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本当は布団から出たくない

変な女の毒舌日記

ピアノ教室奔走 3

2019-06-25 00:15:00 | 戯論
ヤマハ幼児科は2年あり、年中〜年長とおよそ学んでいくのですが(たまにタイミングの違いで年長〜小1とかもあるようです)、その中で一番大切にしている取り組みって、
 
聴音
 
だと感じました。
 
 
幼児期に音楽を始めておくと、絶対音感がつくっていいますよね。
 

 
そういえば、私が初めてピアノに触れたのは年長くらいでした。いつだったかな?6歳だったか?忘れた(笑)それでも絶対音感はありますな
 
 
幼児科最後にあるグレードテストで、和音や音を聴き取るテストなどもあるのですが、先生はより力を入れて教え込んでいた印象があります。
 
 
ヤマハはCMで有名な「ドレミファソーラファミ・レ・ド♫」のメロディがありますが、2年の1年はひたすらそういったメロディをたくさん歌って聴いて、音を覚えていました。
 
 
娘は先生のご指導もあって、かなり耳は鍛えられたように感じます。
今春からついているミロ先生にも、そこは評価いただけました。
 
 
しかし、幼児科で弱いのは、リズムと譜読み。
 
 
そう言われたのは、別の講師にでしたが、今のミロ先生にも同じ指摘を受けることになりました
 
 
 
それは仕方がないとも言われました。
幼児科はグループレッスンなので、いかんせん講師は全員のレベルを見るまでに至らず、教室では全員同じペース進めていかなければならない部分が多く、家で練習する子は伸びるが、そうでない子は伸び悩み、しかし発表会はみんなで出るというまとまりの無い印象をずっと持っていました。
 
 
また覚え方も、音を覚えて弾く弾き方なので、いくら音の場所を教わっても、結局楽譜を見ても、一人で弾けるようになるという結果につながっていなかったのです。
 
 
更に、譜面もよく読めなければ音符の長さも曖昧なわけで、リズムもよく把握しないまま修了に至ってしまっていたのです。
 
 
指摘された時は、ああやっぱり〜と思ったのですが、これまではそれを唱えても、講師はなんともできない領域だったでしょうから、どうしようもなかったのかもしれませんね。気になるなら自分で教えなさいてことですね。
 
 
しかし、娘は2年以上楽しくヤマハに通っていました。それはとても良かったことだと思います。
途中、私の指導が厳しくて「やめる」と言ったこともありましたが、ある程度娘だけで練習させるようにさせると、そこそこ自由に楽しんでいるようにも見えましたし、教えてもらった方が先生の前でうまく弾けるということも分かったようでした。
 
 
私が教えなければならなかった理由って、結局譜面が読めなかったからだから、ミロ先生に教わり続けていけば、きっと身についていけそうな気がするので、根気よく通わせられたら良いなと思っています。
 
 
ちなみに、幼児科2年も経て個人ピアノで始めている楽譜の名前は、、
 
「ピアノひけるよ ジュニア1
 
です!
 
なんとバイエル上巻のレベル。。
譜面が読めないからね(^_^;)
 
 
2年やってきたのに、これかよ〜と思いましたが、基礎をしっかりやった方が良い!との事で、先生の見立てで凄い速さで進んでいっています。
 
 
娘の音楽の基礎が培われたら良いなとの思いで、いつまで続くかわからないけども、せっせとお母さんは通わせたいと思います。
 
 という記事をアップするまでに、3ヶ月近くかかりました。


忙しかったり疲れたりしていました。

わたしは…元気です!

ピアノ教室奔走 2

2019-06-24 00:10:00 | 戯論
ピアノ教室を選ぶにあたり、3教室の体験をした。
 
 
●A教室
近所のヤマハ。個人の先生は若い女性。喋り方が優しく甘い感じ。ここ講師陣はちょっと素人臭い感が否めない(個人の感想です)。
 
●B教室
近所の個人ピアノ教室。そこそこの規模があり、3教室の中で講師が56人在籍。入れ替わりが激しい様子。
 
●C教室
ヤマハの教室。少し遠いが2年以上通った場所。個人の先生はプロっぽく、たまに弾いてくれる音が力強く心地よい。
 
 
上から順番に体験して、消去法でなくとも、Cしかないね!と娘と意見が一致したのは、親子のなにかが働いたのだろうか。
 
 
Aの先生は、悪くはなかったのだがテンポが悪く感じてしまうし、ピアノの部屋が非常に狭く(防音室を使っていた)。ギリギリにグランドピアノの置いてぎゅうじゅうな中で練習するという空間が、娘的にも嫌だったのかもしれない。
なにかを感じたのか「嫌だ」と言われてしまった。
 
 
Bの先生は、様子からしておかしかった。
まず滑舌が悪く、時折なにを言っているかわからなかったし、目も虚ろであった。
え、なに、何か飲んでる
そして、「か〜ら〜のォ」としばしば口にする。
指導する側なんだから、正しい日本語を使ってください。
 
