受験生時代に、英語の勉強でお世話になっていたのが、「赤尾の豆単」。
正式名称は「英語基本単語集」だったようだが、「赤尾の豆単」という呼び方の方が一般的だったので、「英語基本単語集」という名前で呼ばれても、どうも私にはピンとこない。
「英語基本単語集」が「赤尾の豆単」と呼ばれていたのは、編集者が赤尾好夫さんだったからで、「豆」というのはその本のサイズが小さかったからだろう。
「単」は、もちろん「単語」の略。
当時の受験生は、たいがいの人が持っていたように思う。ポケットに入るサイズだったから、持ち運びが楽だった。
なので、学校の通学時にはいつもカバンか制服のポケットに入れて持ち歩いていた・・・と思う。
赤い表紙だったと思うが、それは私が本のカバーをはずしていたからだったかもしれない。ただその辺の記憶は曖昧なので、自信は無い。
ふと思い出し、今も売られているのかな・・・と思って検索してみたところ、今でも入手は可能のようだが、今のは「復刻版」だそうな。
復刻版??? ということは、一度廃刊になったのか、あるいは?
どうもそのへんはわからない。
ただ、今は昔ほどの「受験生のバイブル」的な存在ではないらしい。
昔はまさに「受験生のバイブル」的な存在で、ピーク時には受験生の2人に1人が持っていたらしい。
ちなみに赤尾の豆単は1942年に初版が発行され、1966年頃が売り上げのピークだったらしい。
ということは私が持っていたのは、すでにピークはとうに過ぎていた頃ということになる。
でも、まだまだ愛用者はたくさんいた覚えがある。
長い間ベストセラーを続けていた赤尾の豆単が、やがて少しづつ勢いを落としていったのには、それに代わる「受験生のバイブル」があらわれたからだった。
赤尾の豆単を脅かしたもの、それこそ「試験に出る英単語」というものだった。
略して「しけ単」。
赤尾の豆単がポケットサイズの辞書みたいなものだったのに対し、「しけ単」は入学試験に出そうな単語を、その重要度順に並べたもので、より入学試験に実践的な内容だった。
受験生がこういう書物を使うのは、当然入学試験にパスするためであることを考えると、赤尾の豆単が「しけ単」に押されてしまったのは、ある程度仕方なかったのかもしれない。
私も「しけ単」は持ってた覚えがあるが、どちらかというと赤尾の豆単のほうが自分の記憶の中に残っている。
というのは、赤尾の豆単は辞書として使えたから、言葉の意味などを調べやすかったからだと思う。
ある意味、「使える時期の範囲」ということでは、赤尾の豆単のほうが、つぶしがきくような気はした。
ただ、受験生の時期・・・ということに絞ると、「しけ単」のほうがピンポイントな気はした。
そのへんが、私の中での両書の区別だったと思う。
あと、赤尾の豆単は、手軽なポケット辞書として使っていたため、ボロボロになった。
でも、それだけ使用頻度も高く、そのためにかえって愛着もわいていたように思う。
受験生時代が終わっても、赤尾の豆単はとっておいたと思う。
「しけ単」は、受験生時代が終わると、・・・処分してしまったかもしれない。
でも、赤尾の豆単は、ボロボロ状態のまま残っていた覚えがあった。
今も豆単が我が家にあるかどうかは・・さだかではない。
家のどこかにまだ残っている可能性もあるが、どこにあるかは・・・家の中を本格的に探してみないと出てこないかもしれない。
自分の意思で捨てた覚えはないから。
誰かに捨てられていない限りは・・まだ家の中にあると思う。
もしもどこかから偶然出てきたら・・主に十代の頃の私の手垢が残っているはずだ。
表紙がボロボロで、ページの背は黒ずんで、本文内の英単語には、マーカーで色塗りされているはずだ。
それは私の受験生時代の名残だ。
懐かしさはあるが、だからといって十代の受験生時代に戻りたいとは・・思わない(笑)。
ちなみに、編集者の赤尾好夫さんは、ウィキによると、1907年3月31日生まれ、1985年9月11日没。
あの旺文社の設立者。テレビ局の設立にも関わったり、実用英語技能検定にも関わるなど多彩な活動をされた方で、出版人であると共にメディア人でもあったようだ。
書画骨董の収集や、射撃などを趣味とされていたようだ。
中々幅が広く、業績面では偉大な人物であったということだろう。
もっとも、一介の受験生だった時代の私にとっては、そんな偉大な人物だとは気づきもせず、単に「豆単のおじさん」ではあったのだが。
受験生時代が終わると、受験生時代の参考書を再び開くことはなかったが、豆単だけはたまに辞書として使っていた。
そのたびに、受験生時代の辛さを思い出したものだった。
そういえば昔「男どアホウ甲子園」という野球漫画があった。
藤村甲子園という名前の豪速球投手が主人公の野球漫画だった。
その藤村甲子園の豪速球を受けられる相棒のキャッチャーのニックネームが「豆タン」だった。
そのニックネームの由来は、「赤尾の豆単」から来ていたのだろうか。
違っていたらごめんなさい。
その漫画の中では、藤村甲子園が豆タンに向かって「いくでぇ、豆タン!!」と言うと、豆タンは「はいな、あんさん!」と答えていた。
