ったのです。
その時にあまりのパニックでコテままさんに冷たくあしらってしまいとても気になっていました。
でも逢った途端一緒に泣いてくれました。
もうそれが悪くて悪くてロクに謝ることも出来ず。。。
それでもまめを見てくれて本当に悲しんでくれた。
そしてお友達ブヒちゃんB.B家もいたので呼んで貰らい、やはりまめに最後の挨拶をしてくれました。
そして挨拶だけ済まし帰りました。
B.Bママはその日具合が悪かったのに最後までパパさんとお見送りしてくれて本当にありがとうございました。
折角楽しい集まりだったのに場を壊してしまったコテままさん、ごめんなさい。
その日たまたままめの前飼い主さんと紹介者の方と逢う約束があったのでまめを連れて行きました。
私以上に想い入れがあるのに、責められることもなくありがとうと言われ申し訳ない気持ちで潰れそうでした。
お花とお菓子を用意してくれていました。
なんだかバタバタと帰宅したのは夜。
まめがいつも陣取っていたテレビの前。
ゴチャゴチャしてるけどやっぱりココで寝かせてあげたい。
そして帰宅したのを待ってたようなタイミングでサスケ一家のかーちゃんから連絡がありました。
コテままさんが連絡をしてくれたのです。
この時はお友達に連絡したいけど、説明すると泣いてしまい話しにならなかったのでコテままさんが連絡してくれたのが本当に助かりました。
何もかもお世話になりっぱなしで感謝しても尽くし足りません。
サスケ一家からもまさか連絡が来るとは思わなかったので声を聞いた途端また泣いてしまい。。。
翌日は仕事を休みました。
するとサスケ一家からお花が届きました。
コテままさんとB.Bママとすてぃっちさんやイギーママからも連絡を貰い、みんなに気を遣わせてしまってる自分が情けなかった。
夕方には近所のワン友さんからもお花を頂き勇気づけられました。
みなさんのお心遣いに本当に感謝しています。
お線香をあげたいとも言って下さり、これほどの優しさに本当に救われました。
だけど、私は自分のエゴでまめを殺した。
可愛いからって苦しんでいたのを解ってあげず、普通の子よりノドが狭いこと普通の子とは違うってこと、解っていながら忘れていた。
本当に自分のエゴの何ものでもない。
ココで事実を告げることは情けないけど怖かった。
当然責められることだから。
でもそれではまめのことを本当に想ってるってことにはならない。
自分の過失を誤魔化すことはまめに背を向けること。
実際は解剖して調べたわけではないので原因は解りません。
でもきつい服を着せられて苦しかったと思います。
私は取り返しのつかないことをしてしまった。
もう二度と現われないあの形。
ヘンチクリンで頭とチンチンがでっかい二頭身。
5kgしかなかったわりに意外に重かった。
あの形故にみんなに愛されたまめ。
そう。
我が家のブヒだけど我が家だけのまめではなかった。
みんなのまめでした。
変な話し、ワンコを飼っていない方が可愛がってくれるのは解りますが、同じブヒ飼いさんからも愛されたブヒは珍しいのではないでしょうか?
集まりなど大勢の方に声を掛けられ、そして実際まめを見た方は必ずまめのファンになってくれました。
ブログだけしか見たことのない方も、生まめを見てすぐにまめだと気付いてくれるほどのマメの存在感。
まめと同じように小さい子はまれに見ましたが、やはり頭でっかちのヘンテコな形はいませんでした。
それだけ皆さんにも特別だったまめを私は幸せに出来なかった。
愛してくれた皆さんにも悪いことをしてしまった。
まめは本当にうちだけのアイドルではなかったんだと痛感しました。
以前病院で精密検査したところ、驚くほど健康で異常はないと言われた。
でも形が形なだけに長生きが出来ないかもとは言われていた。
それでも我が家が引き取らなかったらもっと幸せにもっと長生き出来たハズだった。
そしていつまでも悲しんでいる場合じゃなく旦那に仕事を休んで貰いまめを火葬するため霊園に託しました。
冷凍にしてでも剥製にしてでもまめをそのままの形で残しておきたかったんだけどね。。。
最後に子供達もブヒもお別れの挨拶をしました。
そして返骨して今は我が家に戻って来てます。
このままずーっと家に置いておきたいんだけどお墓があるくらいなんだからやっぱりダメなんだよね?
私はまめを幸せに出来なかったけど我が家はまめからいっぱいの幸せを貰ったよ
まめがいたから大笑い出来た
笑顔がいっぱいだった
勉強にもなった
癒された
苦労もあった
心配も不安もあった
テレビに出て本物のアイドル犬になれるかも

って夢も持てた
そしてまめを通じて沢山の方に巡り会えた
まめが特殊な体型だからみんなの目をひいて大勢の方とお話しが出来たよ
まめのお友達もいっぱいいるよね
まめが多くの人を呼んでくれたんだね
てんこ盛りの幸せを本当にありがとう
ダメな飼い主でごめんなさい。
コテままさん
B.B家
サスケ一家
すてぃっちさん
イギーママさん
前飼い主さん
サク・フブママさん
幸太ママさん
柚子ちゃんパパ・ママさん
お心遣い誠にありがとうございました
<(_ _)>
柚子ちゃん家はまめの追悼をして下さり感謝しています。
まめのことを知ってくれた
友達になってくれた
ブログで見てくれた
それだけで嬉しいし幸せだと思う。
私は幸せに出来なかったけど、、皆さんがまめを幸せにしてくれました。
まめのことを知ってくれてありがとう
おまめより皆さんへ愛をこめて
平成20年5月25日日曜日午後12時頃
横浜の山下公園駐車場出入り口付近の歩道にて
おまめ 2才 永眠
2005年7月25日誕生
2年10ヶ月を精一杯、一生懸命生きました。
お疲れ様おまめ