主はギリシャに言われた。
「よく心して聞け。私は神である。天と地を作った、唯一の神である。
お前はこれより、父祖伝来の慣習や様式、考えから離れ、そして何より言葉を今のその文字から切り離しなさい。
そうすれば、言葉はお前の翼となって、誰も得たこともないほどの知恵と力と美しさを与えるだろう」
ギリシャは、主に命じられた通り、伝来の慣習や様式と文字に背を向けながらも、神だけは一切疑うことなく、算術を頼りに些細な事柄から検証するようにした。
すると、彼の思索は自由闊達に飛び回り、神の御業を垣間見るほど高められた。
自分の想像を超える出来事に恐れ慄いたギリシャは、主の栄光をとこしえまで讃えるために、雄大壮麗な伽藍を、口承によって築いた。
甥であるラテンも彼を真似て、主の栄光を讃える塔を建てた。
さて、ギリシャは形容詞と、自然科学、社会思想とそれを表す抽象概念を非常に多く持っていた。
ギリシャと一緒に来た甥のラテンも同様であった。
しかし、その地は彼らが一緒に住むのに十分ではなかった。所有するものが似通っている上に多すぎて、一緒に住めなかったのである。
そのため、ギリシャとラテンの用語の間に諍いが起こった。
ギリシャはラテンに言った。
「私とあなたの間、また互いの牧者たちの間に、無意味な争いがないようにしたい。私たちは親類同士なのだから。
悪く思わないで聞いて欲しい。どうか私から離れて行って貰えないか?神の大地はあなたの前に開かれているのだから。
あなたが左なら、私は右に行く。あなたが右なら、私は左に行こう。」
こうしてギリシャとラテンは右と左に別れるかと思われたが、結局距離を置いただけで同じ方角に向かった。実際に左右に分かれたのは彼らの次の世代からであった。
ラテンが目を上げて言論を見渡すと、主が神学と形而上学を滅ぼされる前であったので、その地は理系も文系も入り混じり、あらゆる学問が新しく発見した学理や抽象概念を交換し、応用し合っていたので、主の園のように不思議なほどよく生い茂っていた。
ラテンはあらゆる学問や多言語が入り混じる、青空市場的な抽象議論に興味を覚え、神学に天幕を移した。
一方ギリシャは、神について議論することは憚られたので神学には近寄らず、形而上学にいっとき足を留めたが、具体性のない言葉はその定義が不安定で、しかも下手に他言語と関わると、自国語が毀損される恐れがあったので早々に引き揚げることにした。
そして、一旦一般名詞や一般動詞以外忘れることで類推と比喩という方法を会得した。彼はそれを神の恩寵とし、そこに祭壇を築き、驚くほど美しい雄牛を生け贄に捧げた。
それを御覧になった主は、彼に最大限の祝辞を贈られた。
「さあ、目を上げて、そこからすべてを見渡しなさい。わたしは古のものはもちろん、東西問わず未来永劫に亘って学と呼べるもの、社会で起きうる問題のすべてを、自力で比喩を獲得したお前に、そしてそれを継ぐであろうお前の子孫に永久に与える。
わたしは、お前と子々孫々の言葉を限りなく増やす。お前の文字一つ死ぬことはない。もし人が、世にあるものや現象を数えることができるなら、お前由来の言葉も数えることができるだろう。
自信を持って、あらゆる疑問に立ち向かいなさい。お前ならどんな難題でも正しく解決することが出来るはずだ。そしてそれは全てお前の財産となる。
お前は未来永劫に亘って人の世を照らす光となる。
わたしは、お前を讃える者を導き、お前に背を向ける者は滅びの穴へ陥れる。
言語時代を問わず、すべての学問の正しい歩みはお前の足跡を見つけることで始まり、それを辿ることで正しい結論に導かれる。」
すると、ギリシャは社会問題や学問への取り組みは継続しつつも、それと同じくらい肉体の鍛錬に勤しんだ。
そしてそれによって心を正し、公正と誠実さと友愛を芽生えさせ、神の前に捧げる新しい神事を築き始めた。それは後に体育競技と呼ばれるようになり、その後民族を越えて模倣される祭典となった。
主はこれを見ていたく感心され、心の中で言われた。
「この者は自分の力で比喩を習得したのみならず、学問の益も害も、そして人間をも理解している。それ故に学問を正しく受け入れられる器である人格作りが先だとしている。人間が人間の本質を客観的、多面的に理解したというのはかつてなかった。
これほどの者に対してわたしは、自分が近々しようとしていることを隠しておくべきだろうか。
思えば、わたしがギリシャを選び出したのは、メソポタミアの子孫である彼が祭祀と学究のもとに、科学的推論と公正と忠誠を普及させるようになるためであったが、この者はすでにそれを超えている」
主はギリシャが打ち立てたその祭典を平和の祭典とされ、国同士の諍いや敵意、また国力の差などは立ち入れない公正公平な場所として保護されることを約束された。