偏平足

里山の石神・石仏探訪

石祠 山梨県甲斐市上菅口

2022年07月30日 | 里山石神端書

里山の石神端書96 甲斐市上菅口・諏訪神社の石祠

 山梨はいろいろな石造物が見られる土地です。巖部付き石幢、一石六地蔵、丸石神、道祖神石祠、石祠型墓石などがその代表です。今回の甲斐市の亀沢川沿いの集落にもいろいろありました。


 上菅口の入口に建つ諏訪神社には大きな石祠が並んでいます。その数7基。なかでも大きな流れ破風造りの石祠は屋根の長さだけで140センチ、破風だけでも80センチもあるものです。屋根のグシと破風の先には武田菱があります。甲斐の領主武田に関係ある石祠なのでしょうか。


 諏訪神社先に石造物を集め奉ったような場所があります。


 丸石、馬頭、地蔵、双体像、庚申塔、秋葉塔などにぎやかです。

 その一つ馬頭に「二百二十一番供養/百二十一番/十九夜待供養」銘、この数字は何を指しているのかわかりません。亀沢川沿いの集落ではこのような、道路の拡幅工事にともなう石造物の移動集積が各所で見られました。
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書 富山県立山町白石川流域

2022年07月30日 | 里山石神端書

立山町目桑・目桑神社の鳩

立山町谷・神社の如来

立山町伊勢谷・神明社のさざれ石

山町長倉・刀尾神社の絵馬

立山町松倉・如来寺の法蔵菩薩

立山町座主坊・剱岳の神

市町大岩・日石寺の磨崖不動明王

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

磨崖不動明王 富山県上市町大岩

2022年07月29日 | 里山石神端書

里山の石神端書95 上市町大岩・日石寺の磨崖不動明王

 日石寺の磨崖仏大岩不動は富山を代表する石仏です。何度も写真で見ましたから、その姿は目に焼き付いていまして、場所は洞窟の中と勝手に想像していました。


 ところが驚いたことに磨崖仏は本堂の中にありました。磨崖仏だけ切り取った写真からは、本堂内ということにはまったく気づきませんでした。
 大岩山日石寺は大岩不動として知られた立山や剱岳を行場とする行者の修行地で、富山を代表する山岳寺院です。不動明王磨崖仏は剱岳の本地仏ともされてきました。



 その不動を中央に、向かって右から衿羯羅童子と阿弥陀如来左、左から制 迦童子と僧座像。奈良時代に不動・衿羯羅・制 迦が彫られ、平安時代に阿弥陀・僧が追刻されたと案内されている磨崖仏です。制 迦童子の顔がほとんどなくなっているのは、戦国の天正年間(1585ころ)に上杉勢との戦いによる火災での傷跡と、これも寺の案内です。
 毘沙門天を篤く信仰した上杉謙信でしたが、この時代は養子の景勝のときで信仰心も薄れていたと思うしかありません。戦国期は武装した寺院の僧兵が、権力者と戦いあるいは利用された時代でもありました。

 三重の塔に向かう石段脇に美しい観音石仏が並んでいました。
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

剱岳の神 富山県立山町座坊主

2022年07月26日 | 里山石神端書

里山の石神端書94 立山町座主坊・刀尾宮

 座主坊は白岩川の最奥の集落。南の山を越えれば立山信仰の登山口芦峅寺です。座主坊(ざしゅぼう)という名から、なにかお寺でもあるのかなと訪ねました。しかしあったのは刀尾宮という神社で、お寺は見つけられませんでした。

 刀尾(たちお)神社は白岩川の長倉にもあり、この石神端書93で案内した懇親会で昼食を御馳走になった神社です。刀尾神社の祭神は剱岳の神です。『白山立山と北陸修験道』(注)によると、この神は剱岳・立山一帯の地主神で、佐伯有頼の立山開山縁起にも登場し、その本地は不動明王となっています。「刀尾天神とも称され、立山登山口のもう一つの寺・岩峅雄山神社境内には刀尾社が鎮座し(略)富山市大田本郷には刀尾神社・刀尾寺が立山前宮のおもむきで鎮座し、この他各地に刀尾社と名のる小社が現存する」とあります。長倉も座主坊もこの小社だったようで、長倉の鳥居には「刀尾神社」、座主坊は「刀尾宮」となっています。
 座主坊の刀尾宮の入口にはこの土地でよく見られるさざれ石が対で立ち、生き生きした狛犬が鎮座しています。



