BISTRO葵舎

bistroaoiya

☆クリスマスディナー☆

2008-12-22 22:28:11 | Weblog
今年もこの季節が来ました!!



僕が一年で1番料理に真剣な三日間です☆


毎年ですが、


このイベントの前の日から、終わりまでは


何故か自分の中でピリピリします☆

この1年!!
ちゃんと、料理に対して取り組んで来たか?


腕は落ちてないか?


センスは上がっているのか?




ましてや、予約をしていただくお客様は、毎年食べていただいている方々が大半、


普段も葵舎に来て頂いている大事な常連様ばかりです!!

去年に不満を持っているかたは予約をもらえないんじゃないかと不安にもなります!!
(1年待った受験の合格発表に落ちた感じ?)


でも、何とか、


おかげさまで、今年 平日にも関わらず


去年食べてもらえた方々にも予約をいただきました!!(凄く嬉しいです!)



ありがとうございます!!(^O^)



今年は、景気が悪く家でパーティーをやろうと言う傾向の中、
予約して頂いているからには、適当なものは出せない!!

出したくない!!


例えばオススメで出した料理や、普段食べれるパスタにしても、今日は特に美味しいと感じて貰えるようにやり遂げたいです!!



言わば、僕の通知表(受験勉強)が今年も始まります!!


ガチンコですね!


1年見てきて、量を食べられなくなっているから、


今年は量より質にしよう!と思っています☆


3800円の範囲で


どこまでやれるか!!


楽しみです!!!

頑張ります!!

☆36歳の豊富(ほうふ)☆

2008-12-11 18:26:06 | Weblog
36歳の抱負は、グレ~を覚える事☆(^^)

今まで、白か黒しかなかった自分は

物事を極端にしか見れなかった!

自分に良いようにしか思えなかった!

虚勢を張り、常に自分を誇示アピールする事が男としての誇りのような気でいた!


35歳の時、色々考える事を知り、

そろそろ、いい歳になってきたので、

キャパを広く持って、穏やかな気持ちと大きな心をもてる

ゆとりのある男になりたい!

ある本を読み、白黒付けたがる人間は自分の方向からしか

物事を見れない!

自分にとって不利だから、相手が悪い!

でも、相手からしてみれば、相手の中の理由や正義があって、

ゆずれないものがある!

だから人間は対立するのだと!!

う~ん、深い!!

目から鱗な言葉だった!!

これからは、相手の気持ちにもなって、

ここまでなら譲れる歩み寄りの部分を多くもって

人と接していこうと思う!!


8688のように!!(^^)

だから、来年からは、

8688のような人になれるように

ガンガリます!!

☆人がもたらす縁のありがたさに感謝!☆

2008-12-11 04:33:54 | Weblog

今日で35歳が終わります!


つまり、36のイブ?、



ん~、よくわかりませんが・・・・(^^;)

今まで、35年間どうにか生きてこられました☆



そんな大げさな!と思うかも知れませんが、


僕が物心がついてから少なくとも、2回は死にかけました!
(いきなり重い?、大丈夫です、大した話ではないので・・)(^^)

最初は7歳の時、

近所の幼馴染の子がガキ大将でその子と仲が良く、

一緒に遊んでいる時の事でした、

その頃、僕は自転車に乗れず買ってもらいもしなかったのですが、

その幼馴染の子はとても活発で補助輪の無い自転車に乗って近所をブイブイいわしていました!

そんなある日の事、・・・・・


「いさお、今から少し遠い駄菓子屋に遊びにいこうや!」

「え、ター坊自転車だから走ってついていけんちゃ!」

「マンションに置いてある自転車に乗って行けばよかやないか!」

「だって見つかったら怒られろうもん!」

「すぐ帰ってくれば分からんめ~が、よかけん乗ってこ~や!」

そう言われて2人で自転車をパクリに行った!




