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一日の終わりに

良性のはずだった右胸のしこりが、検査の結果一転悪性の可能性あり。
わたしって乳がん?

お礼

2009-09-17 14:42:13 | 退院後
最近、この春からのことを思い返すことが多い。

一番最初に病院に行ったのは、5月の連休明けだった。
週2回乳腺外来の診察のあるT病院だった。
駐車場がいっぱいで、近くのスーパーに駐めて暑い中を少し歩いた。
なのに、その日先生は休診。

今までのわたしなら、そこでやる気をなくして、
そのままになってしまうところだったのに、
何か予感がしたのかなあ。
次の週にもう一度病院に。

昨年夏に診察を受けたときの乳房手帳を持って行ったっけ。
先生も気軽な感じでエコーと細胞診。
「たぶん大丈夫だと思いますけど、念のため」とのことだった。

それが一転したのは、その検査結果を聞きに行ってから。
このブログは、そこから始まっている。
落ち着いたら、そのあたりの事情も残しておきたいと思っていたのに、
実際には、気持ちはガタガタ。
状況も次々と展開して、気持ちが向かなかったからなあ。

悪性だとわかってから、手術が必要となり、
病院を決めるまでに、入院をするまでに、いろんな人に支えてもらった。

夫の仕事関係で、病院に詳しい人、ガン手術をした人、乳がんになった人など、
アドバイスや知識をたくさんもらった。

病院決定までは、夫の会社の後輩で、
乳がん手術をした人のアドバイスがとても心強かった。

何冊も、参考になる本を貸してくれた。
不安がるわたしのことを夫は相談し、親身に応えてくれたようだし、
患者会のことや病院のことを調べて教えてくれた。

先週、病理検査結果も聞き、
転移の心配がないこと、今後の治療の方向が見えてきたこともあり、
夫からお礼の品をわたしてもらうことにした。

直接彼女から励ましの言葉をもらったことはないが、
夫に対して知識を授けてくれたこと、
特に、精神的なフォローの必要さを強く説いてくれたことは、
とてもありがたかった。
それに対するお礼の気持ちだ。

そうそう。
最近のわたしの胸の様子。

鏡に映して、じっと見てみる。
う~ん。これなら許せるよね。
そう言えるできばえだ。
人に見せても気にならない。

入院前、あれほど怖がっていた傷跡と変形。
この程度だとわかっていたなら、
あんなに不安になる必要なんてなかったのにな、と思う。

胸の腫れもほとんど引いたように思える。
先生の腕が良かったからなのか、ちゃんとお礼を言わなきゃ。

ガンのあった場所は、右胸。時計でいうと8時のあたり。
まだ小さな青い丸が残っている。
これは、手術前に注射した色素の残りかなんかのはず。
最初は緑色だった。

左右を見比べると、健側のほうが下にふっくらと膨らみがある。
右はというと、やはりその部分は膨らんでいないが、
見方によっては、ツンと上を向いた若い胸といえるかな。言えないか…。
ボリュームが無いのが幸いして、
切り取った部分が目立たないのだと思うけど、どうだろう。
逆に、小さな胸の方が変形が目立つと言われたというブログも見たし。

基本的に痛みはない。
腕を大きく振り回しても大丈夫。なんともない。
なのに、ファンデーションの小瓶を小さく振ると、チクチクとした。
この角度、この強さ…というのがあるのだろう。
傷が痛むような痛さだから。

傷は、張り替えてもらった絆創膏の隙間から、ちらりと見える。
腋の傷は、幅1ミリあるかないかかな。
合わせ目がすこし盛り上がっている。
来年の夏に、ノースリを着たときは、目立たなくなってたらいいなあ。

乳輪の周りの傷は、絆創膏に隠れて見えない。
自分でも、まだ一度もみていない。
たぶんここは場所的にも、少しの盛り上がりや変色があっても、
目立たないと思う。

入院前の検査で、採血と血のかたまり具合の検査を待つ間、
待合室のテレビで乳がんの特集をしていた。
そのときに見た写真が、乳輪の周囲に沿って切ったものだった。
ぱっと見て、全然目立たなかった。

