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石ころ

キリストの愛 (2020.9.16)

 

キリストのなかに抱かれて、
キリストの豊かさを味わい
キリストの信仰が流れてきて
キリストと生きる


キリストの力強さを知り
キリストの平安を味わい
キリストの知恵が与えられ
キリストを知って行く


キリストがすべてのすべてとなり
キリストの望みが満ちる
キリストの甘さの中で
キリストの悲しみに出会った


それは心を裂く悲しみ
それでも喜んでいなさい
望みに満ちていなさい
それがキリストの愛


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コメント一覧

ムベ
ままちゃんさま。コメントをありがとうございます。

私もこの箇所を読む度びに、イエスさまに感動いたします。
主の御愛が沁みてきます。

イエスさまは「深く憐み」とありますね。
憐み深いことは、キリスト似の素晴らしい賜物ですね。

私はいつも、愛について忸怩たる思いを持っています。
その時、その時、キリストから頂かなければ、自分のうちに
愛の無い者だからです。

ですから、愛深い方を見ると、尊敬と憧憬の念を抱きます。
キリストの深い愛を、色々な形で教わることが出来ることは
恵みです。

「泣かなくてもよい」と言われたイエスさまが、母に笑顔を
くださったように、愛し方を知らない者に愛する愛をくださる
でしょう。
rell248
わたしは、主のエピソードはなんでも大好きですが、最近ルカによる福音書第7章11節から16節の話をよく考え、とても感動します。それはナインという町に行かれたイエスが、町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところでした。主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。」と言われ、死んだ息子に手を置き、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」と言われました。その息子はすぐに血の気が顔にさし、息を吹き返したわけです。その時代、その場所で、女性がやもめとなり、頼れるのが息子だけなのに、それも一人きりの、息子も亡くなったとしたら、どうやって彼女は生きることができただろうかと思うのです。誰も主に事情を話はしなかったのに、主はお気づきだったのだから、そこに愛を深く感じます。その愛を受け継ぎ、わたしも他の方々につくすことで、主につかえることができるなんて、なんと素晴らしいことでしょうか。
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