 
もう後がない。Cの先生。この先生でダメなら一旦止めるしかないか。
そう感じていたのだが、一番まともいえ、素敵な先生でした。
たまに喋り方が若い感じがするのだが、楽しく教えてくれる雰囲気があり、報告内容も明確で分かりやすく、淡々と教えてくださる姿と、子供に聴かせる弾き方を分かっている様子が垣間見れた。
即決だった。
 
 
因みに言うと、幼児科で2年教わったM先生は、人としては素敵な人なのでしょうけども、基礎がエレクトーンで来られた方だったので、どうしてもピアノを弾く時の指が弱くて物足りなかった。
 
 
他の曜日に変えようと、別のクラスを見学させてもらったりもしたのだが、娘が「M先生がいい!」の一点張りで、仕方なしに修了までM先生で通した。
 
 
幼児科2年の終わりに、グレードテストというものがあるのだが、娘は練習?と私の鬼指導があってか、全ての評価で最高の評価をいただけた。
落とすものではないということは知ってはいたが、自分も評価を受けたようで涙が出た。
 
 
そんなこんなで終えた幼児科だったのだが、実はびっくりな結果であったことがピアノ個人に移ってから分かったのですが、長くなるので次回へ続きます。

ピアノ教室奔走 1

2019-06-23 00:15:00 | 戯論
 
1になる次女は今年の春から新しいピアノの先生に付くことになった。
りんごのキャラクターで有名なヤマハの幼児科を終える1年以上も前から、新たなピアノ教室を探し歩いていたのが、ギリギリでようやく決められたというのが先月の話だった。
相性の合うピアノの先生がやっと見つかったので、ほっとしている。
 
 
たかだか月1万円弱くらいの月謝ではあるが、長年付き合うこととなると、変な人につかせたくないし、発表会に対しても考え方が講師や教室の色で左右されるのは、バレエ教室で学習済みだった。
 
 
 
次女をヤマハに通わせ始めたのは年小のリトミック時代からであった。
正直、リトミックにお金を投じるのは少々違和感があり、また母子同室ということもあり、レッスン形式が入れ替わる数ヶ月前の変なタイミングで開始した。
 
ヤマハ音楽教室は、メソッド?を取り入れているかどうかの違いで、看板を出せるかどうかということなのだと認識している。
楽器店がそのメソッドを取り入れ、ヤマハ音楽教室の看板を出し、子供に教えているということである。
 
幼児科は2年あり、終わる頃には両手で簡単な曲が弾けるようになるという、小1頃からピアノをスタートした私から見れば、遥かに早い習得になるシステムで、半信半疑ながらもせっせと通わせた。
何故か夫も連れていけるようにと、日曜日を選んだのがそのタイミングで、そこからずっと、日曜日はヤマハの日になり2年通い通した。
 
 
たまたま車が無いと通いづらいエリアで、運転が苦では無い私は毎週ドライブ感覚で連れて行ったのだが、流石に2年以上も通わせると、遠さを感じるし、何よりも通うためにコストも時間もかかるというところに無駄を感じ始めていた。
 
 
自宅の近くにもヤマハの教室はあり、過去3度ほど見学したのだけれども、私は講師の様子やクラスの空気に違和感を抱き、なんとなく入会は見送ってばかりいた。この度もダメだった。
これまでは、私が講師の振舞いで判断し見送っていたのだが、今回は娘が嫌だと言ったのだった。
 
他にも、個人のピアノ近所の教室はあったのだが、これもアルバイトで教えています〜的な若い女性だったりして、一抹の不安を感じあえなく却下。
 
 
さあ困った。もうチョイスが無い。
そんな中、希望の光となったのがもともと通っていた、家から少し離れているヤマハの個人ピアノコースだったのだった。
 
 
ヤマハの幼児科が終われば、総合コースや、エレクトーンのグループレッスンなど、様々なコースに分かれて進んでいくのだが、
娘が参加してきた発表会を見る限り、総合コースやグループレッスンの子供達のレベルの低さに、私は正直驚いてた。
何年も通わせて、発表会でこれしか弾けないなんて。というレベルに感じた。
衣装だけは一丁前に揃えているが、エレクトーン(ヤマハはエレクトーン推し)はバラッバラだった。
 
 
続けさせるなら、きちんと教えてくれる先生にお願いしたい。
そう考えて早1年。やっと見つけられたのが、個人のピアノの先生であった。
比較的若く独身の方ではあったが、娘も気に入って、頑張る姿勢が少しずつ見えている。
 
