1.甘いものを与えて患者の機嫌を取っていても、出鱈目な治療を施せば容態は悪化する。
自由で快適な生活を与えて国民の機嫌を取っていても、出鱈目な政治をしていれば
やがて国家は堕落し、手のつけようがなくなってしまう。
多数決で治療するもぐりの手に国を委ねるくらいなら、自然治癒に期待した方がよい。
「譬へば此処に病人あらんに、薬効を知らざる下手医者に療治を頼めば、初めは病軽しと雖も、何時と無く重篤し、後は上手な医者に掛かりても本復成り難し。国家の仕置きも善きは一、二年の内に知れる也。悪しきも二、三年のうちには知れる事也。右の下手医者は己の手柄にせんを第一として病人を離しかね、能く弁舌にて何かと言えば、病人もそれに惑わされて最早医者を変えず、うかうかする内に病重なり初めて驚き、俄かに医者を変へんとすれども最早遅く、上手にても何とも仕様事無し。凡そ人の仕置きも斯くの如し。色々弁舌を聞き、我不得手成る事を知らず、譬ふれば少しは知ると雖も、役を辞退し引き籠れば我が権威の軽くなることを恐れ、主国の為に悪しきをば構わず、己一人にて万事を賄はんとする故に、次第に国家の根気尽きて、この時に至って賢人出でて仕置きするとも如何とも成し難し。故に財用の裁配は急度心を付けて、才知有る者に命ずべき第一也(本多正信/治国家根元)」
2.健康を差し置いて、患者の満足を求めるというのなら、忽ち病院は潰れる。
麻薬が配給されて患者は廃人となり、もはや費用を払えないから。
正道を差し置いて、国民の満足を求めるというのなら、忽ち国家は破綻する。
福利浸けにされた国民は、与えてもらうだけで税金を払おうとしないから。
「与ふるを好めばすなわち定分無し。上の分定まらざれば、すなわち下の望止むこと無し。若しふ賦斂を多くし府庫を満たせば、すなわち民と復讐を為し、少し取り多く与ふれば、数未だ之有らざる也。故に与ふるを好むは、怨を来すの道也(淮南子/第14巻)」
3.麻薬中毒者は、自分の心身が滅びかけているのに、麻薬を止めず、へらへらと笑っている。
福利国家は、国が滅びかけているのに、無駄遣いを止めず、選挙で国がよくなると言う。
麻薬は快楽と引き換えに健康を奪う。福祉は安逸と引き換えに国を滅びに追いやる。
無料だからといって、麻薬を貰って服用すると、やがて中毒となってすべてを失うことになる。
「信ずる人々よ、自分の身を守れ。お前達が正しい道に導かれているなら、迷妄の徒がお前たちを害することはできない。お前達みなが帰るところは神の御元である。そのときには、お前達が行っていたことを全て、神が話して下さるであろう(コーラン5:105)」
4.麻薬中毒者は責任能力がなくても、必ず犯した罪を償わなければならない。
民主国家には、最終責任者がいなくても、必ず罪を背負わさなければならない。
何を罪を犯していなくても、麻薬を所持・服用していれば、逮捕されて当然ではないか。
民主主義は、それを掲げただけで弾圧・処刑されねばならない。
「我が子よ、主を、そして王を怖れよ。
変化を求める者らと関わりになるな。
彼らの悲劇は突然始まる。
誰がこの二者の下す災いを知りえよう(箴言24:21)」
5.医者が適切な処方を与えても、患者がそれを守らねば治らない。
患者が素直に従っても、医者の処方が間違っていれば、やはり治らない。
国民に禁令を従わせたいならば、その正しさを証明せよ。
自分たちの生活をよくしたいというならば、正しいことには服従せよ。
「聖人をして予め微を知らしめ、能く良医をして早く事に従ふを得しめば、すなわち病は癒ゆべく、身は活くべく也。人の病める所は、病の多きを病み、而して医の病める所は、術の少なきを止む。故に病に六つの不治有り。驕恣にして、理を論ぜざるは、一の不治也。身を軽んじ財を重んずるは、二の不治也。衣食適すること能はざるは、三の不治也。陰陽併さり、臓気定まらざるは、四の不治也。形痩せて薬を服すること能はざるは、五の不治也。巫を信じて医を信ぜざるは、六の不治也。此の一の者有れば、すなわち甚だ治し難き也(史記/第105巻)」
6.既に健康な人の体調を保持するのは誰であっても難しいことではない。
