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偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏573谷村・天神山(山梨)一石六地蔵

2015年03月16日 | 登山

谷村・天神山(てんじんさん) 一石六地蔵(いっせきろくじぞう)

【データ】谷村・天神山 580メートル。地図に山名はなく、都留トンネル南の580標高点▼最寄駅 富士急行線・谷村町駅▼登山口 山梨県都留市上谷の谷村町駅▼石仏 天神山の北の鍛冶屋坂。地図の赤丸印。青丸は元坂▼地図は国土地理院ホームページより


【案内】都留市の谷村から東の菅野川沿いの集落へは、観音山の北と南に峠道があった。北が鍛冶屋坂、南が元坂で、ここに案内する一石六地蔵は鍛冶屋坂にある。一石に六地蔵を刻む石塔には一面に二尊ずつ三段、三尊ずつ二段、三面に二尊ずつなどいろいろある。しかし六尊を並列に刻む一石六地蔵は、山梨県にしかない石仏で、山梨ではどこにでもある石仏風景である。しかし山で見ることはなく、このブログでは一度市川三郷町の蛭ヶ岳で案内した。
【参照】蛭ヶ岳



 鍛冶屋坂の一石六地蔵は、里ちかくの大室神社境内にあるもので、周辺にあった石仏を集めた場所のなかにある一体。馬頭・庚申・二十三夜・念仏などの石塔とともにたたずむ。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道の衆生を救済する地蔵菩薩はさまざまな形で石仏に造立されてきた。古い順からするとまず中世に単独で、次に六尊として、また石憧として六面に、そして山梨では近世に一石に六尊並列が登場する。一石六地蔵は庶民信仰の石仏となって、山梨の国中(甲府地方)郡内(都留地方)の両地方に造立されていったようだ。鍛冶屋坂のそれには「奉造六地蔵尊 三界満霊」とあり、過去・現在・未来の救済を地蔵に託した造立である。六尊のなかには香炉や数珠を持つ地蔵もあって、単調ななかにも趣を凝らしたあとが見える。


 天神山の南の元坂には安永八年(1779)、明治四十五年、大正七年、昭和四十七年の馬頭尊が地蔵とともに並んでいた。




【独り言】先に案内した鍛冶屋坂と元坂の石仏がある場所の頭上は、水路を通すアーチ型の陸橋があります。水路は発電所へ水を運ぶためのもので、取り入れ口は都留市鹿留の桂川の鹿留発電所。一度発電した水は再び水路に入り、すぐ桂川の支流・鹿留川を渡って尾崎山の山中に潜り込んでいきます。あとは山中に掘られたトンネルを通り、都留市下谷の発電所までほぼ水平に流れて行きます。トンネル内水路の標高は550メートルぐらい。途中標高の低い峠状のところでは地上に出ます。それが鍛冶屋坂と元坂。石仏はその工事のときに集められたのでしょう。この日は水路の入り口を見て、水路トンネルが掘られた山を歩いて発電所上の用水池まで、見えない水と一緒に歩いた不思議な山登りでした。


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