都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

浅草神社  都内散歩

2016-01-29 13:51:26 | 都内散歩
浅草神社   旧称 三社権現 三社明神社 旧社格 郷社 東京都台東区浅草

【住 所】東京都台東区浅草2-3-1 "Mapion"
【御祭神】
土師真中知命 (はじのまなかちのみこと)
檜前浜成命 (ひのくまはまなりのみこと)
檜前武成命 (ひのくまたけなりのみこと)
相殿 東照宮(徳川家康)
相殿 大国主命
【創 建】舒明天皇11年(639年)
【由 緒】
推古天皇の三十六年三月十八日のことでした。
 漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐(えんじゅ)の切り株に安置しました。そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明しました。
 兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおされた二人は、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念しました。
  翌十九日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。
  土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。いわゆるこれが浅草寺の起源です。
 土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。 神社HPを引用
【例祭:三社祭】5月17日
【境内社】浅草富士浅間神社、被官稲荷神社

【浅草神社 の写真】   平成28年1月22日撮影
 浅草神社の社号標と鳥居


 浅草神社の狛犬

 浅草神社の手水舎

 浅草神社の狛犬

 浅草神社の社殿

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夕焼け 東京ディズニーランド  | トップ | 日没  TDL  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

都内散歩」カテゴリの最新記事