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天使に挑戦する君たちへ(小西幸子)Yukiko・Konishi

たまに綴っておりますので宜しく!

天空の不思議

2010年05月20日 13時24分04秒 | 未知の世界

夜空に何やら光る物体が3つ。
というかホントは1個の物体かも知れないとひそかに思っているのだが。
「アバター」のDVDをレンタルで借りて見たその夜、夜空はこのようになっていた。

宇宙の不思議を考えざるを得ないような光景、そこはかとない空の突き当たりはどこなのだろう。思いが通じている。そういうふうに思えた。
我々の知らない世界があるのだ。想像も出来ないような美しいものが沢山あるに違いないと思う。
地球上では戦争が起こり争いが絶えないし人々の心は荒廃しすさんでゆく。
それはこういう宇宙の美しい部分を知らないからでしょう。
目の前の事態にしか目に入ってないからで、その人たちには空の雲がどうであろうと知ったこっちゃないのであるから。
私には重大なことでも争っている人たちには関心のないことなのである。
でも彼らはわかっていない。
その関心のなさが進化と進歩を妨げているのだということを。


あつかましい人間達

2010年05月16日 00時02分31秒 | 日記
世の中にはいろんな人間のタイプがある。
そしてその中で私を困らせているタイプの人間は「あつかましい人」である。
自分の事でもないのにしゃしゃり出て来て
じぶんがやってきたことのように言い
平気で邪魔をし妨害をし当たり前みたいな顔をする
こういう人が私を困らせているのだ。

俗にいう「欲求不満タイプ」なのであろう。
欲がありすぎて自分の物だけでは足りずに人の物までちょっかいを出してしまうタイプ。
普通は理性で止めるのだが理性が効かないために突っ走って暴走する。
暴走したあげく手に入れられないと癇癪を起こし暴言を吐く。
だから常に年がら年中「欲求不満」なのである。
結局「欲深いタイプ」は「あつかましい」のである。

こういう「あつかましい」人間がまわりにいると犠牲者がどんどん増える。
私にとっての天敵なのであるが運良く私に関しては「無敵」なのである。
面と向かって言い合いをしなくても撃退できるからである。

この能力は神が与えた力であり「天使の使命」として使うべきなのである。
「あつかましい」人達の目となり耳となる訳ではない。
君たちに利用される事は天使の使命ではなくありえないのだ。
天からの使いの者の能力は正しい事を伝え人々を救う為に与えられたのである。
自分が利益を得る為でもなく名声を得る為でもなく人気を得る為でもない。
だからたった一人ででもやり遂げなければならないのだ。
いつも神が側にいるから知恵と勇気を授けてくれる。
私は少なくとも自分の為に生きているのではない。
自分以外の人の為に生きているのである。
何かを伝える為に・・・である。
基本的に人は「誰かの為に何かをしてあげられる」ことに生きる意味があるのではないだろうか。
「自分の為に何が出来るのだ」と問うような人は生きる意味という事をわかっていないのではないか。
傲慢で強欲な人間は生きている価値がないと私は思う。



妄想族の暴走

2010年05月13日 20時45分06秒 | 日記
テレビというものは何処の家庭にでもある家電製品であるが、うちにも2台あって息子が大きめの25型を使用し私は14型のテレビデオを使っている。
最近は携帯の「ワンセグ」があるので出先でも放送を視聴することができる。

さて、朝起きて大抵の人はテレビをつけることでしょうね。
私は「BBTV」しか見ないのでナショジオとかディスカバリー、ヒストリーチャンネルなどは大好きでよく見ている。
だからテレビの中には「白人と黒人」しか出てこない。
黄色人種はほとんど出てこないのだ。
それにはいろいろと訳があるのだが、見ようと思えばアジア系の番組も見る事は出来るのだがそれには問題がある。

私の周りには「妄想族」という人間達が暴走しており、私が自分たちの事を見ているという風に妄想しているらしいのだ。
私はただ単に見たい番組を見ているだけなのに、自分たちの事を観察していると妄想している人達がいるために大好きな番組も見ずにここ2日間我慢している。

妄想族の暴走を止める為に私は暫くテレビを見るのを止めて様子を見る事にしよう。
妄想が直れば良いのだが・・・どうでしょうね。



母の日

2010年05月09日 23時52分01秒 | 日記
母の日である。
特に何という事はない一日であったが、息子が母の日なんでと肩と背中をマッサージしてくれた。
ガチガチに凝っていた肩と背中が20分ほどのマッサージと指圧で結構楽になった。

「母の日」もいいもんだ。

ゴールデンウイーク最後のこどもの日

2010年05月05日 15時55分01秒 | 日記
連休最後の日、今日もお天気は良い。
連日、毛布やスーツ、コートなどをドライ用の洗剤で洗いきれいさっぱりした。
クリーニングに出せばよいのであろうが、お金が馬鹿にならないし時間はたっぷりあるのでもったいない。「貧乏暇あり」の私である。

買い物は「イズミヤの楽楽マーケット」といってネットから注文して届けてもらうシステムに頼っていて、とても便利で有り難い。
自宅から一歩もでなくても間に合ってしまうしその間にいろいろと家事がはかどる。

思うんですけれど、自分を幸せにするのは自分なのだと・・・
他の誰でもなく自分なのだと思うのです。
51年の人生の中で常に周りの人間によって左右され影響を受け自分本来の目的や希望などを阻害されてきた。
今、そういう事がなくなってから(少なくとも自分のプライベートな時間がである)自分を幸せにできるのは自分自身なのだと感じるのです。
自分の時間を自分の好きなように、好きな事に使えそれによって充実感を味わい満足感がある。これこそ幸せなのではないだろうか。

周りの人達は必ず私の周りで「不平不満」を吐き捨てていますが、きっと自分を幸せにする方法を知らないのだと思うのです。常に自分以外の他人にそれを要求しその要求が拒否されると自分は不幸だとかぶち切れてしまうような人がいますが、それは間違いです。

自分が幸せになれるのにその方法を知らないと言うか見つけられないから、常に他人に要求するのです。
それに、欲の強すぎる人はどこまでいっても満足する事は無いでしょうし宇宙の果てまで行ったとしても「君の満足できる惑星は無い」と言われるでしょう。

私は連休中にレンタルで借りたCDを自分用にコピーしてお気に入りにアレンジして「世界に1枚しか無い私のCD」を作成した。それは私の「幸せの一部」である。
自分の好きなように時間が使えるというのはとても幸せな事です。
子育ての間好きなように時間が使えず四苦八苦したことや、1週間休み無く働いていた頃の事を思い出すと、今は時間ってこんなに貴重だったのだと思う。

それなのに他人に愚痴を言う時間や喧嘩を売る時間などもったいないではないか。
自分を幸せにする為に使う時間ほど貴重なものはないのである。
そのことを知るべきである。

最近頻繁にベランダを訪れる「鳩のウーちゃん」です。
彼?か彼女?かは知らないがウーちゃんも私を幸せにしてくれる。