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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

私の「奥の能登道」 5 : 「能登半島の突端から、海岸線を行く」

2015年10月02日 | 

さて、旅も3日目。

チャーターしたタクシーが、ランプの宿の駐車場にやってくるまで、ここにある売店で、会社用のお土産を物色。

 ↑ 聖域の岬 自然環境保護センター。この中に売店があった。

 

↑ 聖域の岬の案内看板。

 

その後しばし駐車場近辺で、崖からの眺めを最後に楽しんだ後、やってきたタクシーに乗り込んだ私。

↑ 聖域の岬の駐車場。

↑ 駐車場の片隅にあったフレームストーンのモニュメント。このすぐ後ろ側は崖になっており、いきなり大地は海に急降下する。

左側に、崖下の海辺にある、ランプの宿の建物が少し見えている。

 

この日の宿は輪島にある。輪島までの移動ルートの途中で、あれこれ見ていこうと思っていた。地図を見ると、輪島までのルート上にも、色々見どころはある。

 

走り出し、途中で眺めの良い場所などでしばし休憩。

 

↑ 誇らしげに「能登半島国定公園」の文字が。

 

その後、車は海岸線まで降りて行った。そしてしばし海岸線を走った。途中で、何かのドラマの舞台になった場所で車を停めてくれたが、あいにく私はそのドラマは知らなかった・・。

このあたりは、「木ノ浦海域公園」と呼ばれる場所らしい。なんでも、ダイビングスポットだそうな。

 

 

 ↑ つげ義春先生のペンによって、旅イラストにしたら、よりいっそう絵になりそうな風景だ。

 

その後、再び車は走り出し、やがて岩場が続く海岸の途中でドライバーは車を停めた。なんでも、ゴジラ岩なる岩があるらしい。

車を降りてドライバーの指さす方向を見てみると、確かにゴジラっぽく見える岩があった。

たいして大きくはない。普通に車を運転しているだけだと見逃してしまいそうだが、一応「ゴジラ岩」と書かれた看板はあるので、注意しながら通れば見つけられるだろう。

ゴジラ岩と言えば・・・そういえば北海道の知床にもあったっけ。

知床のゴジラ岩はけっこう大きな岩だったが、奥能登半島のゴジラ岩は知床のゴジラ岩に比べたら小ぶり。

なんでも奥能登半島のゴジラ岩は、誰かが掘ったのではないか・・という噂もあるようだ。

観光マップには一応掲載されている岩ではあるが、そんなたいそうなスポットというほどではないかな。

せっかくなので、一応写真には収め、再び私は車に乗った。

 

 

 

 ↑ まあ、確かにゴジラっぽく見える。

 

私が行ったこの時期、NHKの朝の連ドラ「まれ」が放送されており、そのドラマの舞台は能登だった。

「まれ」では、能登の塩田も何度か取りあげられていた。ドラマで実際にロケに使われた塩田もあった。

ドラマの登場人物「元冶さん」がドラマ内で塩をまいていた塩田だ。

 

意外だったのは、その塩田は道路ぞいにあったこと。ロケ中は、元冶さんが塩をまいている最中にも、すぐ横を車が行き交っていたのではないだろうか。

テレビの画面と見比べてみると分かると思うが、テレビカメラはこの塩田ぞいの道をなるべく画面に写らないように撮影していたのだろう。少なくても、道を走る車は画面内になるべく入らないようにしていたはずだ。

 

↑ ほら、この日も、塩田のすぐわきの道には、車が行きかっていた。

 

けっこう観光スポットになっているようで、お土産屋さんなどもあった。

能登半島の先端から輪島に向かう際には必然的に通る場所でもあるので、立ち寄る人は多いはず。私もしばし立ち寄り、その塩田や、倉庫の中を見てみた。

 

↑ 桶作の塩・・・そういえば、「まれ」に出てきた元治さんは、名字が「桶作」だったっけ。

 

↑ うん、確かにドラマ内で見覚えがあった光景。元治さんが、この塩田の中で塩をまいていたっけ。

 

 ↑ しっかり、こんな看板が。

 

さて。

塩田を後にして少し車で進んでいくと、さびれたトンネルがあり、その前で車は停まった。

よく見ると、トンネルのちょっと脇に、崖から海に落ちる滝があった。

真浦海岸と呼ばれる場所らしい。

 