その後、先生との話の中から、
わたしの場合も乳輪を切るという話がでてきた。
このテレビを見ていなければ、
わたしは積極的にここを切るという選択肢を望まなかったと思う。

やっぱり診察してもらおうとT病院に2度行ったこと、
たまたまテレビを見たこと。
偶然なんだけど、とてもありがたい偶然。

明日は病院。
これからの治療方針について、同意書をだすことになる。
選択するのはわたし。
すべて自己責任。

2009-09-15 23:02:34 | 退院後
乳がんの疑いがでてから、
手術を決めてから、
入院してから、
退院してから。。。

ネットでいろんなことを目にしてきた。
ブログを見るときの目も、その時ごとに違っていた。
わたしの気持ちが変わっていくのと一緒に、
目にとまる記事もちがってきている。

何かの折りに夫が目にするかもと意識しながら文字にしているが、
このブログの存在を夫は知らない。(はず…)

家族、親しい友達に知らせている人もいるだろうが、
わたしの親友、仲間には知らせていない。

そういう中で、ここを見てくれる人がいる。

わたしの知らないところで、つながっている。

ガンかも騒動前後から、いつのまにかビールしか飲めなくなっていた。
気に入って飲んでいた焼酎なんて、とんでもございません状態だった。
けど、やっと飲めるようになったv

9月11日 O病院(3)

2009-09-15 22:28:15 | 退院後
(2)は、オープンにするかどうか迷って、
保留中…。

テニスは、してもいいと先生に言われた。

もともとあの先生は、
「それはだめです」とは言わない。

絆創膏も、「今月いっぱいは貼っておいてください。
3ヶ月貼っている人もいますから」と。

テニスも、
「ハードなリハビリですけど。
バレーボールをしている人もいますから」と。

極端な例をだして、
「こんな人もいますから、自分と相談しながらしてくださいね。
でも、最低この程度はお願いしますよね」
という言い方というかなんというか。

センチネルリンパ節生検で3個とったのは、
1個とった人より腕のむくみが起こりやすいのかも尋ねたけど、
そういうわけではないらしい。
腫れるのは、
そのリンパ節が、腕につながっているかどうかだという話もあるし…程度で、
「こうだから腫れるのだよ!」という確定したものって、わからないみたい。

わたしの場合、センチネルリンパ節生検をするときに、
探して取り出したということは無かったので、
腋はそんなに傷ついていないだろうと思う、とも。
これは、リンパ節の腫れと関係あるのかはわからないけど。

そうそう。
重たいものを持ってはいけないのは、一生のことなのだとか。
これは、夫の前で大きな声で言いたい。
週末の買い物には、必ずつきあってもらいたい。
で、荷物を持つのは夫の役目。

普段買い物に行ったら、
荷物はキャリングケースで持ち帰りなさい、とのこと。
これは、内心かなりショックではあった。
日にち薬。
しびれ、傷のしこりも、いずれは元に戻ると思っていた。

同様に、そのうち重たいものを持ってもいいようになると思っていた。
以前と同じ体になると思っていた。
だって、腕の可動範囲だって何も変わっていないんだよ。
なんの違和感なく腕が動くんだよ。

だけど、重たいものを持っちゃだめなんだ。ずっと、ずーっと。

だから、テニスをしてもいいと言われたけど、
それは、ハードなリハビリという位置づけ。
1週間に1コマ程度で、あとは十分に休養してくださいね、だって。

きっと先生の頭には、1週間に1回のテニススクールがあったんだと思う。
わたしは、1週間に2回ほど、
午後にテニスクラブの仲間との、お遊びながらもゲーム三昧。

やっぱり、前とは違う体になっちゃったんだと
思い知らされて、寂しくなった。

9月11日 O病院(2)

