都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 御茶ノ水駅周辺散歩

2014-11-25 14:35:42 | 都内散歩
 史跡 湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 東京都千代田区湯島

【住 所】:  〒113-0034 東京都文京区湯島1-4-25  Mapion
【史跡湯島聖堂について】: 湯島聖堂のHPを引用
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄史跡湯島聖堂学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。
大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。
【湯島聖堂 史跡について】: 湯島聖堂の掲示文を引用
湯島聖堂 史跡 大正11年(1922年)3月 指定  
寛永9年(1632年)、尾張藩主徳川義直林道春(羅山)をして、上野忍ヶ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。その回禄(火災)の災に罹るや、元禄3年(1690年)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と稱せり。後、寛政11年(1799年)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大学を此地に置くに及び、一旦 孔子 以下の諸像を撤去せしも、後、もとに復せり。
 建造物は暫らく東京博物館の一部に充てたりしたが、大正12年(1923年)9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せしを昭和10年(1935年)4月4日鐡筋混凝立構造(てっきんこんくりーとこうぞう)に依りて原型に複せり。
   昭和11年(1936年)3月 文部省
【楷樹の由来について】: 湯島聖堂の掲示文を引用
 楷 かい 学名   とねりばはぜのき うるし科 
 Pistacia chinensis bunge
楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で初め子貢が植えたと伝えられ 今日まで植え継がれてきている 枝や葉が整然としているので 書道でいう楷書の語源ともなったといわれている
わが国に渡来したのは 大正四年 林学博士 白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り 東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが性来雌雄異株であるうえ 花が咲くまでに三十年位もかかるため わが国で種子を得ることはできなかったが 幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので 今後は次第に種苗がふえてゆくと思われる
中国では殆んど全土に生育し 黄連木 黄連茶 その他の別名も多く 秋の黄葉が美しいという台湾では爛心木と呼ばれている 牧野富太郎博士はこれに孔子木と命名された
孔子と楷とは離すことができないものとなっているが 特に当廟にあるものは曲阜の楷の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える
  昭和四十四年己百秋日  矢野一郎 文
  平成二十年戊子秋日    松川玉堂 書

【孔子像の碑文】:「東京都文京区の歴史」から引用
孔子ハ約二千五百年前ノ春秋時代ノ魯ノ國ノ人デアル幼ニシテ父ヲ喪ヒ下級官吏ヨリ身ヲ起シ國王定公ニ用ヒラレ大夫トシテ國政ニ参與シテ十數年大イニ治績ヲ擧ゲタガ後ニ意見ガ合ハズ退任シ門弟ト共ニ諸國ヲ周遊シテ容レラレズ晩年故郷ニ歸リ人ノ人タル所以ノ道ヲ説イテ七十餘歳デ逝去シタソノ子孫ハ治亂興亡ヲ經テモ相傳ヘテ直系七十七代孔徳成ニ至ツテ居テソノ孔子廟ト孔家歴代ノ墳墓ハ山東省ノ曲阜ニ今猶嚴然トシテ存シテ居ル孔子ノ言行録デアル論語ハ今日ても廣ク世界中ニ讀マレテヰルカクノ如キハ他ニ比類ガナイ今ヤ洋ノ東西ヲ問ハズ人類ガ擧ゲテ混迷ニ陥ル時ニ萬世ノ師表タル孔子ノ忠恕ノ道ヲ傳ヘ仁義ノ徳ヲ明ラカニスルノハ喫緊ノコトデアリマタ吾人ノ責務デアル
コノ孔子ノ銅像ハ昭和四十九年臺北城中らいおんずくらぶ周宏基會長等ガ湯島聖堂ニ参拝シ元禄以来三百年ノ由緒アル史跡ニ感銘ヲ受ケ國立臺灣師範大學開明徳教授ニ依嘱製作シ寄贈シタモノデ唐ノ呉道子ノ筆ト傳ヘル孔子畫像ヲ基調トシテ鋳造シ昭和五十年十一月三日文化節ニ建立シタ丈高十五尺重量ニ噸ノ世界最大ノ孔子像デアル茲ニ聊カ建立ノ由來ヲ記シ世ニ傳ヘル
  昭和五十七年十月先儒祭ノ日            財團法人 斯文會

【湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の写真】 平成26年11月22日撮影
湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 仰高門

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 入徳門

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 杏壇門

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 大成殿

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 大殿の内部

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 鬼□頭(きぎんとう)・鬼龍子(きりゅうし)

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 想像上の霊獣
孔子のような聖人の徳に感じて現れる。

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 鬼□頭と霊獣

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 鬼□頭と霊獣

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 孔子像
台北ライオンズクラブより(昭和50年)に贈られた世界一大きい孔子像。

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 櫂の木

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 説明掲示

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 櫂の木説明掲示

湯島聖堂 〈昌平坂学問所〉 の 孔子像の碑文

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