(注)高瀬重雄著「立山信仰の成立と展開」『山岳宗教史研究叢書10』1977年、名著出版
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の石仏写真館(96)成田山

2022年07月25日 | 石仏写真館

伊藤介二・昭和の石仏写真館(96)成田山
成田山(埼玉県三郷市)
三郷市新和・長昌寺

三郷市笹塚・日枝神社

三郷市丹後・光福寺

三郷市彦倉・子ノ神社

三郷市上彦名・地蔵院

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法蔵菩薩 富山県立山町松倉

2022年07月23日 | 里山石神端書

里山の石神端書93 立山町松倉・如来寺の法蔵菩薩

 如来寺は廃寺になり、山門跡の石仏2体が迎えてくれます。

 一つは薬壺を持つ薬師、もう一つは頭上に僧風の顔を載せた仏で、思い当たる仏菩薩はありません。
 境内の木祠内では法蔵菩薩という不思議な石仏に出会いました。


 法蔵菩薩は阿弥陀如来の修行中の姿とされています。富山の法蔵菩薩の石仏は尾田武雄氏の『とやまの石仏たち』に詳しく紹介されています。同書によると、この石仏は立山町とその周辺に22体確認されているそうです。その背景には富山の地が真宗地帯であることに関係し、それは真宗門徒が唱える「正信偈」の冒頭にある「帰命無量寿如来 南無不可思議光 法蔵菩薩因位時」に登場する修業中の阿弥陀で、門徒には大変親しまれていることを指摘しています。
 ところで修業中の阿弥陀としては五劫思惟(ごこうしゅい)阿弥陀があります。五劫とは長い年月のことで、髪が伸びて大きな螺髪姿の阿弥陀如来で表されます。ところが富山の法蔵菩薩は釈迦の修行中のような痩せた姿です。このお手本は京都の東福寺の五却思惟阿弥陀とし、造立されたのは明治時代、青年達が何かの記念にまたお礼に造立したと尾田氏は推測しています。下の写真は京都・左京区黒谷町の金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀です。

 少し先に建つ八幡神社にも、この白石川沿いの神社で見てきたさざれ石がありました。

(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵馬 富山県立山町長倉

2022年07月22日 | 里山石神端書

里山の石神端書92 立山町長倉・刀尾神社の絵馬


 かつて40数軒もの家が集まる集落だった長倉は山の中、その入口に建つのが刀尾神社です。集落を訪ねた日、神社には大勢の人が集まっていました。


 聞くと、長倉はすでに廃村、年に一度5月5日に集まって懇親会をやっているとのこと。かつての住民が集まって、境内はじめ拝殿と祭殿を掃除して清め、祝詞をあげ参拝した後の直会の最中に訪ねたということでした。そして直会に招いていただき、会食のおもてなしまでいただきました。



 拝殿にかかげてあったのが大きな奉納絵馬「信州川中嶌大合戦両将直合一覧」です。上杉謙信と武田信玄の戦いの様子が色鮮やかに描かれています。刀をふりかざす馬上の謙信と、床几に腰を下ろし軍配でこれに応じようとする信玄を中心とした合戦の様子です。
 ここに大きく描かれているのが纏(まとい)で、信玄は家紋と同じ武田の象徴武田菱です。一方謙信は蕪(かぶ)です。謙信はどうして蕪なのでしょうか。調べましたがわかりません。ただ一つ、山形米沢の遠山蕪は上杉か越後から持ってきたものという情報があり、上杉の象徴が蕪だったようです。
 ではどうしてこの富山の長倉の神社に川中島の絵馬があるのでしょう。これも詳しいことはわかりませんが、戦国期に長倉の近くの伊勢谷集落の南の山中にあった池田城をめぐって、武田と上杉の攻防があったそうです。
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さざれ石 富山県立山町伊勢谷

