昨日今日は幼稚園の作品の窯焼きをしながら読書したり制作したり・・・でした。
また柄谷行人を読みました。「隠喩としての建築」です。これは建築に関する本ではなく、哲学、現代思想に関する本です。
西洋哲学は「カオス(混沌)」というのが心底嫌いらしい。堅い土台の上に積み上げられた石造りの「建築」のような、揺るぎない知的秩序を目指して頑張ってきた。それというのも何とか恐ろしいカオスに飲み込まれるのを避けたいが為だった。
私も部屋が散らかっているのは嫌な方です。それでも部屋中に本や衣類が散乱してしまうこともある。だからたまには大掃除も必要です。本は書棚に、衣類はタンスに・・・。ひとつひとつの品を細かく分類し、収めるべき場所に、後で取り出しやすいように秩序よく片付けていく。
やがてすべてがキレイに片付いた部屋の中に、私はいまだ片付け得ぬあるものが残っていることに気付く。それこそがさまざまな混乱の元凶でもあり、かつ秩序をもたらすもの・・・私自身を片付ける。
・・・・というような不出来なメタファー(隠喩)は、柄谷の本とは実は何の関係もありません。単なる私のメタフォリカルな感想です。
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