都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

装束稲荷神社 〈王子の狐火と装束榎 東京都北区〉 

2023-10-18 15:44:40 | 都内散歩
装束稲荷神社 〈王子の狐火と装束榎〉  東京都北区(令和5年10月8日参拝)
 
【住 所】東京都北区王子2-30-14 Google地図
【御祭神】宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
【由 緒】(境内掲示を写す)
今から約千年の昔この附近一帯は野原田畑作りでその中に榎の大木がありそこに社を建てて王子稲荷の摂社として祭られ たのがこの装束稲荷であります
この社名の興りとして今に伝えられるところによれば毎年十二 月の晦日の夜関東公国の稲荷のお使この社に集まりここで
装束を整えて関東総司の王子稲荷にお参りするのが例になっていて当時の農民はその行列の時に燃える狐火の多少によって翌年の作物の豊凶を占ったと語り伝えられています。江戸時代の画聖安藤広重もこの装束稲荷を浮世絵ととして残しています。
その後明治中期に榎の大木は枯川土地発展に伴いその位置も現在の王子二丁目停留所と なり社はその東部に移されました 。
昭和二十年四月十三日の大空地際猛烈な勢いで東南より延焼して来た火災をここで完全に喰い止めで西北一帯の住民主火難から救ったことは有名な事実であります。この霊験あらたかな社が余に粗末であったので社殿を造営せんものと地元有志の発起により多数の信者各位の御協力を得て現在の社殿を見るに至りました。
この装束稲荷は商売繁昌の守護神のみならず信心篤き者は衣装に不自由することなく又火防の神としても前に述べた通りで
信者の尊崇高めています。
例大祭 初午
ご縁日 毎月七日 十七日 二十七日
昭和二十九年十二月吉日 装束稲荷奉賛会
【例 祭】2月初午(例大祭)・12月31日(狐の行列)
【王子の狐火と装束榎】境内掲示を写す
   北区王子二ー三〇ー一四 装束稲荷神社
 かつてこの辺りは一面の田畑で、その中に種の木がそびえていました。
  毎年大晦日の夜、関東各地から集まって来た狐たちがこの榎の下で 衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したといういいつたえがあることか ら、木は装束榎と呼ばれていました。狐たちがともす狐火によって、 地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。
 江戸の人々は、商売繁盛の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになり、左の広重が描いた絵のように錦絵の題材にもなりました。
 昭和四年(一九二九)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。 後に、この榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。 平成五年(一九九三)からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められました。毎年大晦日から 元日にかけての深夜に、 狐のお面をかぶった裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷までの道のりをお端子と一緒に練り歩く光景が繰り広 げられます。
平成九年三月  東京都北区教育委員会 


装束稲荷神社 
装束稲荷神社 社頭と由緒書き

 表参道 鳥居

 南鳥居

 一対の神狐像
 
 水盤

 境内には狐火の提灯


王子の狐火と装束榎 〈装束稲荷神社〉 


王子装束ゑの木大晦日の狐火 歌川広重 名所江戸百景


「くらしの器王子ヤマワ」の店頭


 王子 狐の行列の会のパンフレット くらしの器王子ヤマワからいただきました






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