先日喪中ハガキを車のなかで殴り書き。
ポストにほうり込んだ。
「あぶない」と、父ちゃんが夜中に呼び出され、亡くなるまでわずか3日。
義父崩御。
12月の、まれにみるびっしり入ったスケジュールを見て気を揉むのも短く、
なんとか通夜と葬儀に参列。
日本は身内の不幸には寛大?だ。
皆様多忙のなかの貴重な時間だったにもかかわらず、
スケジュール変更にはスムーズな対応をして下さる。
助かる。
毎月の実家掃除に始まり、
健康診断と称して家を連れ出して即入院。
要介護5と診断され!そのまま施設入り、脳梗塞で救急搬送、入院、
療養型病院に移ってこの先長かったらどーしよーと思ってたら。
4月に家を出て、二度と帰れませんでした。
毎月の実家掃除時代は、毎月毎月本当にひどい生活になってるのを目の当たりにして、
心身共に消耗した。
とても子供達を連れて上がれない家になって一年、
もっと早く連れ出してやるべきだった。
近くの施設に来てからは、
毎週の見舞い、物品の補充、
支払い、状況の管理など、父ちゃん中心にいろいろしなければならなかった。
入院中は、休みの日は必ず見舞いに。
病院まかせでただ行くだけなのでかなり楽だったかも。
私は見舞いと洗濯しかやることなし。
それでもめんどくさいときもあったけど。
葬儀を終えて、
父ちゃんは解放されたせいか山ほど菓子を買ってきて、
毎日ビールを飲んでいた。
親が二人ともいなくなって、今までの懸案事項が解決してしまって、
気が抜けた、と言っていた。
私も、出掛けるときには必ずじいちゃんのところによる予定を考えてたのが、
なくなってしまって、
かなり違和感。
喪失感、開放感。
人一人いなくなったわけだから、
そのくらい何か変わっても当たり前だな。
おばあちゃんがなくなったときは、もっとかなしかったけど、
生活は全然変わらなかった。
おじいちゃんは、本当に憎たらしいけど憎めない奴で、私のことを1番先に忘れちゃったんだけど、
いなくなったら、仕事ひとつ減った分ぽっかり穴が。
親が死ぬ年齢になりましたよ。
皆さんの喪中ハガキを見ても思います。
みんながこんな大変な思いをしているのだな、
と。
今日は久々時間が空いて、お茶。