
聖書の同じ箇所に留まっていて先に進んでも結局また戻る・・、気付かなかったことにするなんて出来ず、溜まるばかりのメモに余計にこんがらがって・・家を飛び出した。
空は青空、野には次々と花が咲き出し・・、広々となだらか道には車も人通りも無し・・ときたもんだ。
昨日までは、「ホッケ、ホケッ」その度に立ち止まって「エッ・・エッ」と聞き耳を立ててもそれっきりだったけれど・・
「今日こそは 紛う事なき ホーホケキョ」
しかも、気前よく繰り返し鳴いてくれた。
気をよくして帰っても何も変わらなかった。そういう問題ではないか・・。
疑問は解けたと思っても又こんがらがる。ぼんやりと見えるようでも明確な言葉とならず待つしかない。イエスさまは、はっきり見えるように成るまで付き合ってくださるお医者さま。何度も手を当ててくださる主と、見つめる者のの共同作業なのだ。
すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます」と言った。
それから、イエスはもう一度彼の両目に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。(マルコ8:24~25)