

中村とうよう氏が他界されて3週間が経とうとしている。最初にそのニュースを聞いた時、自ら命を絶たれたという壮絶な状況に絶句した。
70年代のニュー・ミュージック・マガジン誌(NMM誌)は若い僕たちに熱く音楽を語りかけきた。今でも、時々本棚から引っ張り出して読むこともある。
ブルースやソウルを聴いてみようと思ったのも、NMM誌の影響だ。80年代になってアフリカ音楽、特にキング・サニー・アデの素晴らしさを紹介したのも、NMM誌、中村とうよう氏だ。
コンサートのあまり好きでない僕だが、第1回から第3回までのブルース・フェスやキング・サニー・アデのコンサートには足を運んだ。ブルース・フェスではとうようさんは司会を担当されていたし、アデのコンサートでも姿を見かけた。
若いころは「死ぬまでロックだ!」なんて言っていた連中も歳をとれば「よくそんなものいつまでも聴いているな」と変わっていく。それが普通なのかもしれない。厳しい現実の中でいつまでもロック、ブルースなんて言っていられない。
中村とうよう氏にはお会いしたことはない。しかし、40年以上もひとりの音楽評論家の書いた文章を読み続けてきたことは事実だ。ひとつひとつの言葉が僕の音楽との関わり方に大きな影響を与えている。
もう、とうようさんのような音楽評論家は出てこないだろう。音楽が大きなうねりとなって社会を変えていくなんてこともない。ないというかとっくに終わっている。
それでも、音楽を聴き続けていこう。それが生きている者のツトメだ。