滝は、垂水の滝(たるみのたき)という名称らしい。

崖から海に落ちる滝というのは、案外珍しいような気がした。

 

↓ よく見ると滝壺の前を直接横切って進む遊歩道みたいなものが見えた。

 

 

せっかくだから遊歩道を歩いてみようと思い、滝壺に近づいた。

 

すると、ルートは閉鎖されていた。落石か何かの危険性があるらしく、閉鎖されていたらしい。ちょっと残念・・。

↑ 仕方なく、この地点でストップ・・・。ちなみに、このあたりはフナムシがうようよ。油断すると、人の体にも登ってくる。私に言わせれば、フナムシは「海辺のゴキブリ」・・・そんな感じだ。

 

↓ 本当は遊歩道で、しばらく先まで進めるはずなのに・・。

 

 

ちなみに、この滝の脇にあるトンネルは今では閉鎖されている。

その代わりに、そのトンネルのとなりに、新しく掘られたトンネルがあり、交通アクセスとしては今はその新しいトンネルが使われているようだ。

↑ 閉鎖されてるトンネルを見ると、どうも心霊スポットっぽく見えてしまうのは、私のいけない癖かもしれない(笑)。

 

その次に車が停まったのは、窓岩と呼ばれる岩がある曽々木海岸。

窓岩は、能登半島のドライブコースの途中では割と有名な岩のようで、私もあらかじめその名前は耳にしていた。

岩場が続く海岸に、一際高い岩があり、その岩の真ん中には穴があいていた。それが窓みたいだから、窓岩と呼ばれているのだろう。

以前はこの岩に登る観光客は多かったらしい。

この窓岩も、奇岩ではあるが、前日に見附島(軍艦島)を見てしまった後なので、思ったよりもインパクトは小さく感じた。前日に見た見附島は、めっけものだったと実感。

 

↑ 窓岩。まあ、確かに個性のある形ではある。

↑ 少し、寄ってみた。あの穴のあいてる部分から顔を出して写真を撮りたい人もいるに違いない。

 

それまで車は基本的に海岸沿いを走っていたが、その後車は少し内地に入った。

なんでも、平家の末裔の家に向かうらしい。

奥能登半島の見どころスポットにはしっかり入っている家らしい。着いてみたら、まずは、その門に続く、いきなり現れる坂道が立派。

これだけでも、ただものではない。威圧感があった。

↑ こんな立派な坂を登って、門をくぐって、敷地内に入ることになる。

 

↑ 門を入ってみて、ふりかえって見た風景。

 

坂道を登り、門の中に入ってみたら、その家の立派さに更にびっくり。

書院造りの屋敷で、重要文化財に指定されているようだ。

家に続く坂道も立派なら、なんといっても家の屋根の立派さは圧倒的だ。

 

↑ この写真じゃ分かりづらいかもしれないが、屋根の立派さだけでも、相当なものだった。

 

なんでも源頼朝が天下を握った時に、唯一残った平家の一族が、この家の家系の先祖らしい。

ただ、平家の名前を出していると源氏に狙われるので、苗字ではなく名前であった「時国」を苗字にして、「平」の苗字を使わずに、能登半島の山奥に隠れ住んだとのこと。

ここには今でも時国家の末裔が暮らしてらっしゃるらしい。

歴史の流れの中では、平家は、とてつもない大物の家系であり、それが今も続いているというのは、つくづく過去と現在はつながっているのだなということを実感する。

ここもしっかり観光スポットになっているようで、駐車場には大型バスも停まっていたし、時国家の内部が一般公開されてるせいか、団体ツアーの一行の声が邸宅の内部から聞こえていた。

駐車場には、しっかり土産物屋もあった。冷やかしで入った売店だったが、古い時代の教科書の復刻本がなぜか売られているのを見つけ、思わず、一番古い時代に発行された教科書の復刻本を1冊買ってしまった。なんと、大正時代に発行された教科書である!

こういうものに、つい反応してしまう私・・・。

 

 

さて、この後は、今日のルートの目玉でもあろう、千枚田に向かって車は走り出す。いざ。


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