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服
妻を交通事故で亡くし失意の中、父娘は新天地へ引っ越してくるが、
娘が男子生徒との関係を盗撮されたのが発端でいじめに遭ってしまう・・・。
やがて、娘が失踪し、ある決断に踏みきってしまう父の姿を描く。
2012年【第65回カンヌ国際映画祭】「ある視点」部門グランプリ受賞作。
“いじめ”を描いた映画と言えば『リリイ・シュシュのすべて』がよぎるし、
少女を主人公にしたデリケートな題材なので岩井俊二監督ぽい作風なのかな?と予想していたけど、
相米慎二監督ぽい作風でしたね。
特に、クライマックスの長回しは『魚影の群れ』を思いだしたな。
一緒に暮らしていても和気あいあいな家族は稀で、
実際は素っ気ない会話で家以外の職場や学校での出来事は必要以上話さなかったりするよね。
だから、この父娘もお互いを干渉しない(干渉できない)ごく普通の家族のような気がした。
だからこそ、やるせない展開・・・。
父はいじめの発端となる動画撮影したホセに復讐したのは
アレハンドラは既に亡くなったと思い込んでいるからですよね?
家族って、どんな絶望的な状況であっても死体が見つからない限り、
生存を信じようとするものだと思うけど、
そうじゃなかった父は娘であるアレハンドラを信じてなかったのかしら?
もっと酷いいじめをした生徒は他にもいるのに
復讐の矛先をホセに1人だけに向けるのはいかにも男親ならではって感じだよね。
(普通の恋愛でさえ、娘に彼氏が出来ると一発殴りたくなる気持ちになるのが男親みたいだから。)
逆に女親だったならば復讐の矛先は女生徒に向けるだろうけど。
(女は女が嫌いな生き物だから。)
アレハンドラはいじめの件を父に言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだと思う・・・。
アレハンドラは妻の死から立ち直れていない父親を気づかってというのもあるかもしれないけど、
そういったありきたりの理屈だけじゃない。
多分、アレハンドラはいじめられている自分が受け入れられない(いじめられている自分が許せない)
自分へのプライドだと思う。
最初、動画が流出した時はそれを気にして学校へ行かなかったのに
いじめられてからは学校に通い、いじめがエスカレートする日々の中、学校の宿泊行事まで参加している。
もう感情なんて薄れてきて残っているのは惰性だけ・・・。
それでも、逃げ道を模索するのが人間。
その逃げ道が最悪な方向へは行かず、
父と距離を置いても生きる事を選んだアレハンドラは強いのかなって思った。
気が小さく不甲斐なかった父がアレハンドラいなくなってから、
どんどん突き動かされるように真相を調べていくんですよね。
奇しくもこうなってしまってから、男らしく父親らしくなっていく。
つまり、そういう点ではある意味、父の心の成長物語でもあるんです。
だからこそ、父は最後に取り返しのつかない行動(復讐)に走ってしまったのはアイロニーなわけで・・・。
共感は出来ないし、後味も良くはないけど、台詞が少なく、余白を持たせた作りなので、
言葉の間合いや場面の意味合いの想像がめぐる作品でした。