そのかけあいは、その作品のひとつの名物パターンであった。
「男どアホウ甲子園」を読んでて、そんなシーンを見ると、つい私は「赤尾の豆単」を思い出してしまうことがあった。
ん?! もしかして、、、、藤村甲子園も「赤尾の豆単」を愛用していたのだろうか(笑)。←おい。
まあ、それはさておき。受験生の皆さんは、追い込みの季節に入っていく時期。
色々大変だとは思うが、体調には気をつけて、乗りきってください。
受験日の直前になって、肺炎の可能性あり・・と診断されたことのある私のようにはならないように・・。その時は、医者を替えたら、単なる風邪で終わったからまだよかったけど・・。
私も、大学受験生時代に愛用した参考書は、今でも大切に保存してありますよ。
特に現代文・古文・漢文に対する『チャート式シリーズ』は、大学受験参考書を越えて、超一級教養書としても愛用しています。
私の学生時代は、中国文学科在籍でしたから、『チャート式シリーズ』のような重厚な参考書は、大学入学後も充分に役立ちました。
『チャート式シリーズ』は、66年から70年初頭辺りに初版が出版され、収録されている問題を観るに、当時の大学受験国語問題は、現在の東京大学・早稲田大学よりも遥かに難関と思われます。
又、代々木ゼミナール代々木本校時代に受講していた当時のテキストも、何冊かは今でも大切に保存してあります。
テキスト表紙には、担当講師によるサインまで頂いています(笑)
私は、もう一度、大学受験生をやり直したいですね。
夢ばかり大きくて、実践が伴っていなかった、情けない私をやり直したいのです。
次こそ、早稲田大学文学部入学へ!
だんぞうさんも、『赤尾の豆単』無事に見つかるといいですね。
ボロボロになっているからこそ、さらに重宝したくなるものです。
今、大学受験業界では、入試が終われば、すぐに役目を終える軽薄な参考書が多くなり、「受験を越えて、学問の本質にまで迫る本格的参考書」が大変少なくなったようです。
たぶん、本がその後もどんどん増えたので、置き場所に困って処分してしまったものと思われます。
ただ、赤尾の豆タンは、ハンディサイズの辞書としても仕えるので、とっておいたはずです。
もしも、受験生時代に使っていた参考書や教材などが今も残っていたとして、今その本を見たら自分でどう思うかなあ・・なんて思います。
英語で私がよく使っていたのが、トレーニングペーパーという参考書と、実践英語水準表だったと思います。
トレーニングペーパーは一番活用してました。
実践英語水準表は、確か・・代々木ゼミナールの英語の講師が書いた参考書だったはずです。
授業中によく宣伝もしていました(笑)。
チャート式・・・という参考書は私は使っていませんでしたが、その名前は聞き覚えありますよ。
ちなみに・・・今私が学生だったら絶対に第1志望にするであろう大学があります。
かなり特殊な専門コースがある学校です。
いずれそのことはネタにしようと思います。
その昔、セイヤングが始まる前の番組が、
確か旺文社提供の大学受験講座だったと記憶しています。
始めと終わりに流れる番組テーマ曲が、イメージにピッタリで、調べてみたらブラームスの大学祝典序曲という曲の一部分を使ったみたいです。
てっきり番組の為に作ったのかと思っていました。
大学つながりという事で選曲したのかな。
多分、文化放送の人が選曲したんでしょうが、あのメロディーに聴き覚えがあったんでしょうかねえ。
セイヤングについても書きたくなりましたが、
長くなりそうなので、また別の機会に書く事にします。
セイヤングが始まる前の番組というと、夜中の12時半まで放送されてたんですね。
私は、ぞの時間帯は、別のラジオ番組を聞いてました。
毎晩。
なのでその番組は記憶になくて、すみません。
オールナイトニッポンやパックインミュージックは深夜1時からだつたんですが、セイヤングは12時30分からの前倒しスタートでしたよね。
はいな、あんさん!
くう〜〜〜〜〜〜
この掛け合い、ほんまシビれますなあ〜
「男どアホウ甲子園」藤村甲子園の恋女房キャッチャー「豆タン」こと岩風五郎くん。
彼のニックネームの「豆タン」の語源は、残念ながら「赤尾の豆単」ではおまへんにゃ。
昭和のいつ頃からかはわかりませんが、小柄ながらがっちりした体格で力持ち。
そんな人を小型の戦車に例えたんですね。
つまり岩風五郎くんは藤村甲子園の豪速球を受ける事とその容姿から、
小型の戦車、豆みたいに小さいタンクで「豆タン」となったのです。
ちなみに日本陸軍の戦車は欧米のそれに比べ総じて小型軽量のものが多く
「豆戦車」なんて呼ばれてました。
岩風五郎くんは交通事故で失明するも音を頼りにする捕球術を編み出したり、
剛球仮面の球で視力が戻ったり、甲子園と一緒に東大に進学してリーグ初優勝させたり、
一球さんでは高校野球の監督やったりとけっこう活躍しました。
でも、甲子園の東大入学には驚くやら笑うやらで。
なんといっても受験突破の方法が猛勉強ではなく「ブロックサイン」でしたもんね。
それアカんやろ!