そして、自転車に乗りなれない僕は、

マンションに置いてあるワッパ付きの補助輪自転車をパクって、

ター坊と遠くの駄菓子屋に出かけた!






その当時、住んでる所は福岡の千代町と言う所で

下町だが、

大きな道路に面した所で

車やトラックが沢山走る信号がいくつもあった!!




ター坊は、補助輪が無いので、スイスイ僕を置いて進んで行く、



「いさお、はよ来んか!なんしょんか!」


そういって青信号を走り抜けた!


遅れてはいけないと必死に自転車をこぐものの、


補助輪自転車は中々進まず、置いていかれないように


僕は慌てていた!



そして信号を渡る時に、信号は確認しようとしたのだが、


たまたま大きなトラックが信号に被っていて

余りよく見えない!


信号が点滅をしだした、


「やばい!、置いてかれる!!」


そう思った僕は信号を渡ろうとした!!!




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「キ~~~!!ゴン!!!」

               それが覚えている最後の音だ!


        

                      僕は車に引かれた!!



次に、目が覚めた時は病院のベットで体中が痛かった!!



右手と右足が天井から釣られていて痛いし動かないのを今でも覚えている!!


そう、僕は自転車を盗んでバチが当たったのだ!!



当時の事を母親とおばあちゃんに聞くと、


右半身を強く打って飛ばされたらしく


顔中血だらけで、押えていたハンカチが真っ赤に染まっていたらしい!
(お陰で、幼少の頃は気管支が弱く、鼻炎でぜんそく持ち、事故の後遺症だと親はよく言っていた)






こんな感じで1回死にかけた!!


                            続く!!・・・・



☆人がもたらす縁のありがたさに感謝!②☆

2008-12-10 07:21:57 | Weblog
2回目は、僕が13~14歳の頃



父親が訳あって働けず、


母親が毎日働きに出ていた!!




当時、我が家は荒れていて

家は借金まみれで毎日取り立て屋から催促の電話が鳴っていた!!





それでも、毎日母親が飯代を置いていってくれていたのを、

今でも覚えている!!(だからひもじい思いはした事は無い!)



そのお金を持って弟の(龍)と2人で、近くのスーパーに晩御飯のおかずとお菓子をよく買いに行った!




僕が御飯を作って、弟が椅子に乗って洗い物をしていた!(やらせていた!)


当時 弟の龍は5~6歳の幼稚園、



ヒドイ兄貴だが、


今思うと、炊事、洗濯、掃除、弟を風呂に入れていた僕は、


僕なりにストレスがあったんだと思う!!
(昔はよく弟に会うまでは、この事を思い出して後悔していた!)






遊びたいさかりの子供が、夕方から、飯や家の事をして遊べるのが夜遅く、

そこからが僕の時間だった!!

その頃から、唯一の楽しみはテレビゲーム、

今でもホッと出来るのはその名残りかもしれない!!



でも、そんな時間から遊ぶものだから、



もちろん学校の時間に起きれる訳が無い!



勉強なんかしないから、行っても面白くないし、分からない!

母親も夜中遅くまで働いて朝方寝る物だから起きれない!!


そんな感じで自然と不登校になった!!




そんな生活が1~2年続いたある日・・・・・・・

オフクロが辛そうな顔をして僕に話があるといって来た!


「もう疲れた!!ごめん!、あんたには悪いけど 一緒に死んでくれんね!」

当時14歳の僕は、最初は意味が分からなかった!!

「龍は?」

「1人置いていけんから一緒に」

「それはいかん!!、龍は小さいのに!そんな事は出来ん!!」

そういって、オフクロを何とか なだめた!!



泣き崩れていたオフクロは


それぐらい、追い込まれていたんだと思う!!




そこで、もしかして母親と一緒に死んでいたら


今の僕は居なかったとおもう!!


そして、14歳の冬休みになり、


僕はお世話になった育てのおばあちゃんの所に出かけた!!


                        続く!・・・・・・