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拾い読みノート

本の検索の記録、つぶやきの再利用など。

北条泰時(大日本名将鑑)

2023-07-18 20:00:00 | 歴史
江戸時代から明治以降も 北条氏は朝廷や源氏に対して逆賊と言われる一方で良い評価も多くあった?

『大日本名将鑑』大蘇(月岡)芳年(1839-1892)

北條泰時
義時《よしとき》の子《こ》武蔵守《むさしのかみ》に任《にん》じ鎌倉《かまくら》の執権《しつけん》たり
承久《じやうきう》の一乱《いちらん》に兵《へい》を率《ひき》ひて京師《けいし》に上《のぼ》り
官軍《くわんぐん》に打勝《うちかち》一家《いつけ》の栄《えい》是《これ》より盛《さか》んなり
といへども性質《せいしつ》慈仁《じじん》にして一身《いつしん》を省略《せうりやく》し
餘財《よざい》ある時《とき》は是《これ》を諸民《しよみん》に施《ほどこ》す 因《よつ》て天下自然《おのづから》治《おさま》る
仁治《じんぢ》三年六月卒《そつ》す 時に年六十 北條氏《ほうでうし》九代の執権《しつけん》は獨《ひと》り泰時《やすとき》の徳《とく》に依《よれ》りと云ふ
應需 芳年 (大蘇 印)

『大日本名将鑑』(明15) (上記と同じですが表記が一部異なります)
https://dl.ndl.go.jp/pid/778332/1/21

畠山重忠の和歌(曽我物語)

2023-07-17 20:00:00 | 歴史
曽我物語の畠山重忠の和歌は創作か、何か元ネタがあるのでしょうか。

日本古典全集 曽我物語(大正15)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1021099/1/138

曽我物語(寛永4 1627) 巻第八(12)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2567691/1/64

はたけ山歌にてとふらはれし事
まだしきに。いろづく山のもみぢかな
このゆふぐれをまちて見よかし

比企の讃岐局(若狭局?)の祟り(吾妻鏡)

2023-07-15 20:00:00 | 歴史
祟りの定型文か、実際に症状があって回復することもあったのか?
文応元年(1260)、北条政村(1205-1273)は執権になる前の連署、若宮別当は隆弁(1208-1283)?

新刊吾妻鏡 巻第49(寛永3 1626)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2599740/1/35
文応元年 十月小
十五日 己酉 相州《 ノ》政村《マサムラ》息女邪気《 キヲ》煩《ワヅラヒ》。今夕殊《コトニ》悩乱《ナウランス》。比企《ヒキノ》判官女《 ガ ムスメ》讃岐局霊《サヌキノツボネガレウ》祟《タヽリヲ》為《ナスノ》之由《 シ》。自詫《シタクニ》及《 フト》云云。
件《 ノ》局大虵《 ジヤト》為《ナリ》頂《イタヽキニ》大《ナル》角《ツノ》有《 テ》。
火炎《 エンノ》如《ク》。常《 ニ》苦《クヲ》受《ウケ》當時比企谷《 カヤツノ》土中《ニ》在《ルノ》之由《シ》。言《コトバヲ》発《ハツス》。之《 ヲ》聞《キケハ》人身毛《ミノケヲ》竪《タツト》云云

https://dl.ndl.go.jp/pid/2599740/1/40
(十一月大 廿七日)
今日相州政村 一日経《 キヤウヲ》頓寫《トンシヤセ》被《 ル》。是《 レ》息女邪気《 ニ》悩《ナヤマサル》。比企《ヒキノ》判官能員《 ヨシカズガ》女子《 ノ》霊託《レウタクニ》依《 テ》。彼《 ノ》苦患《ククワンヲ》資《タスケン》為《 メ》也《ナリ》。
夜《 ニ》入《 テ》供養《 ノ》之儀《ギ》有《 リ》。 若《ワカ》宮《 ノ》別當僧正《 ヲ》請《シヤウシテ》昌導《シヤウダウト》為《 ス》。
説法《 ノ》最《サイ》中《 ニ》。件《 ノ》姫君《ヒメギミ》。悩乱《 シ》舌《 ヲ》出《 シ》。唇《クチビルヲ》舐《ネブリ》。身《 ヲ》動《 シ》。足《アシヲ》延《ノブ》。
偏《ヒトヘニ》蛇《ジヤ》身《 ノ》之出現《 セ》令《 ルニ》似《ニテ》。聴聞《 ノ》為《 メニ》霊気来臨《 スルノ》之由《 シト》云云。
僧正加持《 セ》令《 ルノ》之後《 チ》。惘《バウ》然《 トシテ》而言《 ヲ》止《ヤメ》。眠《ネムルガ》如《 ニシテ》而複《フク》本《 スト》云云。

鬼殿の由来話(古事談 続古事談)

2023-07-13 23:11:14 | 歴史
藤原朝成が怨恨で生霊(続古事談では怨霊?)になったという、鬼殿の由来話。
古事談と続古事談は鎌倉時代初期の説話集。続古事談は対抗的な異なる解釈?

古事談 第二 臣節
https://dl.ndl.go.jp/pid/3441719/1/30
其後摂政受病遂薨逝 是朝成生霊云々 依之今一條摂政子孫不入朝成旧宅 三條西洞院也 所謂鬼殿歟

続古事談 第二 臣節
https://dl.ndl.go.jp/pid/3441719/1/119
一條摂政(伊尹)は、みめいみじくよくおはしけり。 ~ 此の御子義孝の少将も、みめよかりけり。往生しける人なり。其事ことふりたれば書かず。此大臣と朝成中納言とは、うらみを結びて、怨霊になるとぞ、さて其子孫は、三條西洞院の朝成が家に不入とぞ申す。


『続古事談』と『古事談』 : 似て非なるもの
https://doi.org/10.20620/nihonbungaku.46.5_35

一休宗純 賛法然上人

2023-07-12 23:56:31 | 歴史
狂雲集(『国訳禅学大成』第十九巻 昭和5)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920759/1/178
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920759/1/217

賛法然上人
法然伝聞活如来、安坐蓮花上品臺、教智者如尼入道、一枚起請最奇哉


誓願寺の一休和尚の書?は漢詩が異なる? 都名所図会の文も実物とは少し違う?

『都名所図会』天明6 誓願寺
https://dl.ndl.go.jp/pid/2555343/1/41
https://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7t/km_01_059.html
一休本 版本新褶 京都 誓願寺蔵
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_KK000800005430

傳聞法然活如来
安坐蓮華上品䑓
尼入道同愚痴輩
一枚起請文最奇哉
南無阿弥陀佛虚堂

此外達磨虚堂いらぬもの
唯法然思おしへを
一大事与奉存我等
今日より浄土宗に
成申候穴賢/\
應仁二年三月五日
薪酬恩菴主 一休 (印)
佛御所様