2022年07月19日 | 里山石神端書

里山の石神端書91 立山町伊勢谷・神明社のさざれ石

 白石川上流伊勢谷集落の中程、道脇に造られた窪みに庚申塔と六地蔵が祀られています。


 その先の河原近くに建つのが神明社。かつては近くの山中にあったのをこの地に遷した神社です。古い神社は窪みの石仏の手前の山のかなで、立ち入り禁止です。白岩川上流の集落は廃屋が多く、無用の立ち入りはしてほしくないということです。

 集落の人に断って古い神社へ行ってみると、鳥居のところに小石が固まってできた大きな岩が倒れていました。このような石は目桑の目桑神社でも見ましたし、この白石川上流の神社ではごく普通に置かれている石で、「さざれ石」と呼んでいます。国家・君が代に歌われるさざれ石で、有り難い石です。

 このような石、どこから探してくるのかわかりませんが、白石川上流に多いのでしょうか。古い神社の入口にも立てられています。

 伊勢谷集落に西、白石川の不動壁という岸壁があります。ここに不動の磨崖仏があるというので行って見ました。しかしそれらしい姿は見えません。
 地元の人の話では、白石川から北に山一つ越えた大岩にある不動磨崖仏は、はじめこの地に彫ろうとしたのだがうまくいかなかったそうです。結局いまの大岩日石寺に磨崖仏ができたということでした。
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の石仏写真館(95)庚申塔

2022年07月18日 | 石仏写真館

伊藤介二・昭和の石仏写真館(95)庚申塔
庚申塔(埼玉県三郷市・常楽寺、御嶽神社)
元和9年(1622)常楽寺

延宝4年(1676)常楽寺

享保元年(1716)御嶽神社

寛政11年(1799)御嶽神社


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

如来 富山県立山町谷

2022年07月16日 | 里山石神端書

里山の石神端書90 立山町谷・神社の如来

 富山市でも白石川上流は立山山麓の山間部で雪が多いのでしょう、石仏に覆い屋を造るところが目立ちます。谷の集落にも可愛い覆い屋のなかに十一面観音が納まっています。


 集落先にある神社も、社殿全体を包む大きな覆い屋の中に鎮座しています。入口はアルミサッシ戸、これなら社殿も長持ちするはずです。


 神社への石段脇に石仏が浮き彫りされた石塔が立っています。風化がひどく尊名はわかりませんが、如来坐像のようです。
 石仏の寿命は石の素材にもよりますが意外に短いもので、100年も経つと風化が進んで銘などは読めなくなります。これに苔なども付くと石仏の劣化が早まります。石仏に帽子やよだれ掛けをつける光景をみますが、これも雨水を吸い込んだり虫の巣になったりして石が弱ってしまいます。露座の石仏は驚くほど弱いものです。
(地図は国土地理院ホームページより)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳩 富山県立山町目桑

2022年07月15日 | 里山石神端書

里山の石神端書89 立山町目桑・目桑神社の鳩


 白岩川の目桑集落の外れの山の上に建つ目桑神。


 この神社については、集落の人に紹介された目桑の区長・戸田氏から資料をいただいた。それによると、神社はこの地に古くから住んでいた5戸の氏神(水神宮・火の宮・八幡社・草木宮・祇園宮)を合祀したもので、各氏神の創建は室町末期から戦国期で、それぞれの木彫の御神体を合わせ祀っているとのこと。5戸は戦国自裁にこの地を支配した寺島氏(近くの池田城が居城)の地侍だったようです。
 境内に陶器の鳩が狛犬代わりに祀られています。戸田氏によると鳩は昔からあったそうです。鳩といえば八幡様のお使いです。目桑神社にも八幡宮が合祀されていますから、その関係での造立とも考えられます。

 神社の平坦地に卵塔が並んでいます。戸田氏によると昔清水庵という寺があった場所だそうです。
 戸田氏は目桑神社をはじめ、集落の生い立ちなどの資料もおもちでした。それをもとにこの土地のいろいろなお話を聞くことができました。ありがとうございました。
((地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書 新潟県上越市柿崎区

