江戸時代から明治以降も 北条氏は朝廷や源氏に対して逆賊と言われる一方で良い評価も多くあった?
『大日本名将鑑』大蘇(月岡)芳年(1839-1892)
北條泰時
義時《よしとき》の子《こ》武蔵守《むさしのかみ》に任《にん》じ鎌倉《かまくら》の執権《しつけん》たり
承久《じやうきう》の一乱《いちらん》に兵《へい》を率《ひき》ひて京師《けいし》に上《のぼ》り
官軍《くわんぐん》に打勝《うちかち》一家《いつけ》の栄《えい》是《これ》より盛《さか》んなり
といへども性質《せいしつ》慈仁《じじん》にして一身《いつしん》を省略《せうりやく》し
餘財《よざい》ある時《とき》は是《これ》を諸民《しよみん》に施《ほどこ》す 因《よつ》て天下自然《おのづから》治《おさま》る
仁治《じんぢ》三年六月卒《そつ》す 時に年六十 北條氏《ほうでうし》九代の執権《しつけん》は獨《ひと》り泰時《やすとき》の徳《とく》に依《よれ》りと云ふ
應需 芳年 (大蘇 印)
『大日本名将鑑』(明15) (上記と同じですが表記が一部異なります)
https://dl.ndl.go.jp/pid/778332/1/21
『大日本名将鑑』大蘇(月岡)芳年(1839-1892)
北條泰時
義時《よしとき》の子《こ》武蔵守《むさしのかみ》に任《にん》じ鎌倉《かまくら》の執権《しつけん》たり
承久《じやうきう》の一乱《いちらん》に兵《へい》を率《ひき》ひて京師《けいし》に上《のぼ》り
官軍《くわんぐん》に打勝《うちかち》一家《いつけ》の栄《えい》是《これ》より盛《さか》んなり
といへども性質《せいしつ》慈仁《じじん》にして一身《いつしん》を省略《せうりやく》し
餘財《よざい》ある時《とき》は是《これ》を諸民《しよみん》に施《ほどこ》す 因《よつ》て天下自然《おのづから》治《おさま》る
仁治《じんぢ》三年六月卒《そつ》す 時に年六十 北條氏《ほうでうし》九代の執権《しつけん》は獨《ひと》り泰時《やすとき》の徳《とく》に依《よれ》りと云ふ
應需 芳年 (大蘇 印)
『大日本名将鑑』(明15) (上記と同じですが表記が一部異なります)
https://dl.ndl.go.jp/pid/778332/1/21