
カップ麺にも色々なスタイルがある。
お湯を入れる前に粉末のスープを麺の上にかけてから、お湯を注ぐタイプ。
あるいは、お湯を入れて数分待ち、待ち時間が過ぎてふたをあけ、食べる直前にスープを入れるタイプ。
あるいは、最初からスープの素が入っていて、作業としては単にお湯を入れて待つだけのタイプ。もしくは、麺そのものに味付けがされていて、作業としてはこれまた単にお湯を入れて待つだけのタイプ。
中には、複数のスープがあり、お湯を入れる前に入れるスープと、食べる直前に入れるスープの両方が入っているタイプ。
などなど、各社が自社のカップ麺には色々な工夫をしている。
元々カップの中にあらかじめスープの素が入っているタイプや、麺そのものに味付けがしてあるタイプを除けば、カップ麺というのは、カップのフタをあけるとスープの素が入った包みが麺の上に乗っている。
で、それを食べる人が自ら麺の上にまぶす作業が必要。
まあ、必要・・・とはいっても、単にスープの素が入った包みを切って、麺や湯に加えるだけだから、たいした作業ではない。
そう、確かにたいした作業ではない。
いや、ないはずなのだが・・。
たまに、この「大した作業」ではない作業に失敗することがある。
その失敗とは、よくあるのがスープを入れる順番を間違うこと。
あらかじめ入れるタイプなのに、後で入れてしまったり、あるいはその逆もあったりする。
これなどは、カップに書かれた「作り方」を確認して作業すればいい。
そうすれば間違いは防げる。
困るのは・・
スープの素を入れようとして、スープの素が入っている包みを切った時に、切った勢いや、包みが何かにひっかかったりして、全部入れたつもりが実はまだ包みの中にスープの素がけっこう残っていて、何かの拍子で、包みの中に残ったスープの素を床やテーブルにこぼしてしまった時。
それでも綺麗なテーブルの上なら、こぼれた粉末スープを指である程度かき集めて、多少なりともリカバーもできる。
だが、床にこぼれた場合は・・・・さすがに床に散らばったスープの素をかき集めて、これから食べようというカップ麺の中に入れようとは・・・・思わない。
それでも、こぼれたぶんが、わずかならまだいい。
最悪なのは、こぼれた分がかなりの量になる場合・・。
本来カップ麺の中に入るはずだったスープの量が、かなり減ってしまうことになる。
となると、そのカップ麺が出来上がっても、中に入っているスープの素の量が少ないわけだから、そのカップ麺本来の味では・・・ないことになる。
それでも、食べないわけにもいかないから食べるのだが、気分的にどうも物足りない。
でも、そのスープを無駄にしてしまったのは自分なのだから、仕方ない。
でも、気持ちがおさまらない時もあり、そんな時はスープの素が入っていた包みをうらみたくもなったりする(笑)。
「なんで、開けた時に全部出てこないんだ」だの、
「包みが折れた先に、大量に溜まってるんじゃないよ」とか、
「よりによって床に落ちなくてもいいだろう、こぼれるならせめてテーブルの上にしろよ」などと、八つ当たりしたくなることも(?)。
ともかく、妙にくやしい。
こんな時・・そのカップ麺を食べるという「やる気」が大いにそがれてしまう・・。
まあ・・食べるけどね・・。
必要以上に損したような気分で。
冷静に考えればとるにたらないことかもしれない。それで死ぬわけじゃないし、ケガをするわけでもない。
たいした損でもないのだろう。
だが・・ひどく損した気分になるのは・・なぜだろう。
なりそこないを食べさせられてる気がして。
いや・・実際にそれは、なりそこないのひとつではあるのだ。
人と同じ金を払って、同じ作り方をして、腹もすかして、出来上がりを楽しみにもしてたのに。
なぜ自分だけが(???)こんななりそこないを食べにゃならないのか・・・??
差別だ。不平等だ。悪夢だ(??)。
カップ麺なんて・・食べなきゃよかった。私にはカップ麺などむいていないのだ。
もうカップ麺なんて、食べるのはやめよう。
とバカなことを思っても、ほとぼりがさめたら、また食べている。
ただし、その次にカップ麺のスープの包みを開ける時、異様に慎重になっている(笑)。
その気持ちがいつまでも続けばいいものを。
いつしかいつのまにかその悔しさが薄れるから、たまにまた同じ失敗をしてしまうことがある・・。
そんな時、つくづく自分が嫌になる(笑)。
まったく、私という奴は・・・。
なお、写真は、この記事でのカップ麺とは関係ありません。
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