テニスと読書とデッサンと!

失敗は栄養素。

いつだったか読売新聞朝刊の編集手帳に、

英国詩人ジョン・クレアが友人に

宛てた手紙の一部が引用されていました。

「もし人生に第二版があるならば、私は校正をしたい」。

私もそう思います。ホントにそう思います。

 

つい口をついて出てしまった

自分でさえ耳を疑いたくなるような失言、

ここ一番というところで

取ってしまった優柔不断な態度、

やらなければならないことを

やらなかったことへの後悔、

やってはならないことを

臆することなくやってしまった思慮の浅さ・・・

何かをすることによって、

あるいはしないことによって

生まれた失敗はいまだ未解決のまま

私の喉奥に鋭利な魚の骨のように

引っかかっています。

自分だけが傷を負う失敗ならまだしも、

誰かの心を傷つけてしまった失敗は

取り返しがつかない。

仮にそれが本意ではないにしてもです。

 

人は人との関係の中で失敗を経験しながら

成長するものという前提に立って考えれば、

私たちはそうした関係の中で

いくつも何度も同じような失敗を繰り返します。

人間はまるで失敗の製造ラインを

自分の中にもっているようなものかも知れません。

確かにジョン・クレアが記したように、

人生を校正できればそれに越したことはありません。

しかしながら残念なことに

現実には人生に第二版は存在しない。

仮にそれが存在したとしても

私には校正漏れをする自信があります。

多分第三版でも第四版でも

ことごとく校正漏れをすることでしょう。

いっそプロの校正士にでもお願いすれば、

私の人生からはさっぱり失敗が消えるのかも知れない。

だけど失敗をなかったことにしてしまうと

せっかくの人生がのっぺりとした更地のように

つまらない人生になってしまいそうで怖い。

もちろん失敗なんかしたくありませんが、

それは仕方のないことだと思います。

だからもし人生に第二版があるとしたら

私は校正士にこうお願いするかも知れない、

失敗しておいて良かったと思える失敗だけを

数少なめに適当に散りばめておいてくださいって。

そうしたら校正士もきっとこう言うでしょう。

それはオプションメニューなので

特別料金をいただかなくてはなりません。

 

※写真は清水ヶ丘公園からの夕景。

犬を連れて散歩に出たものの、なかなか帰りたがらず、

結局日が沈むまで公園内で遊んでいました。


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