2022年07月15日 | 里山石神端書

上越市柿崎区平沢・路傍の十王

上越市柿崎区平沢・光宗寺の阿弥陀如来

越市柿崎区下牧・仮御堂の薬師如来

上越市柿崎区水野・大神宮の神像

上越市柿崎区米山寺・密蔵院の六地蔵

越市柿崎区芋島・楞厳寺の子抱地蔵


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子抱地蔵 新潟県上越市柿崎区

2022年07月12日 | 里山石神端書

里山の石神端書88 上越市柿崎区芋島・楞厳寺の子抱地蔵

 楞厳寺は石仏の寺。寺の入口で丸彫りの如意輪観音が迎かえてくれます。その次は地蔵菩薩。


 この地蔵、錫杖を持ち子供を抱いています。見るからに元気でわんぱくそうな子供です。この姿の地蔵は子授け・安産・子育てを祈願する子育地蔵、子安地蔵と呼ばれてきました。観音の子育観音、子安観音と同じです。ところで私などは地蔵=男、観音=女というイメージがあり、観音には慈母観音があります。地蔵には賽の河原で鬼に意地悪される子供を救う役目もありますが、どうも子供を育てるイメージがわいてきません。子安地蔵を追いかけている知人の女性はこの地蔵を「子抱地蔵」としています。そこでこのブログのタイトルは「子抱地蔵」としました。


 境内に入ると六地蔵が並んでいます。そのなかの一尊は子供を抱いています。六地蔵のなかに子抱地蔵が混じっているのです。『日本の石仏』で大久保修氏は、この形を「善光寺型六地蔵」(注)と紹介しています。大久保氏によると、長野市の善光寺には宝暦9年(1759)造立の子抱地蔵が入った六地蔵があり、長野市だけでも江戸時代後期から明治にかけて30基ちかく造立されていることからの命名です。これが新潟の米山山麓の楞厳寺にもあるということは、善光寺信仰と関係があるのでしょうか。ともかく善光寺型六地蔵のこれからの展開を期待しているところです。
 楞厳寺の裏山には西国三十三所観音も造立されています。
 9番不空成就

 11番准胝観音

 29番馬頭観音

(注)大久保修著「善光寺型六地蔵」『日本の石仏』№161、2017年、日本石仏協会
(地図は国土地理院ホームページ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の石仏写真館(94)庚申塔

2022年07月11日 | 石仏写真館

伊藤介二・昭和の石仏写真館(94)庚申塔
庚申塔(埼玉県三郷市・極楽寺)
全体

寛文6年(1665)

元禄6年(1702)

明和4年(1767)

嘉永5年(1852)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六地蔵 新潟県上越市柿崎区

2022年07月07日 | 里山石神端書

里山の石神端書87 上越市柿崎区米山寺・密蔵院の六地蔵

 米山を代表する登山口の密蔵院は、米山南山麓の米山寺という集落にある寺で山号は医王山です。


 本尊は薬師ですが、地蔵信仰も篤かったのでしょうか。参道入口に地蔵菩薩が鎮座し、その角柱台座に地蔵の真言「オン・カ・カ・カ・ビ・サンマ・エイ・ソワー・カー」銘があります。境内の覆い屋の中に、色彩の跡が残る坐像の六地蔵も並んでいます。
 この六地蔵にはそれぞれ名称がありますが、ひっくるめて六地蔵として個々の名称を呼ぶことはあまりありません。大護八郎氏は『石神信仰』(注)で「六地蔵は経軌にないため、わが国においては宗派によって諸種のものがおこなわれている(略)それぞれの六地蔵が何経にあるものかを見究めることは困難である」としています。それでも各尊名を右から江戸時代に描かれた『佛像圖彙』に照らして左から紹介します。

 金剛宝地蔵、金剛慈悲地蔵、金剛幢地蔵

 金剛願地蔵、放光王地蔵、宝性地蔵
 この米山寺は古代から中世にかけてこの地にあった米山信仰の中心の寺でしたが、戦国期に破却され、江戸時代になった元和二年(1616)に侑照法印により中興されて密蔵院となったとされています。それ以後、農民の五穀豊穣の神として再び米山信仰の中心となりました。下の写真は密蔵院から米山への登山口です。

(注)大護八郎著『石神信仰』1977、木耳社
(カッコ地図は国土地理院ホームページ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする