最近、この春からのことを思い返すことが多い。
一番最初に病院に行ったのは、5月の連休明けだった。
週2回乳腺外来の診察のあるT病院だった。
駐車場がいっぱいで、近くのスーパーに駐めて暑い中を少し歩いた。
なのに、その日先生は休診。
今までのわたしなら、そこでやる気をなくして、
そのままになってしまうところだったのに、
何か予感がしたのかなあ。
次の週にもう一度病院に。
昨年夏に診察を受けたときの乳房手帳を持って行ったっけ。
先生も気軽な感じでエコーと細胞診。
「たぶん大丈夫だと思いますけど、念のため」とのことだった。
それが一転したのは、その検査結果を聞きに行ってから。
このブログは、そこから始まっている。
落ち着いたら、そのあたりの事情も残しておきたいと思っていたのに、
実際には、気持ちはガタガタ。
状況も次々と展開して、気持ちが向かなかったからなあ。
悪性だとわかってから、手術が必要となり、
病院を決めるまでに、入院をするまでに、いろんな人に支えてもらった。
夫の仕事関係で、病院に詳しい人、ガン手術をした人、乳がんになった人など、
アドバイスや知識をたくさんもらった。
病院決定までは、夫の会社の後輩で、
乳がん手術をした人のアドバイスがとても心強かった。
何冊も、参考になる本を貸してくれた。
不安がるわたしのことを夫は相談し、親身に応えてくれたようだし、
患者会のことや病院のことを調べて教えてくれた。
先週、病理検査結果も聞き、
転移の心配がないこと、今後の治療の方向が見えてきたこともあり、
夫からお礼の品をわたしてもらうことにした。
直接彼女から励ましの言葉をもらったことはないが、
夫に対して知識を授けてくれたこと、
特に、精神的なフォローの必要さを強く説いてくれたことは、
とてもありがたかった。
それに対するお礼の気持ちだ。
そうそう。
最近のわたしの胸の様子。
鏡に映して、じっと見てみる。
う~ん。これなら許せるよね。
そう言えるできばえだ。
人に見せても気にならない。
入院前、あれほど怖がっていた傷跡と変形。
この程度だとわかっていたなら、
あんなに不安になる必要なんてなかったのにな、と思う。
胸の腫れもほとんど引いたように思える。
先生の腕が良かったからなのか、ちゃんとお礼を言わなきゃ。
ガンのあった場所は、右胸。時計でいうと8時のあたり。
まだ小さな青い丸が残っている。
これは、手術前に注射した色素の残りかなんかのはず。
最初は緑色だった。
左右を見比べると、健側のほうが下にふっくらと膨らみがある。
右はというと、やはりその部分は膨らんでいないが、
見方によっては、ツンと上を向いた若い胸といえるかな。言えないか…。
ボリュームが無いのが幸いして、
切り取った部分が目立たないのだと思うけど、どうだろう。
逆に、小さな胸の方が変形が目立つと言われたというブログも見たし。
基本的に痛みはない。
腕を大きく振り回しても大丈夫。なんともない。
なのに、ファンデーションの小瓶を小さく振ると、チクチクとした。
この角度、この強さ…というのがあるのだろう。
傷が痛むような痛さだから。
傷は、張り替えてもらった絆創膏の隙間から、ちらりと見える。
腋の傷は、幅1ミリあるかないかかな。
合わせ目がすこし盛り上がっている。
来年の夏に、ノースリを着たときは、目立たなくなってたらいいなあ。
乳輪の周りの傷は、絆創膏に隠れて見えない。
自分でも、まだ一度もみていない。
たぶんここは場所的にも、少しの盛り上がりや変色があっても、
目立たないと思う。
入院前の検査で、採血と血のかたまり具合の検査を待つ間、
待合室のテレビで乳がんの特集をしていた。
そのときに見た写真が、乳輪の周囲に沿って切ったものだった。
ぱっと見て、全然目立たなかった。
その後、先生との話の中から、
わたしの場合も乳輪を切るという話がでてきた。
このテレビを見ていなければ、
わたしは積極的にここを切るという選択肢を望まなかったと思う。
やっぱり診察してもらおうとT病院に2度行ったこと、
たまたまテレビを見たこと。
偶然なんだけど、とてもありがたい偶然。
明日は病院。
これからの治療方針について、同意書をだすことになる。
選択するのはわたし。
