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銀の河 ~ 長浜奈津子のブログ ~

太宰治の魅力と魔力 『人間失格』~道化と狂気のモノロギスト~ おとがたり朗読公演 2019年11月

皆さんこんにちは、長浜奈津子です。

 

連日の猛暑💦 生徒さんによると、史上最高に暑い夏とのこと。

皆さん、いかがお過ごしですか?大丈夫ですか???

…騒がしいですね、すみません。

なんとか工夫して涼をとって、2024年の夏、乗り切りましょう。

 

<太宰治『待つ』>

最近、朗読の生徒さんと、太宰治『待つ』をはじめました。

短編ですが、本当に良い作品です。

主人公は、内気でごくありふれた普通の女性。彼女は毎日、買い物帰りに駅の冷たいベンチに座り、誰ともわからない人を待ちます。具体的な誰かを、何かを待っているわけではない。…でも、素晴らしいなにかを待っています。それは受け身でありどこか狂気じみている。戦時下にただ家で過ごすのみで、世間に対してまったく役に立たない自分を許せないという思い。戦時下における、先の見えない大きな不安の中、それでもやはり人間は光を求める。若い主人公は、ごく自然に「素敵な人」との出会いを求めます。

生きとし生けるものは、本能的にどんな場合でも、光に手を伸ばす。

____ これはきっと、生きるという原点かなと。

 

そして、太宰作品に触れていると私はどうしても…

2019年、成城学園の『第Q藝術』で上演した…『人間失格』が浮かびます。


<何か、とても気になり改札を出た…>

今日、電車に揺られながら、ふと、とても懐かしくなりました。

荻窪で仕事が終わって、帰り道。電車は、三鷹で止まりました。

そこから乗り換えのつもりでしたが…. 気になって仕方がない。

 

気になるから、いきました。

改札を出て「太宰治文学サロン」へ。

2019年、「太宰治文学サロン」にて。

 

 


<「太宰治文学サロン」へ>

太宰治について、教えてほしいと思い三鷹のサロンへ。

大変親切なスタッフさんが、サロン近くにある、太宰がそこで執筆していたという古い二階建ての家屋、そして玉川上水の入水場所、そこに置いてある石碑が、故郷の石であるお話(青森県五所川原市金木町産の玉鹿石)、取水場所から近く、太宰が愛人の山崎富栄と時間を過ごした彼女と住んだ部屋、江戸へつながる水路の後の話、たくさんのお話をして下さいました。

その時、彼は心から太宰を大切にしているのだな、と思いました。お仕事だからではない。ご案内下さって、ひとつひとつご紹介下さるお心に、その方自身の喜びを感じました。親切に対応して下さって、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

 


『人間失格』~道化と狂気のモノロギスト~

太宰治『人間失格』~道化と狂気のモノロギスト~ は、2019年の11月16日(土)でした。

ヴァイオリニスト喜多直毅さんと ”おとがたり”  での上演でした。

 

<太宰治の『人間失格』ショートムービー>

この動画は、1部からダイジェストで 9分ほどにつくったものです。

2019年、この頃の私たち…太宰治の『人間失格』を、喜多直毅、長浜奈津子で。

表現とは、生き物ですので、今また取り組んだら… どうなるかなと思います。

 

 

 


<太宰治『メリイクリスマス』

私が好きな太宰治作品をもう一つ、『メリイクリスマス』です。

もちろん『人間失格』や『黄金風景』も好きですが…この『メリイクリスマス』は特に好きです。

 

これは冒頭部分です。

『東京は、かなしい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行いちぎょうに書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。』

…これですが、勝手に私には… 粉雪の舞う、雪景色が見えます。

無論、襟を立てるほどに、空気は冷たいのです。

そうなると、街のネオンはより冴え冴えと輝きます。

シズエ子ちゃんという名前も好きです。

あの、母の不思議な…お返事もたまらない。

 


そしてラストシーン。シズエ子ちゃんとカウンターに並ぶ場面を。

 

 「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
 「へ?」
 「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」

 こんどは私も少し笑って言った。

 若い主人は、私の言葉を何と解したのか、
 「や、かなわねえ。」と言って笑い、鉢巻はちまきの結び目のところあたりへ片手をやった。

 「これ、あるか。」私は左手で飲む真似まねをして見せた。
 「極上がございます。いや、そうでもねえか。」
 「コップで三つ。」と私は言った。

 小串の皿が三枚、私たちの前に並べられた。

 私たちは、まんなかの皿はそのままにして、両端の皿にそれぞれはしをつけた。

 やがてなみなみと酒が充たされたコップも三つ、並べられた。

 私は端のコップをとって、ぐいと飲み、

 「すけてやろうね。」

 と、シズエ子ちゃんにだけ聞えるくらいの小さい声で言って、母のコップをとって、

 ぐいと飲み、ふところから先刻買った南京豆の袋を三つ取り出し、
 

 「今夜は、僕はこれから少し飲むからね、豆でもかじりながら附き合ってくれ。」

 と、やはり小声で言った。(青空文庫より)

 


<公演記録>


太宰治『人間失格』~道化と狂気のモノロギスト~

『自分は、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない個所の雪を両手で掬い取って、顔を洗いながら泣きました。』

真実と虚実の谷間を彷徨う男一人。
虚ろな目に映るのは、過ぎ去っていく一切。
東北の田舎の裕福な家庭に生まれ育った葉蔵。厳格な父の存在と使用人による性的虐待が、彼の心に初源的な無力感と対人恐怖を植え付ける。彼にとって人間環境は過酷であり、そこを生き抜く術として葉蔵は人々の気持ちを先読みし、道化を演じる事により『気に入られる』ように務める。それは彼の恐れと弱さを覆い隠し、人々の好意を得るためには十分であったが、人を欺き続ける罪悪感も同時に強く抱えることになる。成人した後も人間恐怖は心の中で肥大し続け、激しく彼を苛むものとなった。他者に対する恐れ、不信感、諦めは、葉蔵を優しく庇う女性達に対しても抱かれた。やがて全てに絶望した葉蔵は死を希求する。このような精神状態が続く中、アルコールと薬物への依存は悪化し、遂に彼の人格は荒廃した。しかし発狂の後、彼の心にやっと初めての凪が訪れる。

物語が進むにつれ、葉蔵が徐々にモラルから逸脱し人として堕落していくのは明らかだが、一つ一つのエピソードに於ける彼の行動は、人間の恐怖から自分を守ること、“阿鼻叫喚”の世界で何とか生き延びることが動機となっている。全ては生きるため。
本公演は問いに満ちている。葉蔵は過ちを犯したのではなく、ただ悲劇の中に投げ込まれ道化の仮面をかぶることでしか生きられなかったのではないだろうか?彼は本当に人間として失格だったのか?そして私達は果たして『人間合格』なのであろうか?


出演:おとがたり
   長浜奈津子(朗読)
   喜多直毅(ヴァイオリン)

日時:2019年11月16日(土)14:30開場/15:00開演
会場:アトリエ第Q藝術1Fホール(成城学園)
https://www.seijoatelierq.com





おとがたり 朗読とヴァイオリン
https://www.otogatari.net/


2019年、成城学園『第Q藝術』にて。

 
 

 

 

˚˙༓࿇༓˙˚˙༓࿇༓˙˚˙༓࿇༓˙˚˚˙༓࿇༓˙˚˙༓࿇༓˙˚˙༓࿇༓˙༓࿇༓
 
太宰治の魅力と魔力


最後までお読み頂きましてありがとうございました


 
 
 
 
 

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