Bits'nBites

その時自分が見たり感じり考えたりしていること
自分の足あととこれから歩いていく道

black out

2011-03-12 18:47:39 | thoughts
東北地方大地震が起きた日、珍しく都内ではなく横須賀に出社してました。

免震構造で六階建ての三階にも関わらず、パソコンのディスプレイが転けそうになってそれを支えて茫然と立っているのが精一杯でした。それもなかなか揺れが止まず、これからまた大きい揺れがくるんじゃないかと、そしたら今私は何をすればいい?
そうこうしているとパソコンの電源が落ち、電気が消えました。
自家発電で半分だけ、電気が付きましたが、必要最小限に消費を抑えるためにトイレも一棟だけしか使えなくなりました。
停電の復旧目処は立たず、3時に何も出来なくなって情報からも遮断され外界で何が起きてるのかよく分からず、とにかく自分達の不便な境遇と何も出来ない手持無沙汰さにその時はみな頭が一杯で暇つぶしに不謹慎にも机の掃除をしたり、ウノで遊んだりしてました。
多分、その日のうちには帰れるだろうと楽観的な思いでいましたが、京急やJRの再開の目処無し、とか5㎞先のインターに向うのに信号機の停電のせいで一時間かかる、政府から帰宅するなと発表があったり、と情報が入ってきて、非常食が配給されたりするにつれて、コトの深刻さを認識し始めました。

21時半には予備電源も供給止めます、簡易トイレを設置します、電灯は全て消します、と放送され闇の世界へ。
寝るしかない、段々寒くなってきて、普段寝不足なのにこんなときは寝れないものなんだ。

そこに同僚が非常用の毛布、寝袋、懐中電灯を運んで来ました。
この会社はここまで色んな非常物資を備えていたんだ、と有難く思いました。毛布のお陰で暖かくウトウトしかけたところ、夜中1時を過ぎていきなり電灯がつきました。

電車は走ってないので、車通勤の同僚が足のない人を乗せてそれぞれが帰宅できる場所まで送ってくれました。車庫も停電だと車を出せないのです。改めて、電気に頼りきった生活をしてることに気付かされました。

道は3時にも関わらず、車も人も沢山います。
等々力で降ろしてもらい、無人の駅の切符売り場には電気がついていて、電光掲示板には遅延して運転していると書いてあるので、一応走ってるみたいだけどいつ来るか分からないなと思っていたら踏切の音が。こんな時間なのに乗客でいっぱい、それもみんな酔っ払いではなく真面目に本を読んだり、ぐったり疲れきっているけれど行儀もよい人でいっぱい。都内の私鉄は終夜運転をしてくれたお陰で、みんなこうして帰路に着ける。

家にたどり着いたのは3時過ぎ。
家は普通に電気も付き、お湯も出る。

心配して連絡をくれた家族や友達に励まされ、
色んな人のお陰で空腹にもならず、家に無事帰宅出来たことを感謝するとともに、なんて私は自分勝手な行動しかとれなかったんだろうか、と心が痛くなりました。

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