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原発事故3.11 今日はあの日の1日前?

第二の福島はいつでも起こる。

【日本では犯罪者が政治家になり、子殺しが医師をやっている】

2013-02-18 21:37:54 | 日記
希望の「ふくしま共同診療所」
~【日本では犯罪者が政治家になり、子殺しが医師をやっている】

【祝】福島市に市民募金により、
福島医科大・山下俊一の息のかからない診療所が開院へ 
保険適用にて、甲状腺のエコー・血液検査、放射性物質尿検査等
をやってくれる
http://hibi-zakkan.net/archives/20549061.html


この診療所は、福島医科大・山下俊一の息のかかった診療所では
ありません。山下俊一が取り仕切る自治体診療所からは独立した、
自前の診療所です。妨害を受けるかもしれませんが
保険適用にて、
甲状腺のエコー・血液検査、
放射性物質尿検査等を行ないます。



原発事故:福島に募金診療所が開院へ 
住民の不安に応え

毎日新聞 2012年11月24日 11時59分(最終更新 11月24日 12時30分)

甲状腺検査用の機器の動作を確認する松江寛人医師
=福島市太田町のふくしま共同診療所で
2012年11月23日午後1時58分、蓬田正志撮影

 東京電力福島第1原発事故に伴う被ばくへの健康不安に応えようと、
市民らが募金活動をした「ふくしま共同診療所」が12月1日、
福島市太田町に開院する。
18歳以下を対象にした県の甲状腺検査用機器も備え、
セカンドオピニオンを提供して不安解消を目指す。
呼び掛け人の一人で「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」
の佐藤幸子代表は「住民の心のよりどころになる診療所を目指したい」と
話している。

「原発さえなければ」と書き残し、自死した酪農家の妻子が東電を提訴

2013-02-18 20:58:08 | 日記
2013年2月17日日曜日「原発さえなければ」と書き残し、自死した酪農家の妻子が東電を提訴


「原発さえなければ」

そう、堆肥小屋の壁に遺されたことばである。

その小屋で菅野重清さん(当時54歳)は首をくくって亡くなった。2011年6月10日から11日のことだ。東京電力福島第一原子力発電所の事故から、ちょうど3か月たっていた。

この「原発さえなければ」という文字を眼にするたびに胸が痛み、東電へ、そして原発を動かす者への怒りがこみあげてくるのは、筆者だけではあるまい。

菅野さんは福島県相馬市の酪農家だったが、原発事故で酪農家として生きる道を断たれ、絶望の淵に立たされ、そしてみずから死を選択した。

原発さえなければ、この「選択」はなかった。

その菅野さんの妻と息子2人が、東電を3月に提訴する。東電に損害賠償を求める東京地裁への訴訟だ。

東電を訴えるということは、これまでの約2年間、東電は菅野さんの遺族に何の対応もしなかったということだろうか。

原発事故のために自殺に追い込まれたのは菅野さんだけではない。また原発事故で生活が、家庭が破壊された人は数十万を超えるだろう。

その人たちもまた、「原発さえなければ」という思いでいっぱいにちがいない。

そう遠くない将来、全人類は「原発さえなければ」ということばを抱いて、絶滅するのではないか。

「原発さえなければ」ということばが、裁判所に届くかどうか。このことばに、人類と地球の生存がたくされている、といってもけっして過言ではない。

「原発さえなければ」

このことばを、ぼくはけっして無駄にしないことを誓う。





 「壁に書かれた菅野重清さんのことば」
 
原発さえなければ
姉ちゃんには大変おせわになりました
長い間おせわになりました
2011 6/10 PM1:30
大工さんに保険で金を支払って下さい
ごめんなさい
原発さえなければと思ます
残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい
先立つ不幸を
仕事をする気力をなくしました
バネ (息子2人の名前)
ごめんなさい なにもできない父親でした
仏様の両親にももうしわけごさいません

(参考資料:「朝日新聞」社会面、2月17日朝刊)

この事実がニュースのトップでとりあげられて国民が今後のエネルギー問題について考えなければならないことではないのか、日本人の良心と本当のはどこに行ったのだろうか?



原発がどんなものか知ってほしい10~13

2013-02-18 20:15:02 | 日記
10.「絶対安全」だと五時間の洗脳教育
 
原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。
 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。  
 こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。
 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。
 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。

11.だれが助けるのか 

また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。
 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。

12.びっくりした美浜原発細管破断事故! 

皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。
 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。
 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。
 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。
 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。
 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。

13.もんじゅの大事故 

去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。
 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。
 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。
 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。
 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。
 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。
 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。
 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。
 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。
 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。

福島の事故は想定内どころか経験済みの想定された事故であり、ごまかしのシュミレーションは実験済みだったことが内容から十分考えられます。