
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」(ヨハネ12:3~5)
ユダの目的は施しではなく盗むことにあり、この言葉はそもそも偽りから出ているのだけれど、すべてを知っておられるイエス様はこのように言われた。
イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」(ヨハネ12:7~8)
ユダにむけての言葉とは思えない。
この言葉は今私たちに向けて話されているようだ。貧しい人、助けを必要としている人に、ヒューマニズムによって手を差し伸べる優しさが人にはあり、それをするとき心は満たされる。もろもろの宗教にも付いている人からの栄誉。
しかし、主を礼拝することはそれに優先しなければならない。なぜなら主を礼拝する時はアッという間に過ぎ去るからである。
暮らしの中には、タルシシュ行きの船(ヨナ書)がいつも私たちを待ち受けているから・・。
「指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。
彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。」(ヨハネ12:42)
愛はひとつしか選べない。栄誉はひとつしか選べない。
マリヤは最上の香油をイエス様に注ぎ尽くした。ナルドの香油は捧げ物である。捧げるお方は、いのちをたまわった御子イエスである。
私たちのナルドの香油とは何だろう・・。