〔写真1:表紙;女性パイロット竹内一恵さん〕
4月5日の産経新聞は、竹内一恵さんが自衛官出身の女性初の民間機パイロットとして転身したと報じた。以下は記事が報じた内容の抜粋である。
1.竹内一恵さん
大学時代の竹内さんは、体育会系航空部に所属して大空をグライダーで飛び回っていた。就職活動の時期にパイロットを目指す決心をしたが、女性にとってパイロットという職業は大変厳しい選択であった。おりしも、航空自衛隊が女性に門戸を開くことを知って、採用試験を受験した。父親は海上自衛隊のフライトエンジニアという家庭環境であったが、合格通知が届いたとき、両親はこの選択に反対した。しかし、竹内さんは入隊し、航空自衛隊で初の女性パイロットになった。
竹内さんは、自衛隊での飛行時間は3000時間を超えるベテランの域に達していた。だが、ベテランと呼ばれるようになって、デスクワークを学ぶために、飛行部から調整役に配置替えとなった。女性パイロットとして、ずっと飛び続けたいと夢を追う決断をした彼女は、自衛隊幹部の道から全日空へ転職した。2年前のことであった。
2009年3月から、竹内さんは副操縦士として旅客機に搭乗している。コックピットから飛行状況をアナウンスする竹内機長の声を聞く機会が間もなくやってくることだろう。
〔写真2:全日空の制服姿の竹内一恵パイロット〕
産経新聞の記事は、 ⇒ここをクリック
人生の早い時期から、自分の夢を探し当てて、将来へ向けて努力して実現させていく。この姿は、女性、男性のどちらであっても恰好が良い。
4月3日、竹内さんは母校の法政大学の入学式で祝辞を述べた。この素晴らしい生き方にあこがれて、将来の夢を現実にしようと後に続き、努力を惜しまない後輩たちが増えることだろう。〔写真1:表紙〕
法政大学で祝辞を述べる竹内一恵さん
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竹内さんの記事を読む前に、私のパソコンには、二人の女性パイロットの記事が保存されていた。先輩の女性パイロットたちのことを少しだけ書きたい。
2.ナンシー・バード・ウォルトンさん
1915年、ウォルトンさんはオーストラリアで生まれた。17歳で飛行機操縦を教わり、2年後に19歳でオーストラリア女性では、初の事業用飛行機操縦免許を取得した。その後、「ロイヤル・ファー・ウェスト」に雇われ、看護婦を飛行機で地域の乳幼児保険診療所に運ぶ仕事に従事した。終生、この機関のサポーターとして尽力した。
1997年には、オーストラリア・ナショナル・トラストから「国家無形文化財」の指定を受けた。
2009年1月12日、ナンシー・バード・ウォルトンさんは、シドニー・ノース・ショア、モスマンの自宅で死去した。93歳だった。
〔写真3:オーストラリア初の女性パイロット;N・B・ウォルトンさん〕
オーストラリア発最新ニュース「女性飛行士の先駆け、死去」
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3.西崎キクさん
1912年に、埼玉県で生まれた西崎キクさんは、外国へ飛行した日本初の女性パイロットとして知られている。西崎さんは、師範学校を卒業して小学校の教員となるが、飛行場で飛行機に触れ、コックピットに試乗したことがきっかけとなり、飛行学校に入学した。20歳で飛行機操縦士免許を取得した。翌年、満州訪問飛行を行って、女性として初めて日本海を横断した。
満州国埼玉開拓団に加わり満州へ移住した。終戦後に引き揚げて帰国した。この間、小学校、中学校の教員を務めた。
1976年にNHKが放送した朝ドラ「雲のじゅうたん」のモデルとなった人物の一人といわれている。1979年に66歳で亡くなった。埼玉県上里町では「郷土の偉人」として遇されている
〔写真4:=郷土の偉人=西崎キク〕
上里町ホームページ 郷土の偉人「西崎キク」 ⇒ここをクリック
