~青いそよ風が吹く街角~

映画(主にミニシアター映画)の感想文を軸にマイペースで綴っていきます。

*『わが母の記』* ※ネタバレ有

2012-05-04 21:09:16 | 映画【日本】


  『わが母の記』:公式サイト

親愛の情

井上靖の自伝的小説『わが母の記~花の下・月の光・雪の面~』を原田眞人監督が映画化。
母親に捨てられたという想いを抱きながら生きてきた伊上洪作〔役所広司〕が
老いた母親で認知症の八重〔樹木希林〕との断絶を埋めようとする姿を描く。

宮崎あおいは20代後半だけど、童顔なので学生服に三つ編みは違和感なかったよね。^^
宮崎あおいをはじめとする若手も実力派を揃えていたので
実績豊富なベテラン陣との調和がとれていて観やすかったです。

洪作は“捨てられた”のではなくて、“生かす為だった”という真実にじーんときました。
その当時は家系を重んじる時代だっただろうし、その血筋を絶やさない為には
兄弟を分けてでも誰かは生かさなければならない。
八重にとっても苦肉の策でそうしたのだろう。
そして、しっかりしている洪作ならば大丈夫だと信じたからこそ
八重はあえてそうしたのでしょうね。
過保護にかまうだけが愛情ではなくて、
その子の本質を見極めてしっかりしている子ならば
あえて突き放すのも厳しいながらも深い愛情だから。

だけど、計算違いは八重の祖父の妾(愛人)であったおぬいが洪作の養母にあてがわれ
そのおぬいが居所を知らせず洪作を長年放さなかった事なのかもしれない・・・。
八重は自分自身に責任も痛感しただろうし、
息子である洪作に言い訳も出来なかったのかもしれない・・・。
八重に捨てられたと大人になってからも思い込んでいた洪作は苦しかっただろうし、
だからこそ、モヤモヤする葛藤が執筆への原動力にもなっていたのかもしれない。
だから、仕事で成功しているという意味では過去がマイナスになっていない気もする。
むしろ、ずっと大きな苦しみを抱えていたのは八重だったのだろう。
晩年の八重は認知症を患っていたので
どこまでが本心でどこまでが症状かわからない・・・。
だけど、“現実の出来事”と“邂逅が生み出す虚構”の狭間で浮遊しているような晩年は
重い枷をいくつか下ろせると意味では
八重にとっては肩の荷がラクになっていたような気もする。

ただ、おぬいは遺影だけで、登場する場面がなかったので
 なぜ、おぬいは洪作を何年も手放そうとしなかったのか?
その理由が私はよくわからなかった・・・。
 その役割に甘んじるしかなかった女の意地なのか?
 洪作と暮らすうちに母性がわいてきて手放したくなかったのか?
そんな感じなのかしらね?
多少、長尺になってもその辺の心境が描かれていたら
より一層感情移入出来たような気もする。

とは言え、気になったのはおぬいの心情だけで他の描写は満足しましたよ。
ドラマチックに涙を誘うように感情を煽るのではなく、
まろやかな口調から滲み出るさりげない言葉がじわっと心に染み入ってくる。
穏やかな描き方が心地良かった作品でした。


2 コメント

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手堅い (AKIRA)
2012-05-05 11:04:59
たしかに,
おぬいの気持ちも少しは入れてほしかったなと感じました。

配役から映像まですべてが手堅い!
でも,イヤに感じない自然な見応えを満喫させてくれましたね。

役所さんが良かった~
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おぬい、役所さん。 (BC)
2012-05-05 13:24:06
AKIRAさん、こんにちは。

おぬいの気持ちも描いたらもっと良くなった気もしますよね。
当初はおぬいの出番もあって、樹木さんがおぬい役を演じたがっていたみたいだけど、
結局、おぬいの出番がなくなったので八重役になったみたいですね。

配役・映像など全てにおいて手堅い作りで上質な作品でしたね。
役所さんはどんな役でも自然に表現出来る良い役者さんですね。
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