水島先生の野球パラレルワールドは楽しいですよ。
「あれ、こんなところにあのキャラが!」なんて発見がありますしね。
私が大好きだった「あぶさん」の景浦安武選手も阪神とのオープン戦で藤村甲子園と登場。
代打逆転ホームランを打ち、甲子園にプロの洗礼を浴びせました、拍手!
すいません。水島先生の野球漫画大好きなもので、つい長くなってしまいました。
男どアホウ甲子園、面白かったですよね。
出てくるキャラクターが魅力的でした。
個性派揃いのキャラクターの中では、豆タンは癒やし系に思えました。
そうですか、赤尾の豆タンからではなかったんですね。
私は、てっきり、、(笑)。
小型の戦車、、、タンクからだったんですね。
納得です。
赤尾の豆タンからだと、イメージが合わないですもんね(笑)。
剛球仮面って、確か正体は、池畑三四郎だったような、、、。
そうそう、東大入学式には、「そんなアホな」と思いました。
いくらなんでも、そりゃ無理だろうと。
実は男どアホウ甲子園は単行本を集めてたんですが、東大入学あたりから持ってないんです。今となっては、買い続ければよかったと思ってます。
で、まとめて最初から最後まで一気読みしたいです。
そういや、ドカベンの最終回には、水島キャラクターがけっこう出てましたっけ。
はじめましてのおじゃまです。
名前の「男大バカ後楽園」は、「男どアホウ甲子園」がアニメ化された際、
声優さんの大阪弁がひど過ぎると局内からクレームが入ったそうです。
それを聞いたスタッフが「台詞を標準語にして男大バカ後楽園にタイトル変えろ!」
と言ったとか。
それをいただきました。
よく訳知り顔で「ドカベンって最初は柔道まんがだったんだぜ〜へへん」
なんて言う方がいらっしゃいますが、実は水島先生は最初から「ドカベン」を
野球まんがにする事を決めていたそうです。
ただ連載開始当初は他誌で「男どアホウ甲子園」を連載してた事と、
よりリアルな高校野球を描くために醸成期間として山田太郎の中学時代を
柔道中心に描かれたそうです。
そんな準備期間があったからこそ「ドカベン」は、
あんなにも長く読者に愛され続けたのだと思います。
期待は薄いかもしれませんが「ドカベン」の新作にも期待してしまいます。
大谷君の大活躍もあるので、やはり「メジャーリーグ編」でしょうか。
あ、水島先生の力技で同じアメリカでの野球でもメジャーじゃなくて
「ビッグリーグ」とか「スーパーリーグ」とか新しい野球機構を作って
水島キャラたちを大暴れさせてほしいな!
確か、夕方6時半過ぎころから10分くらいの枠の帯放送でした。
主題歌、今でも覚えてます。
あれを関東版にすると、確かに男大バカ後楽園になりますね(笑)。
今なら東京ドーム?
でも、男大バカ東京ドームじゃ、イマイチですよね、、。
ドカベンはあまりに長いので、飛び飛びにしか読んでません。
メジャーリーグ編も始まったら楽しそうです。
当時の高校は、親単から週に一度、英文法の授業時間開始時に20ページほどを毎週毎週暗記させられて、五問ほどの単語テストがあるのがふつうでした。そのための教材でありました。試験に出る英単語は、名前のとおり、試験によく出るものを厳選して、より実戦向きではありましたが、英語教師が授業に使うなどということは彼らのメンツにかけてもあり得ず、受験生個人が使用するものでした。青春新書という新書扱いでしたしね。
時間の外にようこそ。
親単ですか。
その名称、聞いたことあるような、ないような。
どうも私のそのへんの記憶はおぼろげです。
たださすがに「単綜」という呼び方はまったく馴染みがありません。
一般人の略称と、企業側の略称は違ってたんですね。
私はてっきり旺文社も一般人と同じ略称を使ってたのかと思ってました。
そう、受験生時代はともかくひたすら「暗記」でしたね。
私が暗記用によく使っていたのは、「トレーニングペーパー」という教材でした。
ひたすら何度も書いて覚える・・・そんなスタイルでした。
試験に出る英単語を、英語教師がメンツにかけて使わなかったというのは知らなかったです。
試験に出る英単語は、参考書という印象がありましたが、豆単はミニ辞書としても使えたので、受験生時代が終わっても私はしばらく使ってた覚えがあります。