晴れていてもくっきり富士山が
見えるとは限らないし、
曇っていたってなんとなく見える日もある。
そんな気まぐれなところが
なにかに似ていて魅力的なんだろうなぁ。
展開の先行きを予測したり思い描いても
そうならないこともある。
いや、そうならないことの方が
圧倒的に多いんじゃないかなぁ。
だからその意外性を面白がったり
ヤキモキさせられたりして
ちゃんと退屈しないように
世の中は作られているのかも知れない。
未来に対して興味や関心を持つことで
そこから希望とか夢みたいなものが
立ち上がってくるのだろうか。
予定を立てることは未来を設計すること。
人生が数学だけでできていて
しかもその計算が正しければ
きっと思い描いた設計図通りに
未来は運ばれてくるのだろうけれど
それはそれでひどく退屈だし寂しいと思う。
サプライズやハプニングなど
未来には予見できないことが
たくさん転がっているからこそ
退屈しないんじゃないだろうか。
富士山はひとり孤独な朝を迎えた人の
心細い"おはよう"にも、
満ち足りた人の元気な"ヤッホー"にだって
ちゃんと向き合ってくれる懐の深さを
もった存在なのだと思う。
だからこそみんなから愛されるのだろうか。
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