すべて自己責任。
一番最初に病院に行ったのは、5月の連休明けだった。
週2回乳腺外来の診察のあるT病院だった。
駐車場がいっぱいで、近くのスーパーに駐めて暑い中を少し歩いた。
なのに、その日先生は休診。
今までのわたしなら、そこでやる気をなくして、
そのままになってしまうところだったのに、
何か予感がしたのかなあ。
次の週にもう一度病院に。
昨年夏に診察を受けたときの乳房手帳を持って行ったっけ。
先生も気軽な感じでエコーと細胞診。
「たぶん大丈夫だと思いますけど、念のため」とのことだった。
それが一転したのは、その検査結果を聞きに行ってから。
このブログは、そこから始まっている。
落ち着いたら、そのあたりの事情も残しておきたいと思っていたのに、
実際には、気持ちはガタガタ。
状況も次々と展開して、気持ちが向かなかったからなあ。
悪性だとわかってから、手術が必要となり、
病院を決めるまでに、入院をするまでに、いろんな人に支えてもらった。
夫の仕事関係で、病院に詳しい人、ガン手術をした人、乳がんになった人など、
アドバイスや知識をたくさんもらった。
病院決定までは、夫の会社の後輩で、
乳がん手術をした人のアドバイスがとても心強かった。
何冊も、参考になる本を貸してくれた。
不安がるわたしのことを夫は相談し、親身に応えてくれたようだし、
患者会のことや病院のことを調べて教えてくれた。
先週、病理検査結果も聞き、
転移の心配がないこと、今後の治療の方向が見えてきたこともあり、
夫からお礼の品をわたしてもらうことにした。
直接彼女から励ましの言葉をもらったことはないが、
夫に対して知識を授けてくれたこと、
特に、精神的なフォローの必要さを強く説いてくれたことは、
とてもありがたかった。
それに対するお礼の気持ちだ。
そうそう。
最近のわたしの胸の様子。
鏡に映して、じっと見てみる。
う~ん。これなら許せるよね。
そう言えるできばえだ。
人に見せても気にならない。
入院前、あれほど怖がっていた傷跡と変形。
この程度だとわかっていたなら、
あんなに不安になる必要なんてなかったのにな、と思う。
胸の腫れもほとんど引いたように思える。
先生の腕が良かったからなのか、ちゃんとお礼を言わなきゃ。
ガンのあった場所は、右胸。時計でいうと8時のあたり。
まだ小さな青い丸が残っている。
これは、手術前に注射した色素の残りかなんかのはず。
最初は緑色だった。
左右を見比べると、健側のほうが下にふっくらと膨らみがある。
右はというと、やはりその部分は膨らんでいないが、
見方によっては、ツンと上を向いた若い胸といえるかな。言えないか…。
ボリュームが無いのが幸いして、
切り取った部分が目立たないのだと思うけど、どうだろう。
逆に、小さな胸の方が変形が目立つと言われたというブログも見たし。
基本的に痛みはない。
腕を大きく振り回しても大丈夫。なんともない。
なのに、ファンデーションの小瓶を小さく振ると、チクチクとした。
この角度、この強さ…というのがあるのだろう。
傷が痛むような痛さだから。
傷は、張り替えてもらった絆創膏の隙間から、ちらりと見える。
腋の傷は、幅1ミリあるかないかかな。
合わせ目がすこし盛り上がっている。
来年の夏に、ノースリを着たときは、目立たなくなってたらいいなあ。
乳輪の周りの傷は、絆創膏に隠れて見えない。
自分でも、まだ一度もみていない。
たぶんここは場所的にも、少しの盛り上がりや変色があっても、
目立たないと思う。
入院前の検査で、採血と血のかたまり具合の検査を待つ間、
待合室のテレビで乳がんの特集をしていた。
そのときに見た写真が、乳輪の周囲に沿って切ったものだった。
ぱっと見て、全然目立たなかった。
その後、先生との話の中から、
わたしの場合も乳輪を切るという話がでてきた。
このテレビを見ていなければ、
わたしは積極的にここを切るという選択肢を望まなかったと思う。
やっぱり診察してもらおうとT病院に2度行ったこと、
たまたまテレビを見たこと。
偶然なんだけど、とてもありがたい偶然。
明日は病院。
これからの治療方針について、同意書をだすことになる。
選択するのはわたし。
すべて自己責任。