英語の勉強法に、音読トレーニングで頭の中に英語の基礎回路を作る「英会話・ぜったい・音読」という方法がある。このテキストの入門編に「A Dream Comes True.」というレッスンがあり、女性パイロットKiku Nisizakiさんの夢の実現が教材となっている。私は、この本で女性パイロットのことを知った。
女性パイロット(477,000)、女性飛行士(461,000)、女性操縦士(139,000)
( )内の数字は、2009年4月5日24時時点のグーグル検索結果である。「女性パイロット」になることは、数々の国で何人もの女性が挑戦してきた夢なのだろうか。
もっと知りたい方々には、下記のウェブがあります。
女性パイロット
⇒ここをクリック
二人の女性飛行士-所沢航空発祥記念館
⇒ここをクリック
中国で初の女性戦闘機パイロット誕生
⇒ここをクリック
追記:2013年3月25日、自分のブログをスクロールしていて、「あわせて読む」-「このブログの人気記事」という欄があることを知りました。そこでこの記事「女性パイロットの話題」が紹介されていました。記事の内容をフォローしたら、「中国で初の女性戦闘機パイロット誕生」の記事が読めなくなっていました。
そこで、代わりの記事を探しましたので、興味があればご覧ください。
中国初の女性「戦闘機パイロット」16人が誕生(1) ⇒(ここ)
中国初の女性「戦闘機パイロット」16人が誕生(2) ⇒(ここ)
中国初の女性戦闘機パイロットの実戦演習 ⇒(ここ)
4月5日の産経新聞は、竹内一恵さんが自衛官出身の女性初の民間機パイロットとして転身したと報じた。以下は記事が報じた内容の抜粋である。
1.竹内一恵さん
大学時代の竹内さんは、体育会系航空部に所属して大空をグライダーで飛び回っていた。就職活動の時期にパイロットを目指す決心をしたが、女性にとってパイロットという職業は大変厳しい選択であった。おりしも、航空自衛隊が女性に門戸を開くことを知って、採用試験を受験した。父親は海上自衛隊のフライトエンジニアという家庭環境であったが、合格通知が届いたとき、両親はこの選択に反対した。しかし、竹内さんは入隊し、航空自衛隊で初の女性パイロットになった。
竹内さんは、自衛隊での飛行時間は3000時間を超えるベテランの域に達していた。だが、ベテランと呼ばれるようになって、デスクワークを学ぶために、飛行部から調整役に配置替えとなった。女性パイロットとして、ずっと飛び続けたいと夢を追う決断をした彼女は、自衛隊幹部の道から全日空へ転職した。2年前のことであった。
2009年3月から、竹内さんは副操縦士として旅客機に搭乗している。コックピットから飛行状況をアナウンスする竹内機長の声を聞く機会が間もなくやってくることだろう。
〔写真2:全日空の制服姿の竹内一恵パイロット〕
産経新聞の記事は、 ⇒ここをクリック
人生の早い時期から、自分の夢を探し当てて、将来へ向けて努力して実現させていく。この姿は、女性、男性のどちらであっても恰好が良い。
4月3日、竹内さんは母校の法政大学の入学式で祝辞を述べた。この素晴らしい生き方にあこがれて、将来の夢を現実にしようと後に続き、努力を惜しまない後輩たちが増えることだろう。〔写真1:表紙〕
法政大学で祝辞を述べる竹内一恵さん
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竹内さんの記事を読む前に、私のパソコンには、二人の女性パイロットの記事が保存されていた。先輩の女性パイロットたちのことを少しだけ書きたい。
2.ナンシー・バード・ウォルトンさん
1915年、ウォルトンさんはオーストラリアで生まれた。17歳で飛行機操縦を教わり、2年後に19歳でオーストラリア女性では、初の事業用飛行機操縦免許を取得した。その後、「ロイヤル・ファー・ウェスト」に雇われ、看護婦を飛行機で地域の乳幼児保険診療所に運ぶ仕事に従事した。終生、この機関のサポーターとして尽力した。