2009-09-15 21:51:28 | 退院後
土日と、久しぶりにたくさんの人と顔を合わせた。
疲れてしまったのは、体力がなくなったのか、意欲がなくなったのか。

今後の治療について、
まだ先生に返事はしていないが、
心の中では、ホルモン療法のみでと考えている。

それはやはり、
わたしに必要なものだけを治療として受け入れたいという気持ちがある。
放射線治療は、乳房での再発を防ぐのに有効なのだと思う。
そのメリット、副作用を手術前や入院中に先生に聞いている。
そして、わたしにとってのメリットより、
副作用のほうがわたしにとってダメージを与えるように感じている。

先生は、そのわたしの質問を覚えているのかどうかわからないが、
放射線治療を行わない試験にわたしを誘っている。
う…ん。誘うというのはおかしいかなあ。
研究への参加は自由だし、いつでも参加を辞めることができると
はっきり記されているからなあ。

渡された説明文書は、「標準的治療とはことなる治療法である」と
書かれている。
研究目的は、
「条件を満たす患者が放射線治療不要だということをデータとしてしめすため」
とある。

その文書には、放射線治療の副作用が、
具体的にパーセント入りで記されている。
そして、放射線治療を行わなければ、このような副作用はおこらない、と。
ネットで目にはしたけれど、
そこまで具体的に知らなかったという数字が並んでいる。

対象とする患者は、やはりだれでもいいわけではないらしい。
いくつかの条件のすべてを満たしている人が対象らしい。
もちろんわたしは満たしているわけだけど、
「40歳代で」というところに、冷や汗をかく。

よくよく考えると、
この研究への参加は、
わたしへのメリットよりデメリットのほうが大きいのかもしれない。
何を望むか、何を求めるかによって違うのだろうけど、
わたしが一番最後に望むのは何なのかを
試されているような気もする。

資料の上からだが、
わたし程度の場合は、
放射線を行う場合、再発を防ぐ確率が高まるが、
生存率には大きな影響はない。
その場合に、絶対に放射線を受けなければならない理由はなになのだろう。
それが聞きたかった。
その理由に納得すれば、
放射線を全面的に受け入れて治療をしてもらえると思っていた。
ところが、先生から示されたのは、
放射線治療をしない選択肢だった。

説明文書と一緒に、同意書をもらっている。
「これを読んで、よく考えてください」と先生は言われた。
診察の時には、単なる今後の治療方法の説明程度だと思っていたので
軽く受け取って帰ってきたが、
帰宅してから読んで、あら~~…と思ってしまった。
自己責任で選ぶ、結構重要な選択じゃん。
セカンドオピニオンをもらいたいくらいの。

次に行くのは18日。今週の金曜日。
ものを考えるのが面倒になっている。
このままだと、これ以上考えることをせずに、
同意書を提出しそうだ。

なにげなく鋭い

2009-09-12 18:51:54 | 退院後
久しぶりに、といっても1回休んだだけだが、
ボランティアサークルの例会に行ってきた。

ショートカットにして2ヶ月くらいになるのに、
何かの都合で会えなかった人に驚かれる。
「久しぶり-」と声をかけてくる人がいる。

例会は月に2回。
わたしは前回の1回を休んだだけなのに、、
ボランティア養成講座の担当を二つ代わってもらったので、
その分、わたしがずっと休んでいたという印象があるのかも。

帰り際に、仲間の一人に声をかけられた。

「あまりにも顔を見ないから、
入院してるのかと思ってました-。
元気そうでよかった」

内心、どきっ。
あたってるじゃん。

入院前に比べ、気持ちがすこし変わってきている。
以前は、誰にも知られたくないという気持ちが強かった。
だけど、入院し、手術が済み、
そして昨日、手術後の検査結果を聞いて、
いずれ、何かの折にみんなに話してもいいかなというふうになってきた。

やってみなけりゃわからない部分がとても多い。
術後の治療についても同様だ。

以前の気持ち、今の気持ち、この先の気持ち。
変わっていって当然。