 
色々この他に感じるものがあったのですが、長くなりそうなので次回へ続きます

ズボラ肌

2018-10-31 00:48:19 | 戯論
わたしは年齢の割には美肌であるのが自慢である。


エステサロンやクリニックからもお墨付きをいただいたこともある。


思春期も大きくニキビに悩まされる事なく過ごせ、とある時期以外はそこそこ美肌で過ごした。


遺伝子に感謝しながら、また、自分の努力も讃えて今がある。


年も年。
女の子とは言われない年代になってきたが、努力とお金を費やしてきた甲斐あってか、今もほどほどに保たれている。と思っている。


昨年、友人ととあるビューティフェスに出かけ、その際に写真を撮られるのだが、居合わせた友人が悪かったのか、肌トーンとキメに随分差があるようにも感じた。
同じ年齢なのに。


これを見てからは、甘んずる事なく、サボればそれだけ朽ちると思い、定期的に美顔器を使ったり、サプリメントを飲んだりと、そのほか金と時間をかけた。


そう努力もしてはいるが、なにせ子持ち。そして兼業主婦。
忙しかったり疲れたりすると、
は?肌?それより眠い。となる。


当然である。眠りに勝るものはない…



出先から帰宅したら最低限、メイクは落とし、洗顔をする。
そのあとのスキンケアすらも面倒ではあるが、これを怠ると皮膚の表面が大変なことになるので、わたしは仮でも最悪寝てしまっても大丈夫なように、オイルを塗るようにしている。


そう沢山試してはいないが、オリーブオイルは殺菌効果のあるタイプもあるようで、それを愛用している。


前後の洗顔がとても重要とはなるが、このズボラ法は比較的劣化を防ぐ一つの方法として使えると私は感じている。



話はズレるが、

オリーブといえば、先日Amazonプライムで見たアメリカドラマ
オリーヴ・キタリッジ

以下はレビュー



夫と一人の息子と湖畔に住む、素直ではない女性の半生を描いたもの。


ああ、こんな癇癪持ちいるなあと思いつつ、誰しも少しは持ち合わせるのではないかという印象も所々にある。


確か作中にもそんな表現があったような記憶だが、発達障害を思わせる彼女の思考と動作は、多分観ている側をもイライラさせることだろう。
しかし本人が意図的に行っているものではなく、彼女の本質がそうであるために、悪態をついたり、意地を張ることをするのだと解釈している。



優しい夫と息子に恵まれるのは、この主人公の1番の幸せだったのではないだろうかと思うが、残酷にもすれ違うばかりの人生。
でも人生ってそんなもんじゃない?
SACのような煌びやかな世界だけではないよね?という、一般庶民の心をつかむようなドラマではなかろうか。



印象に残っているシーンは…
珍しく友人夫婦とレストランで会食の際、牡蠣を注文したオリーヴ。
その後がっつり腹を下し、田舎道を走らせトイレを探す。見つけた総合病院へは夫に赤信号でも突っ込ませ、着いたなりに尻を抑えながらオナラを漏らしてトイレへ駆け込むシーン。。
すごい描き方だと思います。日本ドラマは絶対しないよね。


私は全て通して見たが、主人公が汚くダサいおばさんであることと、ハッピーになれる要素が低い点から、また観たい!とは思えない。
しかしインパクトの強いドラマであった。

旧友

2018-09-01 15:00:05 | 戯論
わたしには幼馴染のような、旧友がいた。

今ではすっかり連絡も取り合わない。


元々価値観が違って、わたしはそれを良しとして、彼女は彼女でリスペクトしていたのだが、多分彼女は違っていた。
後々、あなたのことをひがんでいた と手紙をもらった時は衝撃だった。


ショックが大きく対処法が分からなかった。
知恵袋でアドバイスを乞うが、よい解決案は見つからず、彼女との関係に距離を置くしかなかった。


そんな彼女は自営なので、客集めにブログをやっている。
離婚して家業を継ぐことになったので、そのブログをたまに眺めて安否を確認している。


三つ子の魂百までというが、多分私と彼女がまた昔のように、夜中遅くまで語り合って、狭い布団を被って夜を明かすような事は無いであろう。


そんな彼女同様、似たような地元の友人が他にもいるが、よくもまあ、顔出し出来ますねという女性が、美しさの追求 なんてセミナーを地元で開いたりしている。
そんな女性が、銀座で眉毛の書き方講座 を、わざわざ上京してきてやったようで、定員4名のうち空き2名〜なんて謳いを見て驚愕した。


怖いもの知らずだからできる事なのかもしれないが、私はとても考えるに及ばず、自己承認欲求か何かかなと疑心暗鬼になった。
田舎の小社会には、大都会では考えられない事がある。逆も然りか。


田舎の女性に眉毛の書き方を教えてもらいたい銀座の女性は、多分一人もいない。


私の旧友たちは、そんな女性らと親交を深めており、恐ろしくて私はもう付き合えなくなってしまった。


逆にいうと、旧友達からしたら私もおかしな成り上がりだとか、そんな風に思われているかも知れない。


もう私は、絶対に田舎に戻れない…


環境は好きだが、価値観が違いすぎて住めない。


いつか気持ちが変わることがあるかも知れないが、私は人混みや、尋常じゃない夏の暑さがあっても、東京が落ち着くようになってしまった。