箆岳山(ののだけやま) 天台大師・智顗(てんだいだいし・ちぎ)
【データ】箆岳山 236メートル▼国土地理院25000地図・涌谷▼最寄駅 JR気仙沼線・のの岳駅▼登山口 宮城県涌谷町のJRのの岳駅▼石仏 箆岳山山頂の箟峯寺境内。地図の赤丸印
【案内】箆嶽山は仙台平野の北の丘陵にある小さな山。しかし、山頂の箟峯寺(こんぽうじ)は、東北の古代史に登場する大きな歴史をもつ寺である。寺の案内によると、坂上田村麻呂の蝦夷討伐後に、京都清水寺の十一面観音を勧請して観音堂を建立、法相宗の寺として奥州鎮護の祈祷道場となったという。後に慈覚大師が再興、無夷山箟峯寺と改めて天台宗の寺となった。
観音堂の裏に僧形の石像が坐す。台座には「天台大師」とある。天台大師は、慧文・慧心につづく中国天台宗の第三祖智顗(538~597)で、実質的には天台宗の開祖とされている僧である。日本天台宗の開祖最澄(767~822)は渡唐して中国天台宗第六祖湛然の弟子である道邃・行満に学んでいる。日本各地に残る智顗の絵図や像を見ると、頭部に仏像の如来にみられる肉髻(にっけい=こぶのような盛り上がり)のようなコブが描かれている。箆岳山の智顗の頭も同じように盛り上がっている。箟峯寺のご住職の話では、「智顗が五体投地の修業をしているとき、頭を地面にこすりすぎたために出来たもの」だそうである。
【独り言】山は箆、寺は箟と使い分けるのが正しいのかなと、このブログでは箆岳山、箟峯寺と使い分けました。国土地理院では菎に統一、地元の涌谷町も菎を使っています。箟峯寺は奥州三十三観音札所の9番。箆嶽山の山頂まで車道が通じていて参拝者が絶えません。観音堂の裏には、先代の住職が育てたというカタクリが咲き誇っていました。東北でもカタクリの群生は珍しいのでしょう、大勢の人が車で登ってきます。
境内にある白山堂の横には「無夷山ト號ス/箟ノ宮/田村将軍建之」銘がある石塔が立っていました。ご住職は〝ののみや〟と読んでいました。東北の名刹を感じさせる銘の石塔です。田村麻呂がこの地を重要視したのは、箆岳山の西山麓にある金(砂金)だったようです。そこに建つ黄金山神社の案内には、我が国で最初に金を産出した地とありました。黄金の国ジパングといわれた日本も、奈良時代以前は国内で調達することができなかったようです。案内によると、東大寺大仏建立の折、大仏を鍍金する金が不足していたときに、この箆岳山の山麓から金が出て献上されたそうです。天平21年(748)のことでした。大仏開眼は天平勝宝4年(752)田村麻呂が蝦夷地を平定したのは延暦20年(801)です。