鹿留山(ししどめやま) 馬頭観音菩薩(ばとうかんのんぼさつ)
【データ】鹿留山 1632メートル▼25000地図 御正体山、富士吉田(地図に山名なし。杓子山の東の三角点)▼最寄駅 富士急行線・富士吉田駅▼登山口 山梨県忍野村の内野集落▼石仏 鹿留山の南、立ノ塚峠
【案内】内野の集落から立ノ塚峠まではゆるやかな道が続き、峠には下半身土に埋もれた石仏が一体静まっていた。合唱する石仏の姿からだけで尊名を判断するのは難しいが、頭部に馬の頭があった痕跡があり、馬頭観音菩薩とした。馬を利用したかつての峠道には馬頭観音が多い。このゆるやかな峠道も馬が利用されたのであろう。いま峠道 はここで途絶えているが、昭和15年に出された『日本山岳案内・丹沢道志山塊』には内野峠となっており、東桂からの道が案内されているので、古くは忍野と都留を結ぶ道として利用されていたようだ。馬頭観音の下半身はどうなっているのかと掘り出してみたら欠けていた。土に埋めてあったのはそのためで、これが峠の石仏らしい情景となっ てすっかり馴染んでいた。峠から鹿留山は急な登りが続く。ブナの古木が立つ静かな山頂は西の杓子山より高いが展望がない。登山道もここから先になく、立ノ塚峠・杓子山間の尾根道から往復する形となり、不遇をかこっている。
【独り言】忍野村の帰り、前から行ってみたい博物館だった「富士吉田歴史博物館」に寄りました。富士山のお膝元だけあって、敷地内に富士信仰を支えた御師の家や石造物が移設、復元されている大きな博物館でした。この博物館の特徴はもちろん富士信仰に関する常設展ですが、不定期に開かれる富士信仰の企画展も見ものです。これまで何度も開かれ、 富士信仰を総合的に調査研究してきた成果がまとめられてきましたが、残念ながら私は一度も見ていなかったのです。いつも終わってから企画展の資料を取り寄せるだけでした。その資料を最初に取り寄せたのは、博物館の前身である富士吉田郷土館が昭和58年に企画した「神鈴峰(三ツ峠)中興の祖 空胎上人の生涯」でした。この資料を手にして以来、一度行ってみたい博物館だったのです。後に神鈴峰(三ツ峠)の資料がベースとなって出版されたのが『三ツ峠の信仰と民俗』(平成4年、西桂町文化財審議会編)で、それは立派な本になりました。