既に秩序を定められた国を維持するのは、それほど難しいことではない。
養育は父母で間に合うが、病や怪我を治療するとなると医者でなければできない。
国家の復興や草創で有能だったからといって、改革もできると思ったら大間違いだ。
7.メスを奪われてしまえば、どんな名医も腕を揮えない。
司法を奪われてしまえば、どんな明君も国を正すことはできない。
切らねばならぬというのに、癌に相談する者がいるか。
不正腐敗を取り締まるのに、一体何の許しがいるというのか。
「孔子、大司寇より、相の事を摂行す。七日にして政を乱る大夫の小正卯を誅す。居ること三月にして魯大いに治まる(十八史略/第2巻)」
8.病気になってから健康管理をしても意味がない、必要なのは医療処置だ。
退廃が始まってから綱紀を引き締めても効果は無い。必要なのは厳罰だ。
愚か者は体調が回復するやいなや、酒を飲んだり喧嘩したりでまた病院送りになる。
愚かな国は改革が済むと、哲学を始めたり権力争いをしたりで、また乱世に逆戻りする。
「太宗曰く、国を治むると病を癒すとは異なること無き也。病は人癒ゆるを覚ゆれば、愈々須らく養護すべし。蜀犯有らば、必ず命を落とすに至らん。国を治むるも亦然り。天下愈々安ければ、尤も須らく謹慎すべし。仮しすなわち驕逸せば、必ず喪敗に至らん、と(貞観政要/第2章)」
9.医者にして、病と人とを弁別できない者は、病と一緒に人を葬ることになる。
執政者にして、悪と人とを弁別できない者は、悪と一緒に人を滅ぼすことになる。
司法官にして、罪と人とを弁別できない者は、罪と一緒に人を滅ぼすことになる。
そもそも病と人とを弁別できない者がどうして医者と言えるだろうか。
10.医者になるということは、病人を引き受けるということ。
統治者になるということは、国家の憂患を引き受けるということ。
笑顔の人はやって来ない。いい話なんか聞かされない。
十分に気をつけないと、医者が病に感染して、悪い病気を広めることになる。
「堯、天下に王として憂ひ解けず、舜に授けて憂ひ解く。憂ふるも之を守りて、賢に与ふると楽しみ、終に其の利を私せず(淮南子/第10巻)」
自由で快適な生活を与えて国民の機嫌を取っていても、出鱈目な政治をしていれば
やがて国家は堕落し、手のつけようがなくなってしまう。
多数決で治療するもぐりの手に国を委ねるくらいなら、自然治癒に期待した方がよい。
「譬へば此処に病人あらんに、薬効を知らざる下手医者に療治を頼めば、初めは病軽しと雖も、何時と無く重篤し、後は上手な医者に掛かりても本復成り難し。国家の仕置きも善きは一、二年の内に知れる也。悪しきも二、三年のうちには知れる事也。右の下手医者は己の手柄にせんを第一として病人を離しかね、能く弁舌にて何かと言えば、病人もそれに惑わされて最早医者を変えず、うかうかする内に病重なり初めて驚き、俄かに医者を変へんとすれども最早遅く、上手にても何とも仕様事無し。凡そ人の仕置きも斯くの如し。色々弁舌を聞き、我不得手成る事を知らず、譬ふれば少しは知ると雖も、役を辞退し引き籠れば我が権威の軽くなることを恐れ、主国の為に悪しきをば構わず、己一人にて万事を賄はんとする故に、次第に国家の根気尽きて、この時に至って賢人出でて仕置きするとも如何とも成し難し。故に財用の裁配は急度心を付けて、才知有る者に命ずべき第一也(本多正信/治国家根元)」
2.健康を差し置いて、患者の満足を求めるというのなら、忽ち病院は潰れる。
麻薬が配給されて患者は廃人となり、もはや費用を払えないから。
正道を差し置いて、国民の満足を求めるというのなら、忽ち国家は破綻する。
福利浸けにされた国民は、与えてもらうだけで税金を払おうとしないから。
「与ふるを好めばすなわち定分無し。上の分定まらざれば、すなわち下の望止むこと無し。若しふ賦斂を多くし府庫を満たせば、すなわち民と復讐を為し、少し取り多く与ふれば、数未だ之有らざる也。故に与ふるを好むは、怨を来すの道也(淮南子/第14巻)」
3.麻薬中毒者は、自分の心身が滅びかけているのに、麻薬を止めず、へらへらと笑っている。
福利国家は、国が滅びかけているのに、無駄遣いを止めず、選挙で国がよくなると言う。
