私がタンゴ好きな事は前出しましたが、その事について少し触れてみたいと思います。
太平洋戦争が終末に近づいて来た頃、次兄は航空偵察隊の隊長としてチモール島に駐屯していました。今でも信じられませんが、隊員は一定期間休暇で帰国する事が許されていた様です。隊員のToさんやTaさんは、時期は別々でしたが、我が家に数日滞在していました。母は早くして連れ合いを失い、その男気が益々発揮され、父の出身地であるド田舎の親類の子女達が少しだけ環境の良い我が家に滞在し、中学校や高等学校に通学していました。母の分け隔てのない性格が、皆様にとって居心地が良かったのだと思います。Toさんはよく2階の一室で古いレコードを聴いていました。それは邦訳『待ちわびて』という曲名で、作曲家は確かRaymonndo・Hutter‐記憶が定かではありません‐だったと思います。このタンゴの曲が終戦後、二葉アキ子が歌った『夜のプラットホーム』であり、作曲家は服部良一先生だったことには驚きでした。戦中軍歌以外発表する事が出来なかったため、止むなくこのような形で発売されたのでしょうか。ご存知の方いらっしゃれば教えてほしものです。Taさんは滞在中、姉と恋に落ち、その関係で幼年学校に在籍中の彼の弟さんも我が家に遊びに来るようになりました。戦争で次兄もToさんもTaさんも戦死され、結局Taさんの弟と結婚した姉は、4人の子供‐私にとっては甥と姪‐を残したが、いまは義兄と姉も帰らぬ人となってしまいました。長生きする事は、それだけ多くの悲しみを乗り越えなければいけないと言うことなのでしょうか。
皆様のご冥福を心から祈念致します。