小さな出来事、大きな足跡

小さなことを積み重ねて気が付くと自分の型ができている。取るに足りない事にも意味はある。

変わるのが人生

2020-09-21 16:45:18 | 帰省・家族

珍しく秋のお彼岸に帰省した。さっき戻ってきました。だいたい帰省はお盆と正月となんとなく決まっている。せいぜいGWくらい。今年はコロナがあったり、夏休み返上で働いてみたかったりして夏の帰省は全く考えてなかった。ところが、盆明け少したってから、生まれて初めて!父から電話がかかって来たのである。とにかくびっくり。弟にはよく電話してる父だが私には今の今まで一度も電話してきたことがない。あまり話さない間柄だったのだ。

用事が思いつかないようで母をダシにして「お母さんがお前と話したがってるよ」と言って母に代わるが、母は認知症でちゃんとした会話が成り立たずすぐ沈黙になってしまう。

これは帰省する必要があると急遽今回の連休を使って帰ってみた。

母は少しづつ認知症が進行して、私の事は認識しているが、何故か亡き祖母の家から来たと思っていて、目が合うと「おばあちゃんは元気?」と聞く。足腰が弱いので徘徊はしないようだけど、父の介護は前回帰省した時より覚悟を決めたものとなっていた。5月には伯父(父の兄)も亡くなったそうで父にしてみれば精神的にきつくない筈がない。

もともと父は遊び人。家にお金は入れていたけれど、概ね自分だけ遊んでるという印象が子供の頃からずっとあった私は父とはあまり仲良くなかった。

父が彼女をつくり、入れあげるために掟をやぶり、生活費の管理という母の仕事を取り上げてしまった。彼女から母当てに電話がかかってくるという未曽有の事態も起きた。母はその一連の出来事と前後して認知症になってしまった経緯もあり、介護は父がすべき当然の義務と思っていたが今回、真摯に介護に取り組む姿を見ると応援しなくてはという気持ちに変わった。

帰省中、勿論家事は手伝ったけれど、それよりも愚痴を聞いてもらいたかったようで、話せて少し荷が下りた様子。色々心配は尽きないが元々蓄えも体力もない自分が今、仕事を辞めてしまえば共倒れである。

せめてこれからは折に触れて電話してみよう。両親との向き合い方を変えなくては。失ってから後悔しないように。一方では仕事も相変わらず大変。連休前、社内のグループ編成の変更で、怒りっぽく沢山の部下を辞めさせてきた上司の下に異動になってしまった。これからどうなるか。

母の認知はこれからも進むだろう。父の体力もどんどん落ちてくる。私の仕事も安泰とはいいがたい。でも変わるのが世の中であり人生である。親の問題は大抵の人が直面する事である。単に順番なのだ。悪い事よりいい事を探していかなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 


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