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偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏853秋葉古道(静岡)不動明王

2019年05月17日 | 登山

秋葉古道(あきばこどう) 不動明王(ふどうみょうおう)

【データ】 秋葉古道 885メートル最寄駅 遠州鉄道天竜浜名湖鉄道・西鹿島駅登山口 静岡県浜松市天竜区春日野領家の秋葉神社石仏 秋葉神社から北の山住神社までのかつての参道の道内、地図の赤丸印。青丸は機織井、緑丸は町石地図は国土地理院ホームページより

【案内】 沖和雄氏の「秋葉街道覚え書」(注1)によると、信州の飯田方面から遠州の秋葉山へ向かう信仰の道は青崩峠を下った水窪で二つに分かれた。一つは岩井戸、名古尾など山腹の集落をつないで前不動に出て秋葉山に登る道。二つは水窪から山住峠に登って、尾根通しに竜頭山から前不動に出る道。主に山腹の集落を通る道が利用されたという。ここに案内する秋葉古道は二つめの竜頭山を通る道で、長年この道を調査して復活の活動を続けている「よみがえれ秋葉古道の会」(世話人・近藤饒氏)のHP資料を基にしたものである。

 尾根通しにあった秋葉山への信仰の道がスーパー林道天竜線により寸断されたのは昭和59年。これによりかつての信仰の道は廃れ、要所にあった石仏を訪ねるには、近藤氏たちの資料とそのメンバーが取り付けた小さな案内板を頼りにするしかない。その起点は神社の北東にある機織井。山上近い窪地に沸く清水は、秋葉寺の僧が祈り出したものとされた秋葉山信仰の垢離場であり雨乞いの場となっていた聖水(注2)。木祠内には丸石が祀られていた。

 車道に戻って、古道は第2駐車場の脇を通り町石が立つ。秋葉古道の会資料にある「四十四丁」だ。続いて「四十三丁」で車道に出る。町石はこのブログの秋葉山常夜塔で案内した竿と火袋が一体となる秋葉山独特の形。これより先、古道は車道に寸断されながら前不動に出る。

 前不動には二体の石仏が並び立つ。林道工事の際にここに祀りなおされた印象で、一体は不動明王、もう一体も頭部と右手が欠けているものの、左手に羂索を握っているので不動明王であろう。不動はこの先の賽の河原にもある。秋葉山といえば狐に乗る秋葉三尺坊で、関連する飯縄権現(いずなごんげん)や荼吉尼天(だきにてん)を想像するが、秋葉古道に不動がみられるのは、やはりこのコースが修験の廻峰コースだった名残であり、沖氏が指摘しているように、竜頭山が不動尊をまつる秋葉の奥の院だったことに由来する不動明王なのであろう。
 秋葉古道はここで二分する。秋葉古道の会の資料ではさらに尾根通しに北上する道を〝奥の院街道〟、山腹に道に下るのを〝塩の道〟として案内している。
(注1)沖和雄著「秋葉街道覚え書」平成10年、雄山閣出版『民衆宗教史叢書㉛秋葉信仰』
(注2)野本寛一著「火と水の信仰」同上



【独り言】 「よみがえれ秋葉古道」の近藤氏の手記によると、スーパー林道天竜線が開通する昭和59年以前は、秋葉山・竜頭山・青ナギまで縦走するのが登山のトレーニングでしたが、林道が開通してからは足が遠のいてしまったそうです。しかし、林道によって分断されたものの、旧態を残した部分も多いという情報にふれたのが切っ掛けとなり、再び足を運んだのは17年後でした。現地に立って古道がまだまだ残っていることに感銘し、多くの人に歩いてほしいという願いから秋葉古道の保存活動を始めたそうです。
 林道の随所に古道を案内する小さな道標があります。会の案内地図をたよりにこれを追っていけば多くの石仏に出会うことができます。できれば歩きが理想です。しかし距離があるので今回は無精して車で探し回りました。次回は前不動から賽の河原・地蔵山(仮称)・八尺坊へと尾根通しの古道を北上します。
 次回「石仏番外 秋葉古道・賽の河原、町石」


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