天祖神社 〈江東天祖神社〉 〈旧社格 村社〉 東京都江東区亀戸(令和7年4月24日参拝)
【住 所】 東京都江東区亀戸3-38-35 地図⇒Mapion
【御祭神】 天照皇大御神(アマテラスオオミカミ)
【創 建】 社伝:推古天皇御代(593-628年)に創建と伝わる
【由 来】 門前の掲示に記載の由来を写す
【境内社】 太郎稲荷神社(宇迦之御魂大神)(太郎稲荷神社は樋口一葉の『たけくらべ』に登場する神社)。 亀戸七福神の福禄寿を担う
江東天祖神社
大鳥居 (南側に表参道。 大正5年(1916)に建立)

手水舎

二の鳥居

狛犬 狛犬は獅子山型 昭和5年(1930)に奉納。

社殿 昭和4年(1929)、日本初の鉄筋コンクリート造の社殿

社殿前の神額

境内社 太郎稲荷神社


福禄寿

東京大空襲・招魂碑

招魂碑について 昭和三十年三月十日建立
東京大空襲(昭和二十年三月十日)の折、東京は大火災に見舞われ、 氏子一帯も火の海と化しました。
その際、焼失を免れた現社殿にて数百の命が助かり、町中ではその何倍もの命が失われました。
亡くなられた方々の亡骸は普門院に安置され、御魂はこの地に祀られました。 十年の時を経て前一の鳥居の柱(片方)を用い建てられたのが、この石碑です。もう一本は復興記念の碑(手水舎北脇)として平和の祈りと共に再び建立されました。
現代の豊かさも、過去のこうした犠牲の上に成り立っています。
我々もこのような史実を忘れずに後世に伝え、未来の為に感謝の心と平和の祈りを絶やさずにいたいものです。
宮司
街角みちしるべ

参照:江東天祖神社のHP、御朱印・神社メモ、wiki、他
【住 所】 東京都江東区亀戸3-38-35 地図⇒Mapion
【御祭神】 天照皇大御神(アマテラスオオミカミ)
【創 建】 社伝:推古天皇御代(593-628年)に創建と伝わる
【由 来】 門前の掲示に記載の由来を写す
天祖神社は、社伝によれば推古天皇の治世(593-628)の創建で、その後、衰退していたのを応永10年(1403)に復興したと伝えられています。
天正年間(1573-91)に疫病が流行し、この時織田信長の使者が参向して流調馬を献したところ、疫病は治まったと言われています。今日では子供の健やかな成長を祈って、毎年 8月16日に子供歩射が行われています。
亀戸七揚神のひとつ(福禄寿)として親しまれています。
【例大祭】 9月16日天正年間(1573-91)に疫病が流行し、この時織田信長の使者が参向して流調馬を献したところ、疫病は治まったと言われています。今日では子供の健やかな成長を祈って、毎年 8月16日に子供歩射が行われています。
亀戸七揚神のひとつ(福禄寿)として親しまれています。
【境内社】 太郎稲荷神社(宇迦之御魂大神)(太郎稲荷神社は樋口一葉の『たけくらべ』に登場する神社)。 亀戸七福神の福禄寿を担う
江東天祖神社
大鳥居 (南側に表参道。 大正5年(1916)に建立)

手水舎

二の鳥居

狛犬 狛犬は獅子山型 昭和5年(1930)に奉納。

社殿 昭和4年(1929)、日本初の鉄筋コンクリート造の社殿

社殿前の神額

境内社 太郎稲荷神社


福禄寿

東京大空襲・招魂碑


招魂碑について 昭和三十年三月十日建立
東京大空襲(昭和二十年三月十日)の折、東京は大火災に見舞われ、 氏子一帯も火の海と化しました。
その際、焼失を免れた現社殿にて数百の命が助かり、町中ではその何倍もの命が失われました。
亡くなられた方々の亡骸は普門院に安置され、御魂はこの地に祀られました。 十年の時を経て前一の鳥居の柱(片方)を用い建てられたのが、この石碑です。もう一本は復興記念の碑(手水舎北脇)として平和の祈りと共に再び建立されました。
現代の豊かさも、過去のこうした犠牲の上に成り立っています。
我々もこのような史実を忘れずに後世に伝え、未来の為に感謝の心と平和の祈りを絶やさずにいたいものです。
宮司
街角みちしるべ

参照:江東天祖神社のHP、御朱印・神社メモ、wiki、他
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