それに、入院をする3日間前から飲み続ける下剤、これが決定的に嫌なことだった。私は下剤にはとても敏感で激しい腹痛と急激な下痢が、時には翌日まで続くようになる。検査の時も大量の下剤を使うとのことだから、その痛みだけでも気持ちが引いて行く。説明の時に医師に下剤について相談したけれどあまり相手にされなかった。
今、とても調子がよいのになぜそんなことをしなければならないのかと思ってしまった。ポリープを取ることにも結構リスクがあると遅ればせながら気づいた。祈った後、看護師さんが、「何でも聞きたいことがあったら私に電話してください。」と名前を教えてくださっていたことを思い出して、今の気持ちや不安をを相談することにした。
電話で看護師さんは「そうですね。検査の日も大量の下剤を使いますからね・・・。では、キャンセルしますか。」と意外なほどあっさりと受け入れてくださったので逆に驚いたけれど、私は「はい。」と答えた。
あれこれと、理由を並べれば色々あるけれど、実はそんなことは信仰の外のこと。また、聖霊の宮である自分の体一つ管理することが出来ず、信仰によって自分の身を主にお任せすることもできない、腸以上にどうしょうもない状態の自分自身を知ることになった。なのに、そんな事の後も主はいつに変わらず共に居てくださる。腸の調子も守られている。なんという主の憐れみだろう。
昨日ウォーキングでちょっと足を痛めてしまったから、今日は歩かないで回復を待たなければならなくなってとても残念!歩くことはストレス発散に最適で、夜もよく眠れるのに。なかなか思うようには行かない。
本当に私は何も出来ない。そんなもろもろの弱さの中で、今日も共に居てくださる主だけが私の望み。これから年を取るばかりで、いよいよ弱くされ、いよいよ思うようには行かなくなるのだろうけれど、永遠に変わることのない、主の一方的なご愛の中に安息しよう。

「こんな私のことで、祈っていてくださいました方に心から感謝致します。私の知らないところで祈ってくださった方も居てくださったかも知れません、主に感謝いたします。本当にありがとうございました。」

「あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」(Ⅰコリント2:5)