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偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏956突先山(静岡)如意輪観音道標、聖一国師

2021年02月15日 | 登山

突先山(とっさきやま) 如意輪観音道標(みちしるべ)、聖一国師(しょういちこくし)

【データ】 突先山 1021メートル▼最寄駅 JR東海道新幹線・静岡駅▼登山口 静岡県静岡市葵区栃沢▼石仏 突先山の北の釜石峠、地図の赤丸印。青丸は登山口の道標、緑丸は聖一国師石碑▼地図は国土地理院ホームページより


【案内】 突先山の西側の登山口になる栃沢は山間の茶畑の中にある小さな集落。茶畑は谷に奥までひろがり林道がのびている。登山口に小さな道標「従是/右足久保/左山作場/道」が立つ。足久保は突先山の東側の登山口、山作場は耕作地への道であろう。ここから沢沿いの道がしばらく続き、尾根に取りつくと釜石峠に出る。
 峠手前の道が二俣になるところに如意輪観音が祀られている。高さ43センチの素朴な像容の如意輪が刻まれ、そのまわりに「是より/右ハ美和村あしくぼ/左ハ玉川村たくみ」銘が入る。側面に「大正元年秋」銘。道標を兼ねた如意輪である。台座には内野姓の三人の名前。道標は栃沢の内野内三人により造立された。
 突先山へは石仏の先から尾根に取りつく。



【独り言】 聖一国師 登山口の栃沢集落のなかに「聖一国師」の石碑が立っていました。250センチもある大きな碑で、そこは駐車場もある小さな集落の中心地です。碑の背後には「聖一国師幻のお茶」なる看板と茶畑がありました。聖一国師とは何者なのでしょう。
 手元にある中嶋繁雄氏の『日本の名僧100人』(注1)によると、わが国最初に国師号を得た僧として臨済宗の円爾(えんに)(1202~1280)がとりあげられています。この円爾の諡号が聖一国師で、生まれたのが突先山登山口の栃沢とされ、なおかつ静岡茶の始祖と祀られている人物でした。はて、お茶といえば栄西と決まっているはずだが、『日本の名僧100人』の栄西(1141~1215)には「茶は栄西より以前の奈良時代から文献に散見されるが、これを一般にひろめたのは栄西の功績」とありました。わが国の茶の祖が栄西、静岡茶の祖が円爾(聖一)ということです。円爾は栄西の弟子・栄朝に学んでいますから、栄西の孫弟子にあたります。京都の東福寺を開いたことも知られている円爾です。
 カワサキ機工のHP「お茶街道」(注2)の歴史探訪には聖一が紹介されていました。それによると、東福寺の記録に「国師の駿河穴窪の茶植」とあるそうです。穴窪は突先山に東山麓の足久保で、先に案内した釜石峠の如意輪観音に刻まれた「右美和村あしくぼ」がそれです。HP「お茶街道」には「母への土産として宋国から持ち帰った茶の種子を栃沢から一山越した足窪村へ播いた」と紹介されています。
 それから栄西ですが、中尾良信氏の『栄西』(注3)に、<日本史の教科書などでは「えいさい」とされてきたが、建仁寺においては一貫して「ようさい」と呼ばれ(略)誕生地である岡山県でも、多く「ようさい」の読みが採用されてきた>とありました。私も「ようさい」と呼ぼう。
(注1)中嶋繁雄著『日本の名僧100人』1993年、河出書房新社
(注2)カワサキ機工HP「お茶街道・歴史探訪」
(注3)中尾良信著『栄西』2020年、ミネルヴァ書房


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