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石ころ

霊、魂、からだに対する責任(Ⅰテサロニケ5章)

 

 

ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。(11)

 

聖霊に拠りみことばを聴きつつ、すべての日を導かれて行くキリスト者にとって、完成される励ましのことばは携挙の望みである。
みことばによって交わり、主を知る知識を分かちあって、共に成長して行く神の家族、主に在る兄弟姉妹である。

 

預言を軽んじてはいけません。
ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。(20~21)

 

預言に対する忠告として、吟味することの大切さを教えられている。聖霊の導きの中でみことばに照らして吟味し、聴いた神の言葉をしっかり保って進むなら、この世で神の栄光を現わすものとなり、それを軽んじる時、失敗を免れることが出来ずに世に恥を曝すこととなる。

 

あらゆる形の悪から離れなさい。
平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。(22~23)

 

神ご自身が平和のうちに私たちを完成してくださる。誰も自力で成長することも、みこころを行うことも出来ない。責められるのは、みことばを不信仰によって軽んじることであって、そのような悪からは離れることである。

 

私たちには、神ご自身によって「聖なるものとしてくださる」望みがある。それには御救いの中に、霊、魂、からだを保っている責任がある。信仰をもってキリストの勝利のうちに留まっている責任である。

 

霊は聖霊に聴き続けてキリストと共に働き、魂の思いをその支配下に置いてきよめられ、日々、意志をもってみことばに従順し、感情をも聖霊のコントロール下に置く責任があるのだ。それは、キリストに信頼して身を委ねることである。

 

主に自分を捧げものとするとき、すべての必要を満たしてくださる。感情が波立つときはその問題を捧げる。みことばに生きることに恐れがある時は、その恐怖を捧げものとするのである。

 

私たちの弱さをご存じの主は、すべての捧げものを受け取ってくださり、私たちの目の前からそれらを取り去ってくださる。そうして、信仰の道筋を平らかにしてくださるから。

 

わたしは目の見えない人に、知らない道を歩ませ、知らない通り道を行かせる。彼らの前で闇を光に、起伏のある地を平らにする。これらのことをわたしは行い、彼らを見捨てはしない。(イザヤ42:16)

 

からだは携挙の時には土に返るものである。
からだはこの世の命であって、神のご計画を世に遂行するために用いるものである。主にたまわっている時間を健やかに保って、それぞれの置かれた所で委ねられている働きを成すのである。
此処に自死に対しては責められることが分かる。

 

あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。(24)

 

すべてに在って、キリスト者のいのちを守ってくださっているのは主である。主に信頼する者は、霊も、魂も、からだも、主のご真実に拠って守られて、今日成すべきことを共に成し遂げさせてくださるのだ。

 

この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるよう、私は主によって堅く命じます。
私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。(27~28)

 

パウロが、すべての兄弟が読むようにと堅く命じているのは、携挙の望みによって互いに励まし合い、互いを高め合う中で主を待つためである。
この命令は今の私たちにも重要な命令である。


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