米山(よねやま) 阿毘羅吽欠(あびらうんけん)、大日三尊(だいにちさんぞん)
【データ】 米山 351メートル▼最寄駅 JR水郡線・磐城塙駅▼登山口 福島県塙町台宿、地図の黒丸印▼石仏 尾根の中程、地図の赤丸印。青丸は薬王院▼地図は国土地理院ホームページより
【案内】 越後の米山を勧請した塙の米山は、山麓にある薬王寺の奥の院だった。山頂までの山道に石仏が置かれている。薬王院境内の案内には「延宝(1673~80)の昔、米山中興の祖と言われる宥善上人や、安永(1770~80)年間の義観上人らの布教等によって、八溝山をとりまく広域に「米山薬師信仰」が高まり、多くの信徒達の寄進により、寛政二年(1790)の春、建立されたと伝えられている」とある。
米山への道に置かれた石仏は、舟形光背の上部に各霊場のご詠歌、下に本尊銘があって四国八十八ケ所霊場の本尊とわかる。中腹の小ピークには弘法大師の石像もある。それから真言塔や宝篋印塔も立つ。真言塔は二基。一つは梵字のア・ビ・ラ・ウン・ケン(阿毘羅吽欠)銘が入る胎蔵界大日如来真言塔。一つは一番下のオンから左回りに「アボキャベイロシャナウマカボダラマニハンドマヂンバラハラバリタヤウン」の24文字からなる光明真言塔(米山の塔には最後のウンが入っていないので23文字)。胎蔵界大日真言を唱えることによりすべてが成就し、光明真言の功徳は過去に罪障を取り除く、などの御利益がある。
米山の光明真言塔には中央のアを囲むように、天地左右にビ・ラ・ウン・ケンの胎蔵界大日真言が入っている。そして宝篋印塔もある。これらは薬王院の関係ある石塔なのだろうか。また「宝暦十庚辰(1760)秋立之」銘もある。儀観が住職だったころの造立と思われる。
光明真言塔の下に「三界万霊」と不動・愛染明王の種字がある。不動・愛染を脇侍とした大日如来となる。
【独り言1】 大日三尊 なるべく避けてとおりたい真言ですが、またその世界に迷い込んでしまいました。よくわからないのが大日三尊の愛染です。塙の米山の光明真言塔は中心に大日如来真言のアビラウンケンがあり、下に不動・愛染明王の種字がある大日三尊形式です。ところで私が知っている大日三尊は、茨城県南部に集中している寛永期の鼻の大きな大日様と称された石仏のなかにある、不動・降三世明王を脇侍とするものです。この三尊形式は大日如来を中心に描かれ、息災・増益・延寿・滅罪を祈願するときに用いる尊勝曼荼羅(そんしょうまんだら)で、その両脇下に不動と降三世の明王が描かれています。これに対して大日と不動・愛染の三尊形式が何にもとづいているのかは、わかりません。大日と不動・愛染の三尊形式は山伏の笈に描かれているのを何度か見たことがあります。しかし像容のあるこの三尊形式の石仏は見た覚えがありません。
米山の登山道には別の石仏もありますので、それは次回(番外・米山)に案内します。