時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

初めてのオジサン

2008年03月27日 | 懐かしい系、あれこれ
今じゃすっかりオヤ~ジになってしまった私ではあるが、徒然の毎日の中でふと思うことがある。
それは・・思えば、自分が「歳をとった」と初めて感じたのは、いつのことだっただろうか、と。

私が初めて「オジサン」と呼ばれたのは、中学3年の時だった。
親戚の幼児が家に来ていて(もしかしたら旅先だったかも)、片言の言葉で「オジチャン・・」と呼ばれたのだ。
正直ショックだった。
まあ、幼児から見たら14~15歳の人はオジサンに見えても仕方ないのかもね。
でも、自分の中では現実感はなかった。
そりゃそうだよね~、中学3年くらいの年代では。
だから「オジサン」と呼ばれても、自分の中に自覚がまったくなかったので、自分が歳をとったという感覚は無かった。
「オジサン」は、私とは別物の存在と思った。
初めて「オジサン」と呼ばれてビックリした・・まあ、ショックの中身は、そんな程度だったと思う。

で、中学を卒業し、高校に入り。
高校1年の時に、高尾山への遠足(?)があった。
皆、徒歩で登ってた。
途中少し疲れて来た時、一緒に登ってた級友が「もう年だから、疲れるよ」なんて言いだした。
もちろん冗談で言ってるのは分かったし、他の級友も大笑いしながら登り続けた。
私にとっても、その言葉は冗談でしかなかった。
まあ、15~16才の若造にとっては、自分が年寄りなんてのは冗談でしかなかった。

だが、この2つの出来事は、その後の私にとって、ちょっとした伏線とはなった。その時は現実感は無かったにしろ、ネ。

遠足後のある日。
私は、通学のために、家の近くにあるバス停に向かった。
で、着いた。
すると、私の前にすでに一人並んでいる人がいる。
それは、小学校1年くらいの女の子だった。
年にして8~9歳くらいは離れているだろう。当然のことながら、背は低い。
自分にもこれくらいの頃はあったんだよなあ・・などと、ふと思った時。
いきなり。
自分も歳を確実にとっていってるなあ・・と感じた。

先ほど書いた2件の先例では現実感はなかったのだが、この時初めて現実感が自分の中に宿った。
どうやら、先の2件の出来事が、その伏線になってしまったようだった。
初めて「オジサン」になっていく自分を感じた瞬間だった。
現実感が伴わなかった頃はよかった。真に受けなかったからね。
でも、一度真に受けてしまうと、心の片隅にその感覚が巣食うようになった。

実際、その頃、「あまりに老けすぎた」という自作曲を作ってしまったぐらいだ。
15~16才ぐらいの若造が。
今の自分にとっては「そんな若さで、そんな歌なんか作るなよ」ってツッコミを入れたい気がするが(笑)。

ともあれ、それ以来、絶えず、時の流れを意識するようになってしまった・・。
年々、時というものに対する思いは、強くなってる。
だから、私の作る歌には、「時」という言葉がよく出て来る。
ある意味、「時」こそ自分の作る歌の根底に流れるテーマなのだろうと思う。

・・そういや、私が組んでるユニットの名前は「時代屋」だ。ここにも「時」という文字が(笑)。

消えていった、時。
やって来る、時。
楽しかった、時。
辛かった、時。
戻せない、時。
残酷な、時。
浮気者な、時。
変えてゆけるかもしれない、時。
気まぐれに幸せを運んでくる、時。
一瞬でも、時。
永遠でも、時。
それも、時。
様々な、時。
どれも、等しく時。

あんなこともあったね。
こんなこともあったよ。
どれも、私だったんだね。で、どれも君だったのさ。
そして、明日。


自分が歳をとっていってることを初めて実感した時ってのは、人それぞれだろう。
できれば聞いてみたい。

あなたが、自分が歳をとってしまった・・ということを、初めて実感したのはいつ頃でしたか?
で、それは、どんな時に、そう思ってしまったんですか?

・・と。


「時」よ。今後とも、お手柔らかに・・。













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