石ころ

「懇願」(マタイ8章)

 

息子の通読箇所を交読していて、此処にある三通りの「懇願」に気付かされた。

 

 イエスがカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て懇願し、
「主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます」と言った。
イエスは彼に「行って彼を治そう」と言われた。
しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。(5~8)

 

百人隊長はイエスさまに、しもべを癒やすおことばをくださいと懇願した。
彼は自分の役職によって発せられた言葉にある権威を知っており、猶更みことばの権威が如何に価値あるものであるかは、信仰によって確信していたのである。
イエスは彼の信仰をほめられ、みことばをたまわったしもべは直ちに癒やされた。

 

キリスト者も聖霊に解き明かされるみことばを求めて、主に懇願する祈りを経験する者である。
主にたまわったみことばには、状況の変わらぬ先からキリストの平安があり、その平安の中で静まって待つことによって、主の最善をたまわって証することが出来る。

 

 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。(ヨハネ14:27)

 

 イエスがガダラ人の地に着かれると、墓場で悪霊につかれた2人が出迎え、悪霊どもはイエスに懇願した。

 

悪霊どもはイエスに懇願して、「私たちを追い出そうとされるのでしたら、豚の群れの中に送ってください」と言った。
イエスは彼らに「行け」と言われた。それで、悪霊どもは出て行って豚に入った。すると見よ。その群れ全体が崖を下って湖になだれ込み、水におぼれて死んだ。(31~32)

 

悪霊どもは主を知っており、驚くべきことは主が悪霊の懇願を聞き入れられたことである。
人は神のなさることは知っていると考えるが、神に願うことは出来ても神を知ることはない。

 

そもそも、石ころからでもより優れた人を造ることが出来る神が、創造主を無視して罪に生きる人を救うために、愛するひとり子に身代わりの十字架を負わせることを計画するなど、誰が考えるであろう。人には神はわからないのである。

しかし、悪霊どもの懇願が滅び方であったことには、彼らは自分たちが滅びに定められていることを知っていたのだ。

 

 それを見た豚を飼っていた人たちは、豚が失われたことを町中に知らせた。

 

すると見よ、町中の人がイエスに会いに出て来た。そして、イエスを見ると、その地方から立ち去ってほしいと懇願した。(14)

 

彼らはイエスに立ち去ってくれるように懇願した。彼らは悪霊から解き放たれた男を喜ぶことは無く、豚を惜しんでのことであり、イエスはその懇願を受け入れて去って行かれた。

 

世に生きる中で、キリスト者にも様々な問題が纏わりついて来ることもあり、祈りによって主の御前にそれらを陳列して、「あなたの子どもらしく生きるために解決をお導きください」と、無力さの中で懇願することになる。

 

主はご真実な方なので問題に介入してくださり、知らぬ間に解決していることがあり、知恵を導いて解決させてくださることもある。
しかし、今日の箇所から何を期待して求めるかをよくよく吟味して、神の栄光が現れることを願いたいと思った。

主を悲しませることではなく、百人隊長のように主がお喜びになるものを懇願することが出来たら、どれほど幸いなことだろう。

 

あなたがたは、信じて祈り求めるものは何でも受けることになります。(マタイ21:22)


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