
昨年の5月に、世界の盗塁王福本豊さんが経営するお店主催で、福本さんと野球観戦ツアーに参加しました。福本さんと直接お会い出来る機会があるなんて夢のようでした。
子供のころから、東京で阪急ファンをしてきた私としては、なんとしてでも参加したくて、場所は関西でしたが、夜行バスで駆けつけました。
今回参加した目的は、福本さんに会うことが第一ですが、もう1つの目的がありました。

写真の阪急ブレーブスのユニフォームに福本さんから、サインをいただくことでした。
このユニフォームには物語があります。
製作時期は93年ごろ。
私は阪急が、ORIXに身売りして、そのORIXがブレーブスの名前を捨てたとき、一時期ファンを辞めていました。
それでも阪急ブレーブスの思い出が忘れられなくて、阪急のユニフォームを手元に持ちたいと思うようになりました。当時はヤフオクなどもなく、応援用のユニフォームも一般的でなく、阪急のユニフォームなんて何処にも販売されていませんでした。一部のファンが選手からいただいたモノが存在する位で、ユニフォームなんて、夢また夢でした。
それでもユニフォームが欲しくて、昔の野球雑誌や書籍、野球カード等を集め阪急のユニフォームについて研究を重ねました。その結果、阪急のユニフォームを作っているメーカーが、ミズノであることをつきとめました。このような情報、今なら当たり前ですが、当時はこのような情報、資料は皆無でした。ユニフォームの第一人者、綱島理友さんの本や週刊ベースボールの連載もまだ無かった時代です。(笑)

その情報をもとに、神保町のミズノに訪ねて、阪急ブレーブスのユニフォームを、作って欲しいと、依頼したところ、親切な店員さんが工場に確認してくれて、当時と同じ生地、型紙が残っていて、それを基に製作が可能だというのです。そして何よりも嬉しかったのは、当時阪急のユニフォームを作っていた人がおられて、その方が作ってくれるというのです。
この様な事、今では考えられない事です。
版権問題も絡んできて、まず無理でしょう。当時の私の熱意とタイミングが良かったとしか言いようがありません。
先日オリックス主催で、阪急ブレーブスの復刻試合がありました。そこで阪急ブレーブスの版権が阪急ホールディングが持っている事がはっきりしました。この時作ったユニフォーム等の阪急ブレーブスグッズは期間限定だったようです。今後は阪急ホールディングが許可をしない限り、阪急ブレーブスの復刻は難しいようです。悲しい限りです。リスペクトのない金儲けのためにブレーブスが利用されるのは嫌ですが、逆に阪急ホールディングが阪急ブレーブスの復刻試合はやって欲しくないという意志が見え隠れして悲しい気持ちにもなります。
福本さんご自身も、復刻試合以前に復刻のユニフォーム作ろうとして、ミズノに依頼をかけたそうなんですが、生地がもう残ってないとのことで、諦められたようです。また版権問題で阪急から圧力もあったかもしれません。
そんなユニフォームが手元に来て約20年、いつかは福本さんからこのユニフォームにサインを、もらう事を夢見てきましたが、念願がかないました。
阪急ファンとして感無量です。