麻薬は快楽と引き換えに健康を奪う。福祉は安逸と引き換えに国を滅びに追いやる。
無料だからといって、麻薬を貰って服用すると、やがて中毒となってすべてを失うことになる。
「信ずる人々よ、自分の身を守れ。お前達が正しい道に導かれているなら、迷妄の徒がお前たちを害することはできない。お前達みなが帰るところは神の御元である。そのときには、お前達が行っていたことを全て、神が話して下さるであろう(コーラン5:105)」
4.麻薬中毒者は責任能力がなくても、必ず犯した罪を償わなければならない。
民主国家には、最終責任者がいなくても、必ず罪を背負わさなければならない。
何を罪を犯していなくても、麻薬を所持・服用していれば、逮捕されて当然ではないか。
民主主義は、それを掲げただけで弾圧・処刑されねばならない。
「我が子よ、主を、そして王を怖れよ。
変化を求める者らと関わりになるな。
彼らの悲劇は突然始まる。
誰がこの二者の下す災いを知りえよう(箴言24:21)」
5.医者が適切な処方を与えても、患者がそれを守らねば治らない。
患者が素直に従っても、医者の処方が間違っていれば、やはり治らない。
国民に禁令を従わせたいならば、その正しさを証明せよ。
自分たちの生活をよくしたいというならば、正しいことには服従せよ。
「聖人をして予め微を知らしめ、能く良医をして早く事に従ふを得しめば、すなわち病は癒ゆべく、身は活くべく也。人の病める所は、病の多きを病み、而して医の病める所は、術の少なきを止む。故に病に六つの不治有り。驕恣にして、理を論ぜざるは、一の不治也。身を軽んじ財を重んずるは、二の不治也。衣食適すること能はざるは、三の不治也。陰陽併さり、臓気定まらざるは、四の不治也。形痩せて薬を服すること能はざるは、五の不治也。巫を信じて医を信ぜざるは、六の不治也。此の一の者有れば、すなわち甚だ治し難き也(史記/第105巻)」
6.既に健康な人の体調を保持するのは誰であっても難しいことではない。
既に秩序を定められた国を維持するのは、それほど難しいことではない。
養育は父母で間に合うが、病や怪我を治療するとなると医者でなければできない。
国家の復興や草創で有能だったからといって、改革もできると思ったら大間違いだ。
7.メスを奪われてしまえば、どんな名医も腕を揮えない。
司法を奪われてしまえば、どんな明君も国を正すことはできない。
切らねばならぬというのに、癌に相談する者がいるか。
不正腐敗を取り締まるのに、一体何の許しがいるというのか。
「孔子、大司寇より、相の事を摂行す。七日にして政を乱る大夫の小正卯を誅す。居ること三月にして魯大いに治まる(十八史略/第2巻)」
8.病気になってから健康管理をしても意味がない、必要なのは医療処置だ。
退廃が始まってから綱紀を引き締めても効果は無い。必要なのは厳罰だ。
愚か者は体調が回復するやいなや、酒を飲んだり喧嘩したりでまた病院送りになる。
愚かな国は改革が済むと、哲学を始めたり権力争いをしたりで、また乱世に逆戻りする。
「太宗曰く、国を治むると病を癒すとは異なること無き也。病は人癒ゆるを覚ゆれば、愈々須らく養護すべし。蜀犯有らば、必ず命を落とすに至らん。国を治むるも亦然り。天下愈々安ければ、尤も須らく謹慎すべし。仮しすなわち驕逸せば、必ず喪敗に至らん、と(貞観政要/第2章)」
9.医者にして、病と人とを弁別できない者は、病と一緒に人を葬ることになる。
執政者にして、悪と人とを弁別できない者は、悪と一緒に人を滅ぼすことになる。
司法官にして、罪と人とを弁別できない者は、罪と一緒に人を滅ぼすことになる。
そもそも病と人とを弁別できない者がどうして医者と言えるだろうか。
10.医者になるということは、病人を引き受けるということ。
統治者になるということは、国家の憂患を引き受けるということ。
笑顔の人はやって来ない。いい話なんか聞かされない。
十分に気をつけないと、医者が病に感染して、悪い病気を広めることになる。
「堯、天下に王として憂ひ解けず、舜に授けて憂ひ解く。憂ふるも之を守りて、賢に与ふると楽しみ、終に其の利を私せず(淮南子/第10巻)」