1997年には、オーストラリア・ナショナル・トラストから「国家無形文化財」の指定を受けた。
2009年1月12日、ナンシー・バード・ウォルトンさんは、シドニー・ノース・ショア、モスマンの自宅で死去した。93歳だった。
〔写真3:オーストラリア初の女性パイロット;N・B・ウォルトンさん〕
オーストラリア発最新ニュース「女性飛行士の先駆け、死去」
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3.西崎キクさん
1912年に、埼玉県で生まれた西崎キクさんは、外国へ飛行した日本初の女性パイロットとして知られている。西崎さんは、師範学校を卒業して小学校の教員となるが、飛行場で飛行機に触れ、コックピットに試乗したことがきっかけとなり、飛行学校に入学した。20歳で飛行機操縦士免許を取得した。翌年、満州訪問飛行を行って、女性として初めて日本海を横断した。
満州国埼玉開拓団に加わり満州へ移住した。終戦後に引き揚げて帰国した。この間、小学校、中学校の教員を務めた。
1976年にNHKが放送した朝ドラ「雲のじゅうたん」のモデルとなった人物の一人といわれている。1979年に66歳で亡くなった。埼玉県上里町では「郷土の偉人」として遇されている
〔写真4:=郷土の偉人=西崎キク〕
上里町ホームページ 郷土の偉人「西崎キク」 ⇒ここをクリック
英語の勉強法に、音読トレーニングで頭の中に英語の基礎回路を作る「英会話・ぜったい・音読」という方法がある。このテキストの入門編に「A Dream Comes True.」というレッスンがあり、女性パイロットKiku Nisizakiさんの夢の実現が教材となっている。私は、この本で女性パイロットのことを知った。
女性パイロット(477,000)、女性飛行士(461,000)、女性操縦士(139,000)
( )内の数字は、2009年4月5日24時時点のグーグル検索結果である。「女性パイロット」になることは、数々の国で何人もの女性が挑戦してきた夢なのだろうか。
もっと知りたい方々には、下記のウェブがあります。
女性パイロット
⇒ここをクリック
二人の女性飛行士-所沢航空発祥記念館
⇒ここをクリック
中国で初の女性戦闘機パイロット誕生
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追記:2013年3月25日、自分のブログをスクロールしていて、「あわせて読む」-「このブログの人気記事」という欄があることを知りました。そこでこの記事「女性パイロットの話題」が紹介されていました。記事の内容をフォローしたら、「中国で初の女性戦闘機パイロット誕生」の記事が読めなくなっていました。
そこで、代わりの記事を探しましたので、興味があればご覧ください。
中国初の女性「戦闘機パイロット」16人が誕生(1) ⇒(ここ)
中国初の女性「戦闘機パイロット」16人が誕生(2) ⇒(ここ)
中国初の女性戦闘機パイロットの実戦演習 ⇒(ここ)
今回の記事も以前から保存していた資料を参考にしながら、時の人を紹介しているのですね。
⇒ここをクリックとあるのを開くことでされに詳しく知ることができるのは良い方法ですね。
mixiのアップの方法は人それぞれありますが、詳しく伝えようと思えばそれ相当の時間が必要になることと思います。
つかさん流のこの方法は、私も時々真似させて頂いています。
竹内一恵さんの様に夢を追ってそれを実現できる人は幸せです。
現在の若者それぞれが持っている夢、どれだけの人が実現できるでしょうね。
夢を追う若者が最近は少なくなっているように感じられます。
コメントありがとうございます。
最近、テレビが女性兵士が戦場へ出ていくこと、出されること、の是非を報じていました。
竹内さんの職業選択は、この問題もクリアしていると感じました。
ジェンダー(性差)のことを考えると、夢の実現にも色々な意味がありそうですね。
つか